好きが止まらない

第5話 好きになるほど

恋だと気づいたのは、ほんの些細なことだった。

ある日の昼休み。

図書館の休憩室で同僚たちが話していた。

「駅前のカフェ、行った?」

「行った行った。店長さん、かっこいいよね」

「優しいしね」

何気ない会話だった。

けれど私は、本を読むふりをしながら耳を傾けてしまっていた。

店長さん。

優しい。

かっこいい。

それが悠真さんのことだと分かっていたから。

「彼女いるのかな?」

誰かがそう言った瞬間。

胸がざわついた。

ページをめくる手が止まる。

知らない。

考えたこともなかった。

いや、本当は考えないようにしていただけかもしれない。

その日の帰り道も、その言葉が頭から離れなかった。

彼女がいるのだろうか。

好きな人はいるのだろうか。

そんなことを気にしている時点で、もう答えは出ている。

私は立ち止まった。

夕暮れの空を見上げる。

そしてようやく認める。

──私は悠真さんが好きなんだ。

認めた瞬間、胸が苦しくなった。

嬉しいわけではなかった。

むしろ怖かった。



大学生の頃、一度だけ本気で好きになった人がいた。

同じサークルの先輩だった。

優しくて、よく話を聞いてくれて。

私は少しずつ好きになった。

でも、想いを伝えた途端に距離ができた。

「ごめん」

たった一言。

それだけだった。

振られたことより、その後の方がつらかった。

今まで普通に話していたのに。

目が合わなくなった。

連絡も来なくなった。

好きだと伝えたことで、全部なくなってしまった。

あの時からだった。

好きになることが怖くなったのは。



「雨宮さん?」

声をかけられて顔を上げる。

気づけばカフェ・ルーチェの前だった。

仕事帰りに寄るのが習慣になっていた。

「考え事ですか?」

悠真さんが心配そうに覗き込む。

近い。

慌てて視線を逸らす。

「いえ」

嘘だった。

本当は目の前の人のことを考えていた。

「疲れてます?」

「大丈夫です」

「無理しないでくださいね」

優しい声。

その優しさが今は少し苦しかった。

好きだから。

好きになってしまったから。

以前のように気楽ではいられない。



帰宅後。

私はレシピノートを開いた。

悠真さんの字が並んでいる。

コーヒーの淹れ方。

チーズケーキのレシピ。

新作メニューのメモ。

ページをめくるたびに思い出が増えていく。

本当なら幸せなはずなのに。

胸の奥に不安が広がる。

もし。

この関係が壊れたら。

もし。

私だけが好きだったら。

今の時間も全部なくなってしまうのだろうか。

そう考えた瞬間、ノートを閉じた。

これ以上好きになってはいけない。

傷つくのは嫌だ。

失うのも怖い。

だから──。

少し距離を置こう。

私はそう決めた。



翌日。

仕事帰りにカフェへ向かう足が止まった。

行こうと思えば行ける。

でも行かなかった。

その次の日も。

そのまた次の日も。

レシピノートは鞄に入ったまま。

悠真さんからのメッセージも来ていない。

当たり前だ。

私たちは恋人でも何でもない。

ただの隣人。

ただの友人。

それだけ。

そう言い聞かせる。

なのに。

アパートの廊下で隣のドアが開く音がするたび、胸が高鳴る。

カフェの前を通るたび、視線が向いてしまう。

考えないようにするほど、考えてしまう。

忘れようとするほど、会いたくなる。

好きという気持ちは、こんなにも厄介だったのか。

私は知らなかった。

そしてその頃。

何も知らない悠真もまた、少しずつ違和感を覚え始めていた。

最近、雨宮さんが来ない。

その事実に。
< 5 / 10 >

この作品をシェア

pagetop