乾杯はふたりだけの秘密
「あ、ここですかね」
「うん、ここだね。可愛いお店。コーヒーのいい香りがするね」
賢吾は扉を引くと、先に中へと促してくれた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
店の雰囲気にぴったりな可愛らしい女性店員が笑顔で尋ねる。
「はい」
「空いてるお席にどうぞ」
そう言われ、店内を見回す。
「あそこのソファ席にしましょうか」
賢吾が指差しながら言った。
「うん、そうだね」
奥に進むと、別のソファ席で寛いでいた三人の女性客のうちのひとりが不意に立ち上がった。
「賢吾君!」
その声に、結衣は思わず目を見開いて立ち止まった。
「おー、來未!」
賢吾が声を響かせた。
「久しぶりだね~。元気?」
「おう」
賢吾に向ける女性の柔らかい眼差しに胸騒ぎを覚える。
「賢吾君、この辺に住んでるの?」
「ああ、うん。引っ越したんだ。今仕事こっちで」
「そうなんだ。私も今こっちで仕事してて」
「へえ。何してんの?」
「飲食店」
「店やってるってこと?」
「そう」
「へえ、すげえじゃん。あ、そういや料理得意だって言ってたっけ」
ふたりの間で、会話はラリーのように続いていた。楽しそうだと思うけれど、その輪に入るきっかけがどこにも見つからない。結衣はふたりの顔を交互に眺めていた。
「真治君とかなっちゃんも時々来てくれてて。良かったら賢吾君も来てよ。……あ、彼女さん?」
來未と呼ばれていた女性の視線が、一瞬こちらを向いた。
「いや、会社の先輩」
「へえ」
彼女に会釈され、結衣は慌てて作り笑顔で返した。
会社の先輩――本当のことだけれど、そう紹介されて、ショックを受けていた。それは、彼女が佐々木の隣にいたような女ではなくて、上品で落ち着いた雰囲気の女性だったからかもしれない。
「あ、ごめんね、引き止めて。またね」
「おう、またな」
その挨拶にさえも、嫉妬心を掻き立てられる。
彼女にまた会うということだろうか。
「すみません。知り合いで……」
「そうなんだ」
それだけ言って席に着いた。
メニューを広げて指でなぞっているけれど、文字はぼやけている。頭の中は來未という彼女のことでいっぱいだった。
賢吾が友達と言っていたら、さほど気にも止めなかったと思う。知り合いという言い方が引っ掛かっていた。知り合いは「賢吾君」「來未」と呼び合うだろうか。「真治君」に「なっちゃん」まで登場して、それは最低でも友達という関係なんじゃないのだろうか。
賢吾が何かを隠しているように思えた。たとえ元カノだったとしても、呼び止められたらさすがに無視はできないということくらい理解できる。でも、自分だったら「実は元カレ」と正直に話すだろう。
自分には「先輩」と言うくせに、彼女を「來未」と呼び捨てしたことに心が波立った。自分には敬語で話すくせに、彼女にはため口で話していたことが、気に入らなかった。この感情は、嫉妬以外の何物でもない。
ほっとできるような温かいカフェラテも、食べたいと言ったケーキも味がしなかった。
「俺、何か気に触ること言いましたか?」
「え?」
「何か、今日は先輩いつもと違う感じするんで」
「あ、ううん。違うよ。いや、違うっていうのはそういう意味じゃなくて――」
「何かありますよね?」
「ごめん。何か私が勝手にもやもやしてるだけなの」
子供みたいに態度に出してしまうなんて、最低だ。
「ちゃんと話してください、そのもやもやの理由」
「ううん、大丈夫」
「話してください。俺が大丈夫じゃないです。せっかくのデートなのに、こんな気持ちでは帰れないです」
賢吾はデートだと思ってくれている。もちろん、結衣も同じだった。
「あのね……さっきの彼女は本当にただの知り合いなのかなって思って」
「え? ああ、あの子は、連れの元カノです」
「え?」
「何回かみんなで会ったことあって。海行ったりバーベキューしたり」
「そ、そうなんだ……」
今さら自分の勘違いを後悔しても遅い。
「けど、もう連れとは何年か前に別れてて。連絡先とかは一応まだスマホに残ってると思うけど、別に連絡取り合ってるわけでもないんで。だから知り合いって言ったんです」
「そうだったんだ。何か、ごめん。勝手に勘違いしちゃって……」
「いえ、誤解が解けて良かったです。もし先輩が良かったら、さっき彼女が話してた店、今度一緒に行ってみませんか?」
「あ、うん。行ってみたい」
「じゃあ、また場所聞いときますね」
賢吾は自分のくだらない不安を全て拭い去ってくれた。
