拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由
「部長。そういう発言はセクハラです」
華がはっと顔を上げると、いつの間に近くにいたのか朔弥が立っていた。彼は静かに怒りを抱いているような表情で、じっと上司を睨んでいた。
「え? あ、いやそういうつもりじゃ……酒の席だからちょっと話を聞いてみたくて……」
「酒のせいにするんですか?」
「いや、こういう情報を仕入れておくのも上司の仕事で……」
「酒に酔って女性に絡むのが? 今はコンプライアンスが厳しい時代です。相手に不愉快な思いをさせないよう全員が気遣う必要がある。先ほどの発言は立派なセクハラで、会社に報告すれば絶対にアウトですよ。分かりませんか? 聞いてるこっちも反吐が出る」
朔弥の冷たい声に、上司はうっと言葉を詰まらせた。助けを求めるように周囲に視線を送るが、周りは引いたような目で見ているだけ。いつの間にか随分と注目を浴びていたようだった。
困った上司は大声で笑った。
「あーうんすまんすまん! ちょっと調子に乗ってしまった! 悪かったね二人とも」
あまりに軽い謝罪の仕方に朔弥はむっとしたが、これ以上大事にしてもよくないと思った。ちらりと華の方を見ると、どこかほっとしたように朔弥を見ていた。
(……つい、割り込んでしまった……)
仕事で少し遅れて参加した朔弥は、会場に着いた直後三人の会話を聞いてしまっていた。酔っぱらった上司が華に許せない発言をしていることを。華は何とか後輩の美鈴を助けようとしていたが、酔っぱらった上司は言うことを聞かなかった。
ここ最近、余計なことは言わない、と心に決めていた朔弥だが、華の顔を見た途端黙っていられなくなった。いつも冷静で表情を変えない華が、泣きそうな顔をしている気がして。
――あんな発言、黙っていられるわけがない。
笑顔で可愛らしくないとってなんだ。まるで可愛くないみたいな言い方じゃないか。
上司の発言は明らかに一線を越えていたし、許されるものではなかった。普段はあんな発言はしない人なのに、酒の席とは恐ろしい。
少しの間気まずい空気が流れたが、上司が逃げるようにその場を去ると、すぐに周りは何事もなかったかのように騒ぎ出した。その騒がしさに紛れるぐらいの声で、朔弥は華に声をかける。
「……大丈夫?」
パッと華は顔を上げた。その顔は、いつも屋上で見ている華の表情とどこか違って、なぜか朔弥の胸がドキリと鳴る。
華は朔弥にお礼を言おうとして口を開いたが、それより先に発言したのは隣にいた美鈴だった。
「はい、大丈夫です。深見さん、ありがとうございました! どうしていいのか凄く困ってて……助かりました!」
美鈴は明るい笑顔で朔弥に言い、一歩彼に近づくと深々と頭を下げた。華に声を掛けたつもりの朔弥は一瞬驚いた顔をした後、何とか取り繕う。
「あ、ならよかったけど……」
「仕切り直して飲みましょう! あ、お金払わないとだ。佐々山さん、お願いします!」
美鈴は数え終えたお金を華に手渡し、すぐに朔弥の隣を陣取った。
(ちょっと言動が痛いから対象外だったけど、さっきのは結構よかったかも。咄嗟に庇うくらい私に好意を持ってるんだしね)
思えばここ最近の朔弥は大人しく、はじめの頃のような発言もほぼない。もしかして、私にフラれたから自分を省みたんだろうか? だとしたら、悪い気はしない。
朔弥に寄り添う美鈴を見て、華はお礼を言うタイミングを逃した。元々、朔弥は美鈴に好意を持っていることを知っているからだ。せっかく二人の距離が縮まりそうな空気があるのに、自分が壊してしまってはよくない。
(お礼はまた後日に言おう……)
華はそう思って、朔弥たちに背を向けた。朔弥は慌てて華に話しかける。
「あ、佐々……」
「幹事のお仕事ですって! それよりこっちで飲みません?」
「幹事って、大島さんも幹事なんじゃないの?」
朔弥の指摘に、美鈴は全くひるむことなく堂々と言った。
「私はお金を計算したので、あとは佐々山さんが出せば終わりなんです!」
「……ああ、そう……」
「残業だったんですか? お疲れ様です~!」
高い声で話す美鈴の声を聞き流しながら、朔弥は華の背中を目で追っていた。見えなくなってからも、なぜか気になって仕方がなかった。
店員にお金を手渡した後、華は座敷の一番端の方にようやく座った。料理は冷めており、何も入っていないグラスがやけに寂しく見える。みんな好きな席に移動しているようで、華の周囲には人がおらず、ぽつんと一人だった。
箸を手に取り、料理を口に運ぶ。
(……さっき、深見さんがフォローに入ってくれて助かったな。大島さんを助けたんだろうけど、ついでに私も助けてもらっちゃった)
彼の態度は俺様でもなく、偉そうでもなかった。上司に真っ向に意見していて、とても頼もしい姿に思えた。
先ほどのシーンを思い出し、どこか胸が温かくなる。同時に酷く空しいのは、なぜなのか。
黙々と一人で食べている時、背後から声が掛かった。
「隣、いい?」
「……え」
見上げた先にいたのは、朔弥だった。
彼は空のグラスを持って、白い歯を出して笑う。
