拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由

「すみません、散らかってて……」

 華が恥ずかしそうに部屋を片付けた。とはいえ、朔弥から見れば十分片付いている綺麗な部屋だった。

 キッチンにちょっと朝食後の食器があったり、化粧品が置かれたりしているぐらいで、すっきりした部屋だ。

 初めて入る華の部屋に、朔弥はほぼ呆然とした顔で立ち尽くす。

(めっちゃ佐々山さんの部屋って感じ……)

 落ち着いた色味が多い家具。装飾品は少ないが、部屋の隅に小さなぬいぐるみやお洒落な芳香剤が飾ってある。

 どこかから、電車の中で嗅いだ甘い香りが漂ってきて、朔弥はまた無意識に息を止めた。

「すみません、適当に座ってください」

「は、はい。では」

 テレビの前にあった、ローテーブルの前に正座する。ガチガチに緊張してしまっている。

「深見さんコーヒーでいいですか?」

「あ、はい! お願いします!」

 華はキッチンでお湯を沸かし始める。朔弥はじろじろ見てはダメだと自分を止めつつ、ついちらちらと見てしまった。

(思っていた以上にヤバいものがあるな……佐々山さんの部屋に入るってなんかこう、言葉では言い表せない破壊力がある……)

 だがこれは自分に与えられた試練。

 頑張るんだ、自分!

 意気込む朔弥の目の前に、すっとクッキーが置かれた。見ると、華が微笑んでいる。

「ここのクッキー美味しいんです。よければ」

「あ、ありがとう……」

 少しして、華がコーヒーを持ってきた。華は向かいに座る。

「ごめんなさい、ミルクなくて……砂糖だけはあるんですが」

「ぜ、全然大丈夫。ありがとう」

 普段はブラックで飲むことはない朔弥だが、今日は気分を変えるためにブラックのまま飲んだ。苦い。苦すぎる。

 そのまま二人は無言でコーヒーを啜る。実は平気そうに見える華も、内心パニック状態なので、雑談など振れるはずもない。

(つい誘っちゃったけど……やっぱり今告白の返事をするのがいいかな……こんなタイミングそうそうないし。ただ、浩一のことでバタバタしてる最中だけど……)

 もやもやと悩んでいると、朔弥の方がおずおずと切り出した。

「働きにくいよね? 異動の希望とか考えてたりする?」

「え? あ……働きにくいのは本当にそうです。これから憂鬱ではありますが、かといって私が異動するのもなんかこう、悔しい気がするので」

「まあ、それはそうだよなあ。俺も佐々山さんがいなくなるのやだし」

 朔弥がさらりと言ったので、華はコーヒーを吹き出しそうになった。なんてストレートな言い方。

「こ、このまま諦めてくれるといいんですが。変な行動さえしなければ、一緒に働くのは仕方ないと思いますし」

「大人だなあ」

 浩一には言ったのだ。『好きな人がいる』と。

 ここまで言えばさすがに諦めるんじゃないかと思うが、どうだろう。

「明日以降、まだ変なことを言ってくるようなら上司に相談します」

「それがいい。むしろ警察の方がいいかも」

「さ、さすがに警察は……付きまといってほどじゃないから、動けない気がします」

「くそー! 逮捕出来たらいいのに!!」

 朔弥が大きく頭を抱えたので、華は笑ってしまった。私の事なのに、自分の事みたいに考えてくれてる。

 朔弥はため息をつきながらクッキーを一つ食べてみる。なるほど、とてもおいしい。

「これ美味しいね」

「ですよね。お気に入りで結構買うんです。ケーキ屋さんのクッキーなんですけど」

「佐々山さん、結構甘い物好きだもんね。どこのケーキ屋?」

「会社の近くなんですけど……」

 華はスマホを取り出して検索を掛けてみる。ページが出てきたので、それをテーブルに置いて朔弥に見せる。

「ここです、ここ」

「あ、見たことあるかも!」

 二人でスマホを覗き込む。だがすぐにお互い、顔が接近したことに気が付いた。

 同時に顔を上げて、目が合う。

 そしてまた同時にのけぞった。

「ご、ごめん!」

「こ、こちらこそ!」

 一気に鼓動が早くなったのを自覚しながら、朔弥は必死にケーキ屋に話題を戻した。

「こ、ここ見たことあるけど入ったことなかった! 俺チョコレートケーキが好きなんだけどおいしそう!」

「この前のお店でもチョコレートケーキ頼んでましたも……」

 言いかけて、その店で告白を受けたことを思い出して華が口籠る。それに朔弥もすぐに気が付いた。

 二人して沈黙を流してしまう。

(……今は告白の返事どころじゃないよな。俺は気になるけど、せかす真似はしたくない……)

 朔弥はコーヒーをぐっと飲む。

 すると華が静かに切り出す。

「……深見さんって優しいですよね」

「へ!? 俺?」

「はい。凄く、優しいです」

 こんなところまで送ってくれて、家に上がるそぶりも見せず、告白の返事を急かすこともしない。

 なぜここまで私を、と思ってしまうくらい。

「そんなつもりないけど……佐々山さんがそう思ってくれてるならよかった」

 そう言って、彼は目じりに皺を作って笑った。どこか子供っぽくて、人懐っこい笑顔だった。

 その笑顔を見て華は肩の力が抜ける。自分もコーヒーを飲もうとして、つるりと手が滑った。マグカップがごとんとテーブルの上で横たわる。

「あっ!」

「うおっ、ラグが!!」

 コーヒーはテーブルの上で派手に零れた。朔弥は反射的に手を差し出し、コーヒーが床に零れるのを阻止する。華は慌ててマグカップを戻すと、近くに置いてあったティッシュを数枚手にして朔弥の方へ回る。

 彼は両手で見事にコーヒーを受け止めていた。ほとんどテーブルの上に零したので、床に落ちる分はほんの少しだったのが幸いした。

「すみません深見さん!」

「おお、ギリギリセーフ……!」

 急いで朔弥の手を拭き、テーブルの上も持ってきた布巾で綺麗に拭く。朔弥は念入りにラグに零れていないかチェックしている。ラグは白に近いベージュだったので、コーヒーが零れたら悲惨なことになっていた。

 朔弥はふうーっと息を吐く。

「よかったー下に零れてない!」

「ありがとうございます。凄い反射神経で……ふふっ」

 言いかけて華は吹き出す。テーブルを拭きながら、抑えきれない笑いをこぼした。

「ふふっ……深見さん、凄い……コーヒーを手で受け止めてて……あはっ」

「ははは……無我夢中で」

 二人は並んで笑いだす。緊張がぐっとほぐれ、和やかな雰囲気になった。

 ひとしきり笑った後、華はもう一度テーブルを拭きながら穏やかに話し出す。

「私……仕事を辞めようとしてたじゃないですか。知らない間に婚約破棄の噂が出回ってたことに耐えられなかったのが一番大きいけれど、そこまでこの職場にこだわる必要がないと思ったのも大きいんです。仕事内容は結構好きだけど、かといってそれが生きがいというほどでもない。ただ淡々と毎日が過ぎるだけの場所だったから、転職も悪くないかな、って……」

 人付き合いが苦手な自覚もある。友達はいつでも狭く浅くのタイプで、学生時代の友人が数人いるだけ。今の会社も務めて結構経つというのに、さほど仲がいい人はいない。

 だから辞めることに抵抗はなかった。もちろん転職は面倒でエネルギーがいることなので、出来れば避けたいことではあったが、自分を強く引きとめるものは何もなかったのだ。

「でも……今は前より楽しいです。深見さんがいてくれるから」
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