「うん、ここだね。可愛いお店。コーヒーのいい香りがするね」
賢吾は扉を引くと、先に中へと促してくれた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
店の雰囲気にぴったりな可愛らしい女性店員が笑顔で尋ねる。
「はい」
「空いてるお席にどうぞ」
そう言われ、店内を見回す。
「あそこのソファ席にしましょうか」
賢吾が指差しながら言った。
「うん、そうだね」
奥に進むと、別のソファ席で寛いでいた三人の女性客のうちのひとりが不意に立ち上がった。
「賢吾君!」
その声に、結衣は思わず目を見開いて立ち止まった。
「おー、來未!」
賢吾が声を響かせた。
「久しぶりだね~。元気?」
「おう」
賢吾に向ける女性の柔らかい眼差しに胸騒ぎを覚える。
「賢吾君、この辺に住んでるの?」
「ああ、うん。引っ越したんだ。今仕事こっちで」
「そうなんだ。私も今こっちで仕事してて」
「へえ。何してんの?」
「飲食店」
「店やってるってこと?」
「そう」
「へえ、すげえじゃん。あ、そういや料理得意だって言ってたっけ」
ふたりの間で、会話はラリーのように続いていた。楽しそうだと思うけれど、その輪に入るきっかけがどこにも見つからない。結衣はふたりの顔を交互に眺めていた。
「真治君とかなっちゃんも時々来てくれてて。良かったら賢吾君も来てよ。……あ、彼女さん?」
來未と呼ばれていた女性の視線が、一瞬こちらを向いた。
「いや、会社の先輩」
「へえ」
彼女に会釈され、結衣は慌てて作り笑顔で返した。
会社の先輩――本当のことだけれど、そう紹介されて、ショックを受けていた。それは、彼女が佐々木の隣にいたような女ではなくて、上品で落ち着いた雰囲気の女性だったからかもしれない。
「あ、ごめんね、引き止めて。またね」
「おう、またな」
その挨拶にさえも、嫉妬心を掻き立てられる。
彼女にまた会うということだろうか。
「すみません。知り合いで……」
「そうなんだ」
それだけ言って席に着いた。
メニューを広げて指でなぞっているけれど、文字はぼやけている。頭の中は來未という彼女のことでいっぱいだった。
賢吾が友達と言っていたら、さほど気にも止めなかったと思う。知り合いという言い方が引っ掛かっていた。知り合いは「賢吾君」「來未」と呼び合うだろうか。「真治君」に「なっちゃん」まで登場して、それは最低でも友達という関係なんじゃないのだろうか。
賢吾が何かを隠しているように思えた。たとえ元カノだったとしても、呼び止められたらさすがに無視はできないということくらい理解できる。でも、自分だったら「実は元カレ」と正直に話すだろう。
自分には「先輩」と言うくせに、彼女を「來未」と呼び捨てしたことに心が波立った。自分には敬語で話すくせに、彼女にはため口で話していたことが、気に入らなかった。この感情は、嫉妬以外の何物でもない。
ほっとできるような温かいカフェラテも、食べたいと言ったケーキも味がしなかった。
「俺、何か気に触ること言いましたか?」
「え?」
「何か、今日は先輩いつもと違う感じするんで」
「あ、ううん。違うよ。いや、違うっていうのはそういう意味じゃなくて――」
「何かありますよね?」
「ごめん。何か私が勝手にもやもやしてるだけなの」
子供みたいに態度に出してしまうなんて、最低だ。
「ちゃんと話してください、そのもやもやの理由」
「ううん、大丈夫」
「話してください。俺が大丈夫じゃないです。せっかくのデートなのに、こんな気持ちでは帰れないです」
賢吾はデートだと思ってくれている。もちろん、結衣も同じだった。
「あのね……さっきの彼女は本当にただの知り合いなのかなって思って」
「え? ああ、あの子は、連れの元カノです」
「え?」
「何回かみんなで会ったことあって。海行ったりバーベキューしたり」
「そ、そうなんだ……」
今さら自分の勘違いを後悔しても遅い。
「けど、もう連れとは何年か前に別れてて。連絡先とかは一応まだスマホに残ってると思うけど、別に連絡取り合ってるわけでもないんで。だから知り合いって言ったんです」
「そうだったんだ。何か、ごめん。勝手に勘違いしちゃって……」
「いえ、誤解が解けて良かったです。もし先輩が良かったら、さっき彼女が話してた店、今度一緒に行ってみませんか?」
「あ、うん。行ってみたい」
「じゃあ、また場所聞いときますね」
賢吾は自分のくだらない不安を全て拭い去ってくれた。