〝選ばれるはず〟だった令嬢がいるのに、彼は私と契約結婚する
「ただいま……」
家路についたのは、少し薄暗くなり始めた時間。
実家を出て、ひとりで住んでいるワンルームマンションは、勤務先の総合病院近くにある。
玄関を開けて入った部屋は日中の暑さでむっとしていて、すぐにエアコンのリモコンを手に取った。
急病人が出て席を外したあと、顔合わせの席に戻ると相手方のふたりは当たり前のことをしただけなのに『さすが医者だ』と絶賛していた。
そこからうちの実家の医院について話題が流れ、結婚後は父の後をぜひ継いでほしいと言ってもらえた。
そのときの父の心底ほっとしたような表情が今も目の裏にはっきりと残っている。
顔合わせ後、帰り道で少し早い夕食をとりながら、父は私に『ごめん』と『ありがとう』を何度も口にした。
そして、確認するように『本当にいいのか』とも……。
思うところはいろいろあるけれど、その場では『大丈夫だよ』と勝手に言葉が出て来ていた。
でも、自分の決断に後悔はない。
父のため、病院存続のため。それは、自分自身のためでもある。
もし、下手に恋愛を知ってしまっていたり、想い人がいたりすれば、今きっと猛烈に悩んでいたのかもしれない。
バッグの内ポケットからスマートフォンを取り出して、その中に一緒にしまっておいた名刺に目が留まる。
手に取り、白河総合病院、心臓血管外科という肩書きと、白河悠真という名前を目で追って、今日の一件を振り返る。