乾杯はふたりだけの秘密
「ねえ、新田君。二軒目、ふたりだけで行かない?」
「いえ、今日は一軒目で帰ります。またみんなで行きましょう」
 そんな会話を横目に、結衣は残りのビールを一気に飲み干した。これで、三人目だ。賢吾がもてないわけがない。忘年会の時は途中で退席したことで逃れることができただけだろう。賢吾の左隣には、積極的な女子社員が交代で座っては、あれこれとアプローチを仕掛けている。
 さっきは「私んち近所だから、この後来ない?」とかなり大胆な誘いを受けていた。それにはさすがに「軽すぎだろ!」と笑いながら突っ込んでいたが、相手によってうまい具合にキャラを使い分ける手腕には感心した。今度は“みんなで”をクッションにして、角がたたないようにうまく断った。
 結衣はほっと胸を撫で下ろし、腰を上げた。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
「はい。気を付けて」
 賢吾のさりげないひとことが、結衣の心をふわっと揺らす。
「黒見先輩」
「あ、有紀ちゃん」
 靴を履いたところで、後輩の柏木有紀に引き止められた。
「有紀ちゃんもお手洗い?」
「あ……いえ。ちょっといいですか?」
「うん?」
 人目を避けるようにトイレの前まで移動すると、有紀が口を開いた。
「先輩って、新田君とどういう関係ですか?」
「え?」
「付き合ってるんですか?」
「ううん、付き合ってはないよ」
 付き合って()ない、という言葉に、嘘はついていない、という言い訳の意味が込められている。
「え、そうなんですか? いつも一緒にいるから、てっきり付き合ってるのかと思ってました。なんだ……良かったです。私、実は新田君推しなんです。じゃあ、思いきって誘ってみます」
 有紀が安堵の表情を浮かべた。
「でも、私も新田君が好きなの」
 言葉が口をついて出た。それは、誠実な彼女への敬意でもあり、アルコールのせいでもあると思う。けれど、それは彼女も同じだろう。酒の席でなければ、控えめな性格の彼女が、面と向かってこんな話をしてくるとは思えない。
「じゃあ、ライバルってことですね。先輩のことは大好きですし、尊敬もしてますけど……私、負けませんから」
 そう言うと、彼女は軽く会釈をして戻っていった。

 席に戻ると、有紀は賢吾の左隣に座っていた。結衣が腰を下ろすと、彼女の視線が一瞬こちらを向いた。
「新田君、今度一緒にご飯でも行かない?」
 ――嫌だ。
 彼女の唐突なアプローチに焦り、結衣は咄嗟に賢吾のシャツの袖を掴んでいた。
 けれど、賢吾は振り向きもしない。不安に駆られた直後、ゆっくりと手首を返した賢吾がそっと手を握り返してきた。もちろん、誰にも気付かれないように、テーブルの下でこっそりと。
「みんなで?」
 賢吾が明るい声で有紀に尋ねた。
「ううん、ふたりで」
「ごめん。ふたりでってのは控えてるんだ」
 考える間もなく、賢吾はあっさりと断った。それは、完全に脈なしを告げていた。
「そっかぁ」
 彼女はすべてを悟ったかのように、苦笑いを浮かべた。けれど、その表情を目にして勝ったとは思っていない。自分は賢吾の彼女ではないのだから。
「大丈夫ですか? 結構飲んでますよね」
 賢吾が小声で尋ねる。
「ああ、うん。大丈夫」
 結構飲んでいた。飲まずにはいられなかった。賢吾が誘われている様子を真横で見せられて、気が気じゃなかった。
 早くお開きになればいいのに。
 今まで飲み会でそんなふうに思ったことは一度もない。結衣は仕切りに幹事のなかじーの様子を窺っていた。時間的に、そろそろだろう。
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