〝選ばれるはず〟だった令嬢がいるのに、彼は私と契約結婚する
鼓動が痛いほどバクバクと鳴っている。
つきたくもない嘘をついて、本当は離れたくない人を遠ざけようとして。そんなことをしている自分が許せない。
本当なのかと言わんばかりに見つめてくる悠真さんの真剣な視線に耐えられず目を逸らす。
自分の心臓の音だけが響いているように聞こえる。
「莉桜」
悠真さんの手が肩に触れ、正面から顔を覗かれる。
初めて見る神妙でどこか不安の入り混じる表情。胸が抉られるように苦しくて息ができない。
「嘘だろう。それくらいわかる」
弱ったような、どこか悲しそうな微笑。悠真さんにこんな顔をさせてしまう自分が憎たらしい。
「なにかあったなら話してくれ。それが夫婦だろう」
このまま顔を合わせていれば、嘘を見透かされてしまいそう。
目を伏せ、肩に置かれたままの手をそっと離す。
「なにもないんです。とにかく……それを書いたら連絡ください」
逃げるように立ち去ろうと背を向けたとき、再び肩を掴まれ振り向かされる。驚く間もなく端整な顔が迫って息を呑んだ。
「んっ……」
重なった唇を割る深い口づけに動けなくなる。求めるような強引さの中に優しさが滲んでいるようで胸が締め付けられる。
なんで、こんなキス……。
このまま身を任せたい思いを押し込め、身を切る思いで悠真さんの胸を両手で押した。
なにも言葉を残さず、バッグだけ掴んでリビングを飛び出した。
振り返らずに玄関を出て、エレベーターホールに飛び込む。無駄に何度もエレベーターの呼び出しを押し、背後を気にしていたけれど悠真さんが追ってくることはなかった。
これでよかったんだ。
エントランスホールを出て、あてもなく歩きだす。
離婚したい妻を完璧に演じられただろうか。
好きな人ができたなんて、本当は口が裂けても言いたくなかった。
支援までさせておいて、挙句の果てには別の男と一緒になりたいなんて言い出す、最低な妻だと今頃思っているだろう。
でも、それでいい。
嫌われたほうが、後腐れなく別れられる。
「っ……っふ、っ……」
今になってぽろぽろと涙が頬を伝っていく。
堪え切れない嗚咽が、夜の街の喧騒に消えていった。