愛を教えてくれた君へ

 ファミレスでの楽しい食事が終わり、お会計をお母さんが済ませてくれている間、先に私と蓮の二人で車に戻ることになった。
 助手席と後部座席にそれぞれ座り、ドアを閉めると、車内は急に静かになった。私は、ファミレスにいる間からずっと思い詰めていた、胸の中の疑問をどうしてもぶつけたくなってしまった。こんなに優しい人たちが、どうして私なんかを助けてくれるのか。おばあちゃんから「邪魔」と言われ続けた私には、彼らの善意が、どこか現実味のないものに思えていた。
「ねえ、蓮くん……」
「ん? なに、らな」
蓮が助手席から振り返り、私を見る。
「なんで、私を家に泊めてくれたの? お母さんたちも、なんであんなに簡単に、赤の他人の私を受け入れてくれたの……?」
 私の問いに、蓮は一瞬、遠い目をした。そして、いつもより少しトーンを落とした、寂しげな声で静かに口を開いた。
「……俺がさ、小学校4年生の時にね。二人目のきょうだいが出来るはずだったんだよ。お袋のお腹の中にさ。でも……流産しちゃって、その子は生まれなかったんだ。親ももう歳だし、これ以上子供は出来ないねって話になって。だから、多分だけどさ……お袋も俺も、らなのこと、その時いなくなっちゃった二人目の子供みたいに、どこか重ねて見てるのかもしれない」
 蓮は、私を励まそうとしてその事実を話してくれたのだと思う。
 けれど、その時の私の歪んだ心には、その言葉が全く違う意味で突き刺さってしまった。
(あ……私は、やっぱり私自身を見てもらえてるわけじゃないんだ。私は、そのいなくなっちゃった妹か弟の『身代わり』でしかないんだ。一人の『蘭奈』という人間として、必要とされているわけじゃないんだ……)
 おばあちゃんから言われ続けた「お前は邪魔」「誰からも愛されない」という言葉が、頭の中で大音量でリフレインする。胸が苦しくて、息ができなくなる。悲しさと絶望が限界を超えて、私は頭が真っ白になってしまった。
「らな……?」
蓮が私の異変に気づいて声をかけた瞬間、私は咄嗟に車のドアノブを掴み、勢いよく外へ飛び出した。
「おい! らな!? どこ行くんだよ!」
後ろから蓮の焦った声が聞こえたけれど、私は振り返ることもせず、駅前の雑踏の中へと無我夢中で走り去ってしまった。蓮は突然のことに驚き、立ち尽くすことしかできなかった。
 どれくらい走っただろう。
 夕方の街はすっかり暗くなり、冷たい夜風が私の身体を吹き抜けていく。スマホも持たず、お金もない。私は住宅街の片隅にある、街灯もまばらな暗い夜道で、疲れ果てて座り込んでいた。
 結局、私はどこに行っても誰かの身代わりか、邪魔者でしかないんだ。膝に顔を埋め、声を殺して泣きじゃくる。冷たさと孤独が、再び私を支配していく。
「――らなーーーーっ!!」
 闇を切り裂くような、大声が遠くから響いた。
 はっと息を呑んで顔を上げる。
「らなーー! どこだ! 返事してくれ!!」
 聞こえてきたのは、完全に声が枯れ果てた、蓮の声だった。ドタバタと激しい足音が近づいてくる。街灯の光の向こうから、全身汗だくで、呼吸を激しく乱した蓮が走ってきた。
「らな……っ!!」
蓮の目が、暗闇の中にいる私を捉えた。彼は全力で駆け寄ってくると、私の前に膝をつき、肩を大きく上下させた。
「はぁ、はぁ……っ、見つけた……! よかった……がちで探したんだからな……っ」
「えっ、蓮くん……なんで……どうして私を探すの……?」
「探すに決まってんだろ……! らな、家帰ろ……?」
 蓮は、私の目を真っ直ぐに見つめて、私の名前を「らな」と呼び捨てにした。出会った時は「らなちゃん」だったのに、咄嗟に出たその言葉に、私は驚いて涙がピタリと止まった。
「あ……」
私の様子に気づいた蓮が、急に耳まで真っ赤にして、バツが悪そうに頭を掻いた。
「あ、ごめん……呼び捨て、嫌だったよな……? 焦ってつい……」
「ううん、そんなことない……。びっくりしただけ。……これからは、呼び捨てでいいよ」
私が小さく呟くと、蓮は照れくさそうに「そ、そう? じゃあ、これから、らなって呼ぶわ」と、キャップのツバをぐっと下げて視線を逸らした。その姿がどこかおかしくて、私の胸のトゲトゲが、ほんの少しだけ丸くなっていくのを感じた。
 蓮と一緒に雨宮家に戻ると、玄関の前で、お母さんが携帯を握りしめたままオロオロと往復して待っていた。私たちの姿を見るなり、お母さんは顔をくしゃくしゃにして駆け寄ってきた。
「らなちゃん……っ!! お帰りなさい! よかった、本当に心配したんだから……っ!」
お母さんの目には、涙が溜まっていた。
「なんで……」
私は、抑えきれずに呟いていた。
「なんで、血の繋がりもない赤の他人の私を、そんなに心配してくれるんですか……? 私は、ただの身代わりなのに……」
