〝選ばれるはず〟だった令嬢がいるのに、彼は私と契約結婚する
「言う通り別れて、父親の医院を守るのか。それとも、私に歯向かって、父親の大切な医院を取り上げられるのか。あなたもお馬鹿じゃないんだから、自分の身の振り方くらいわかるわよね?」
今ここで彼女の納得のいかない返事をすれば、すぐにでも立ち退きを要求されるだろう。それは絶対に食い止めなくてはいけない。
白紙にさせるには……。
美玲さんはバッグからもう一枚紙切れを取り出す。緑色で印字された離婚届を、ローテーブルの上に広げた。
「これにサインをして、悠真くんに渡すの。支援してもらったものは返すから、別れてほしいと。他に好きな男がいると言ってもいいわ。悠真くんがあなたを嫌悪するようなことを言えばいい。簡単でしょ?」
離婚届の紙を前にして固まる私を、美玲さんは鋭い目つきで睨みつけ「早く書いて」と急かす。
「書かないなら、もういいわ」
そう言ってバッグを掴み立ち上がったところで、「待って」と無意識に声が出た。
「本当に……約束は守ってくれるの? 計画は、白紙撤回にしてもらえる?」
艶々の唇が吊り上がる。静かにバッグを置き直すと、同じ場所に腰を下ろした。
「もちろん。約束だもの」
離婚届の上にボールペンが置かれる。
正面から美玲さんにじっと見つめられながら、そのペンを手に取った。
ついこの間、婚姻届を書いたばかりで、どうして離婚届を前にしているのだろうか。
書きたくなんかない。嫌だと拒否して、この場から逃げてしまいたい。本音はそうだ。
でも、人質を取られている。父の医院という、私が守りたいものを……。
解決の方法も、最善の案も、なにも頭が働かないまま〝白河〟と新しい苗字を書いていく。
「あなたがその苗字を名乗るのすら、虫唾が走るわ」
一文字ずつ書いていく私を監視しながら、美玲さんは嘲笑する。
字を書くのがこんなに重く感じるのは初めてで、胸が圧迫されていくように息苦しい。
埋まっていく離婚届を前に、美玲さんがクスクスと笑っているのを耳にしながら、紙面を見る視界がゆらゆらと揺れていた。