いつか、心は赤い糸の結び目を忘れる。
最悪な夜
梨央が麗奈の「専属メイド」として柊邸に囚われてから、数ヶ月が経った。
その夜、邸宅はいつも以上に冷徹な静寂に包まれていた。
「梨央、今夜は私の寝室の前に直立不動で待機していなさい。一歩も動くことは許さないわ」
昼間、麗奈から下された無慈悲な命令。それは、梨央の心を完全に粉砕するための、悪魔の罠だった。
夜、指示された通りに豪華な主寝室の重い扉の前に立つ梨央。
しばらくすると、廊下の奥から足音が聞こえてきた。やってきたのは薫だった。
その目は完全に光を失い、まるで死刑台に向かう罪人のように足取りは重い。
扉の前で佇む梨央の姿を見つけた薫が、息を呑む。
ふたりの視線が交錯した。助けを求めるような、そして、すべてを諦めたような絶望の視線。
だが、監視の目が光るこの屋敷で、言葉を交わすことすら許されない。
薫は苦渋に満ちた表情のまま、引き裂かれるような思いで寝室の扉を開け、中へと消えていった。
カチャリ、と鍵の閉まる音が、梨央の心に冷たく突き刺さる。
そして、地獄の時間が始まった。
遮音性の高いはずの厚い扉。
しかし、麗奈があらかじめ細工をしていたのか、あるいは梨央の感覚が恐怖で研ぎ澄まされていたせいか、中の「音」は生々しく外へと漏れ聞こえてきた。
「あぁ……薫、もっと激しく……私を、あなたのものにして……っ!」
麗奈の、勝ち誇ったような、艶めかしい喘ぎ声。
衣類が擦れ合う音。ベッドが軋む、不快で規則正しい音。
薫が麗奈に何度もキスをする音。麗奈もそれに応えるような激しいキスの音。
そして――何よりも梨央の胸を抉ったのは、愛する薫の、荒く、苦しげな息遣いだった。
(嫌……聴きたくない……っ!)
梨央は耳を塞ぎたかった。その場にしゃがみ込んで、大声で泣き叫びたかった。
しかし、麗奈の放った「一歩も動くな」という命令が、呪縛のように梨央を縛り付ける。もし動けば、実家の父親の命はない。
激しく体力を消耗し合う、夜の運動会。
それは愛の営みなどではなく、麗奈が薫を所有し、梨央を精神的に虐殺するための残酷な儀式だった。
扉の向こうで、薫が他の女を抱いている。そのリアルな振動と声が、容赦なく梨央の耳に、脳裏に、心に突き刺さる。梨央の目から、止めどなく涙が溢れ、床にシミを作っていく。唇を噛み締めすぎて、血の味が口いっぱいに広がった。
「薫……愛してるわ……これであなたも、柊家も、私のものよ……!」
絶頂に達した麗奈の高笑いのような声が響く。
梨央のプライドも、薫との美しい思い出も、その生々しい声の暴力によって、完膚なきまでに破壊されていった。
夜が明ける頃、ようやく静まり返った扉の前で、梨央は立ったまま、心を完全に失ったただの人形へと成り果てていた。
その夜、邸宅はいつも以上に冷徹な静寂に包まれていた。
「梨央、今夜は私の寝室の前に直立不動で待機していなさい。一歩も動くことは許さないわ」
昼間、麗奈から下された無慈悲な命令。それは、梨央の心を完全に粉砕するための、悪魔の罠だった。
夜、指示された通りに豪華な主寝室の重い扉の前に立つ梨央。
しばらくすると、廊下の奥から足音が聞こえてきた。やってきたのは薫だった。
その目は完全に光を失い、まるで死刑台に向かう罪人のように足取りは重い。
扉の前で佇む梨央の姿を見つけた薫が、息を呑む。
ふたりの視線が交錯した。助けを求めるような、そして、すべてを諦めたような絶望の視線。
だが、監視の目が光るこの屋敷で、言葉を交わすことすら許されない。
薫は苦渋に満ちた表情のまま、引き裂かれるような思いで寝室の扉を開け、中へと消えていった。
カチャリ、と鍵の閉まる音が、梨央の心に冷たく突き刺さる。
そして、地獄の時間が始まった。
遮音性の高いはずの厚い扉。
しかし、麗奈があらかじめ細工をしていたのか、あるいは梨央の感覚が恐怖で研ぎ澄まされていたせいか、中の「音」は生々しく外へと漏れ聞こえてきた。
「あぁ……薫、もっと激しく……私を、あなたのものにして……っ!」
麗奈の、勝ち誇ったような、艶めかしい喘ぎ声。
衣類が擦れ合う音。ベッドが軋む、不快で規則正しい音。
薫が麗奈に何度もキスをする音。麗奈もそれに応えるような激しいキスの音。
そして――何よりも梨央の胸を抉ったのは、愛する薫の、荒く、苦しげな息遣いだった。
(嫌……聴きたくない……っ!)
梨央は耳を塞ぎたかった。その場にしゃがみ込んで、大声で泣き叫びたかった。
しかし、麗奈の放った「一歩も動くな」という命令が、呪縛のように梨央を縛り付ける。もし動けば、実家の父親の命はない。
激しく体力を消耗し合う、夜の運動会。
それは愛の営みなどではなく、麗奈が薫を所有し、梨央を精神的に虐殺するための残酷な儀式だった。
扉の向こうで、薫が他の女を抱いている。そのリアルな振動と声が、容赦なく梨央の耳に、脳裏に、心に突き刺さる。梨央の目から、止めどなく涙が溢れ、床にシミを作っていく。唇を噛み締めすぎて、血の味が口いっぱいに広がった。
「薫……愛してるわ……これであなたも、柊家も、私のものよ……!」
絶頂に達した麗奈の高笑いのような声が響く。
梨央のプライドも、薫との美しい思い出も、その生々しい声の暴力によって、完膚なきまでに破壊されていった。
夜が明ける頃、ようやく静まり返った扉の前で、梨央は立ったまま、心を完全に失ったただの人形へと成り果てていた。