私の言葉に、お母さんはハッとしたように目を見開いた。そして、私の両肩を優しく、でもしっかりと掴んで、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「違うのよ、らなちゃん。私の言い方が悪かったわね。蓮から聞いた流産の話……確かに、最初はどこか重ねて見てしまう部分もあったかもしれない。でもね、今は全然違うの。私は、一人の『蘭奈ちゃん』っていう、一生懸命で、健気で、可愛い女の子として、あなたのことが大好きなの。身代わりなんかじゃない。あなたが、あなただから大切なのよ」
お母さんの言葉は、一文字一文字が温かい光となって、私の心の奥底に染み渡っていった。
「お母さん……っ」
私は堪えきれず、お母さんの胸に飛び込んで声を上げて泣いた。お母さんは私を強く、優しく抱きしめ、何度も何度も私の背中をさすってくれた。張り詰めていた心が完全に解け、その夜、私は自室の温かいベッドの中で、これまでで一番深い、泥のような眠りについた。
 深夜2時。
 ふと、猛烈なお腹の音で目が覚めてしまった。お昼のカルボナーラ以降、夜ご飯をまともに食べずに泣き疲れて寝てしまったからだ。
(お腹すいたな……。でも、みんな寝てるよね……)
 迷惑をかけたくないと思いつつも、どうしても我慢できず、私は足音を忍ばせてそっと一階のリビングへ下りていった。冷蔵庫の前に立ち、中をゴソゴソと覗き込んでいると。
パチッ。
 リビングの電気が突然点き、私は「ひゃっ!?」と小さな悲鳴を上げて飛び上がった。
「……らな? 何してんの」
 眠そうに目をこすりながら、寝癖を爆発させた蓮が階段から下りてきた。
「あ、蓮くん……ごめんなさい、起こしちゃって……っ」
「いや、なんか下に気配がしたから。……どうしたの?」
「その、お腹が、すいちゃって……」
 恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にして俯く私。すると蓮は一瞬、きょとんとした顔をした後、顔を背けてクスクスと笑い始めた。
「……なに、それ。え、かわいい」
「なっ、笑わないでよ……!」
「悪い悪い。よし、待ってて。おれが何か作ってあげるわ」
 蓮は腕まくりをすると、「おれ、これでも料理少しはできるんだぜ」と自信満々にキッチンへ向かった。冷蔵庫から卵やウインナーを取り出し、フライパンを火にかける。その背中を見つめているだけで、胸の奥が温かい何かで満たされていく。
「ほら、できたぞ。男の料理だから、見た目は勘弁な!」
 目の前に差し出されたお皿には、少し形が歪だけれど大きなおにぎりが二つと、形が不格好な卵焼き、そしてタコさんの形に切られたウインナーが並んでいた。
「ありがとう、蓮くん。いただきます」
 まずはおにぎりを一口、大きくかじる。
「あ……」
中に入っていたのは、私の大好きな梅干しだった。ファミレスの時に好きな食べ物の話をしていたのを、蓮は覚えていてくれたんだ。
 次に、少し焦げ目のついた卵焼きを口に運ぶ。
モグモグと噛み締めた瞬間、私の動きが止まった。それは、昨日お母さんが作ってくれたお味噌汁と同じような、出汁の効いた、ものすごく優しい、温かい味がした。
 じわっと、目頭が熱くなる。ポタポタと、お皿の上に涙が落ちた。
「えっ!? おい、らな!? マジで美味しくなかった!? ごめん、塩加減間違えたか!?」
蓮がめちゃくちゃ焦って、ティッシュを箱ごと私に差し出してくる。私は涙を拭いながら、首を大きく横に振って、最高の笑顔を浮かべた。
「違うの……! すっごく美味しい。お母さんのあったかい味がして、なんだか泣きそうになっちゃっただけ。本当に、美味しいよ、蓮くん」
「……そっか。お袋の味に似てるか。……なんか、嬉しいな」
蓮はホッとしたように胸をなでおろすと、照れくさそうに顔を綻ばせた。
「あらあら〜? 二人とも、こんな深夜に何デートしてるのかしら〜? 😏 💕」
 そこへ、喉が渇いて起きてきたお母さんが、リビングのドアに寄りかかってニヤニヤしながら二人を見ていた。
「お、お袋! 違うわ! らながお腹空かせてたから、おれが作ってあげただけだよ! 💦」
「はいはい、優しいお兄ちゃん(仮)ねぇ〜。らなちゃん、蓮の料理、美味しい?」
「はい! 世界一美味しいです!」
「お、おう……サンキュ」
蓮がまたキャップも被っていないのに頭を抱えて真っ赤になっている。
 おばあちゃんの家には絶対になかった、夜中の賑やかで愛おしい笑い声。
 不格好な梅おにぎりと、温かい卵焼き。
 私はこの時、この雨宮家という場所が、私の本当の『居場所』になったのだと、確信していたんだ。
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