「深見さん。大島さんは……?」
「ちょっと話して、今はトイレ」
「そうですか……あの、私の隣なんていても」
「ほら、俺痛い言動で引かれてるからあんまりみんな話しかけてくれなくて」
自虐的に笑った朔弥は華の隣に座り込んだ。まさか朔弥が隣に来るとは思わず、華は戸惑う。
「でも、ここ最近深見さんは普通ですし……さっきのシーンを見てたら、きっとみんな見直すと思いますよ」
「そうかなあ? いや俺、偉そうに言ってたけど反省したんだ。『相手に不愉快な思いをさせないよう全員が気遣う必要がある』なんてさ。今までの俺って気遣えてなかったよなあ、って」
はあとため息をつき、朔弥は胸の内を話した。気づいていなかったけれど、偉そうな口をきいていたのだからきっと相手は不快だっただろう。なのに自分のことは棚に上げて、上司に説教を垂れるとは。
「……まあ、最初の頃の深見さんは確かに見るに堪えない感じでしたけど」
「相変わらずどストレート」
「以前も言いましたが、相手を傷つけるようなことは言いませんでした。だから、同じじゃないと思います。あなたは心が優しいことを隠せてないんですよ」
華は朔弥の方を向いてしっかりとそう言った。まっすぐな視線に、朔弥は一瞬固まる。
眼鏡の奥の華の目は、どこか不思議な色をしている気がした。
「……ありがとうございました。私、上手くかわせなくて。助かりました」
「い、いや別にそんな大したことは……俺、偉そうじゃなかった?」
「はい、大丈夫です。満点なぐらいでしたよ」
「え、満点!?」
パッと笑顔になる朔弥。まるで褒められた犬みたいだ、と華は微笑む。
「大島さんも、喜んでいましたよね。あの後ゆっくり話せましたか?」
「あーうん……」
朔弥は曖昧な返事をした。
華が会計に行った直後、てっきり朔弥は席に座って飲むのかと思っていたのだが、美鈴に連れ出されて廊下に行った。なぜ廊下に? と不思議がる朔弥に、彼女はスマホを取り出して見せながらこう言った。
『スマホ直ったんです。ライン、交換しませんか?』
『え……』
まさかの提案に、朔弥は固まった。そして固まった自分に、驚いた。
以前は美鈴の可愛らしいビジュアルや態度に好感を持っていて、連絡先を尋ねた。あっけなく断られてしまい、その時はショックを受けて悲しんだのは記憶に新しい。
でも今、彼女からせっかく連絡先を聞かれたというのに、全く自分の心は跳ねなかったのだ。
戸惑っているのが向こうにも伝わったのか、美鈴は即座に言い換える。
『今度、何人かで飲みに行きませんか? グループ作りますよ!』
『あ、ああ……そっか』
そう言われたら断る理由などなく、朔弥は美鈴と連絡先を交換した。ラインにはしっかり彼女のアイコンが表示されている。
そんな光景を思い出しながら、朔弥は隣に座る華を見た。相変わらず背筋が伸び、綺麗な所作で食事をしている。
「まあ、ちょっと話しただけかな」
「そうなんですか……」
華はふと、以前美鈴がトイレで話していた発言を思い出す。彼女は朔弥の事をこう言っていた。
『だって私誕生日近いんだもん。ああいうのは案外、ねだるとすぐ買ってくれるよ』
……もし、朔弥がそんな風に扱われてしまったら……。
この人は中身は結構素直で純朴なところがあるから、好きな女性にねだられたら舞い上がって贈ってしまいそうな気もする……。
今度は華が朔弥の横顔を盗み見る。彼はグラスに入ったビールをゆっくり飲んでいた。男性らしい喉仏が上下するのを、なぜか綺麗だ、と思った。
見つめすぎてしまったのか、朔弥がふと華を見る。
「え、なに?」
「え!? い、いえ、あの……」
「うん」
「えーと……」
本当なら言ってやりたい。『あの人、あなたの事をこんな風に言ってたんですよ』と。
(でも、彼は大島さんが好きなんだし、そんなことを第三者に言われてもいやな気持になるよね……でも黙ってるのも……!)
誰だって好きな人を悪く言われれば気分を害するし、言った人間に不信感を覚える可能性がある。告げ口みたいなこと、出来ればしたくない。でも朔弥が利用されるのは耐えられない。
困った挙句、華はこう言った。
「もし女性にねだられても、高価なプレゼントは与えてはダメだと思います!」
「え、急になに!?」
「そういうのは付き合ってからじゃないと!!」
「わ、わかりました」
華の勢いに、とりあえず朔弥は頷く。まあ、彼女の言うことには間違いないだろうから、ちゃんと聞いておけばいい。でも何で今、そんなことを言い出したんだろう。そんな話、全然してなかったんだけど。
「俺、そんな貢ぎそうに見える?」
「え!? そ、そういうわけじゃないです。念のため言っておいただけです。都会には恐ろしい女性が大勢いますから」
「……ぶはっ。恐ろしい女性って」
朔弥は小さく吹き出して笑う。前も思ったけれど、この人って笑いのツボが浅いな、と華は思った。ただ、笑っている様子が少年みたいなので、彼のいい所だとも思う。
朔弥は笑いながらグラスに入ったビールを飲み干すと、ふと思い出したように華の方を向く。
「……そういえばさ」
「はい」
「佐々山さんのラインとか、聞いていいかな?」