月影の彼方
第二話 出会い
それは、新学期が始まる前の日だった。
「おい」
突然背中からかけられた声に驚いて振り向く。
俺に話しかけてくるやつなんて、いないはずなのに。
そこには、知らない少年が立っていた。
施設では、見ない顔だった。
「……お前さ、その後ろのやつ」
少年は、リッカを見て眉を顰めた。
ゴクン、と唾を飲み込む。
リッカの顔が険しくなる。
「晃くん!」
その時施設の職員が少年を呼ぶ。
晃、と呼ばれた少年は、チラ、とこちらを見ると、何か言いたそうにしていたが、俺が何も言わない為、諦めたように背中を向けた。
「今日からこの施設でみんなと一緒に暮らす、八神晃くんです」
「よろしくお願いします!」
十五歳の春。
———それが、俺たちの運命を変える出会いだった。
「八神くんはどうしてここに来たの?」
「今までどこに住んでたの?」
「どこ中だった?」
そいつは、あっという間に施設の話題の中心になった。
めったに入ってこない新しい入所者に、みんな興味津々みたいだった。
「うーん。俺?俺は……」
晃がチラ、とこちらを見る。
どうしてそんなに他人に興味が湧くのか。
施設に入ってくるやつなんて、大抵は親に捨てられたか、親が死んでいるかなのに。
傷の舐め合いみたいでなんだか気持ちが悪かった。
「あ、そうだ、新入り。お前にひとつ忠告してやる」
——来た。
「あいつ。あそこの隅っこのやつな。あいつには近付かない方がいいぞ」
「なんで?」
「あいつ、憑いてるんだよ。怒らせると殺されるぞ」
いつものことだった。
でも。
晃はそんな連中の言葉なんて興味がないみたいに、自分が持ってきた荷物を片付けて始めた。
「おい、聞いてるのか?」
誰かが語尾を強める。
その時だった。
「そんな怖いものじゃないと思うけど」
晃が淡々とした口調でそう言葉を落とした。
隣でリッカがゆっくりと視線を向けるのがわかった。
部屋の中が一瞬シーンとなる中、晃と目が合った。
晃は、へへっと軽く笑うと、
「そう言えば、便所どこ?」
と話題を変える。
「あ、ああ、こっち」
施設の中でも年長者の男の子が、晃を案内しながら部屋から出ていく。
周りもさっと引いて、俺とリッカだけが残された。
「……晴人、あいつには気をつけろよ」
リッカの低い声がする。
「……うん」
俺は、それだけ返すのがやっとだった。
晃が入所して、少し経った頃だった。
同い年。
同じ中学。
必然的に、通学路も同じになる。
「なぁ」
「……」
「なぁって」
一緒に登校する約束なんてしていない。
なのに晃は、施設を出てからずっと後ろをついてきていた。
「……晴人、どうする? 巻くか?」
「巻いてどうすんだよ。行き先同じだろ」
リッカの言葉にため息をつく。
関わりたくなかった。
放っておいてほしかった。
なのに。
「おーい、晴人ー!」
どうしてついてくる。
どうして話しかけてくるんだよ。
学校に着いてからも、それは変わらなかった。
「八神くんって、月島くんと同じ施設から来てるの?」
「そうだけど」
「月島くんって、やっぱり変なの?」
「は?」
「何もないところに向かって一人で喋ってるとか、月島くんの周りで物が勝手に動くとか、そういうの見たことある?」
「なにそれ。くだらねー」
晃は呆れたようにそう言った。
クラスメイトたちは怪訝そうな顔をする。
転校してきたばかりだというのに、晃の性格なら友達なんてすぐにできるはずだった。
「八神くんもなんか変だよね」
「月島と同類なんじゃね? 同じ施設だし」
そんな声が聞こえるようになるのに、時間はかからなかった。
昼休み。
屋上へ続く階段に腰掛けながら、晴人はぽつりと口を開いた。
「なぁ」
「ん?」
「なんでお前、俺のこと庇ったりしたんだよ」
「なにが?」
本気でわかっていないような顔だった。
「俺のこと庇ったせいで、お前まで変な奴扱いされてるだろ」
「だから?」
あまりにもあっさり返されて、言葉に詰まる。
「だからって……」
「だってお前、別に変じゃねーじゃん」
晴人の動きが止まる。
「普通だろ」
「……え?」
「変なのはあいつらの方だろ。何もわからねーくせに勝手に決めつけて、陰口ばっか言ってさ」
晃は肩をすくめた。
「俺、そういうの嫌いなんだよ」
胸の奥がひやりと冷たくなる。
なぜだか泣きそうだった。
そんなことを言われたのは、初めてだったから。
「それに」
「……なんだよ」
晃はじっとこちらを見る。
なぜかリッカの警戒が強くなった気がした。
「俺、お前と仲良くなりたいんだ」
「……」
「なぁ、今日の帰りゲーセン行かね?」
「は?」
あまりに話が飛びすぎて理解が追いつかない。
「俺、この街まだよくわかんねーし。案内してくれると助かる」
「……俺、ゲーセンとか行ったことないし」
「は!? マジで!?」
今日一番大きな声だった。
晴人もリッカも思わず肩を震わせる。
「じゃあ尚更じゃん!」
晃は身を乗り出した。
「開拓しようぜ!」
その勢いに押されるように。
張り詰めていたリッカの警戒が、少しだけ解けた。
「……晴人」
「ん?」
「ゲーセンとはなんだ」
「リッカ……」
「そんなに面白い場所なのか?」
「知らないよ」
思わずため息が漏れる。
晃が楽しそうに笑った。
俺に、初めてリッカ以外の話し相手ができた。
それが、友達と呼べるものだったのかはまだわからない。
でも。
あの日から、俺の日常は少しずつ変わり始めていた。


