拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由
「同じ男として恥ずかしいよ、お前」

「……俺、そんな間違えてたの……?」

「間違いしかしてないよ」

 そう言い捨てた朔弥は、華に優しい声で『行こう』と言った。だが華が、朔弥を止める。

「待ってください深見さん。……警察までは」

 その言葉を聞いて、ぱあっと浩一の顔が明るくなる。

「華! やっぱり……!」

「証拠はあるからいつでも使えます。これを公にされたくないなら、もう二度と私の目の前に現れないって言って」

 華は強い目で浩一を見た。浩一がぐっと口籠る。

(警察に行ってもそこまで重い罪にならないかもしれない。それに逆恨みも怖い……深見さんも巻き込むことになる)

 だったらこれを武器にした方がいいのかもしれない。華はそう考えたのだ。

 華は続ける。

「仕事はもちろん今すぐ辞めて。遠くへ引っ越して。実家のそばにでも行って。そして、二度と私たちに接触してこないで」

「は、華……」

「これはたくさんコピーしておくね。まだあなたに少しでも正気の部分が残っているのなら、私の言う通りにした方がいいって分かってるはず。今、大人しく引き下がるのが一番いいよね」

 華の提案に、朔弥が心配そうに尋ねる。

「佐々山さん、それでいいの? 怖い思いをしたのは君なのに」

「許すわけじゃないです。ただ、この形にするのが一番自分の心配が少ないと思ったんです」

 大事にしたくない。騒ぎになったら深見さんのことも巻き込むだろうし……。

 華はそっと朔弥の手を握る。

「深見さんが助けてくれたから……もういいんです」

 呟いた華の顔は優しく、そして穏やかだった。



 そんな華を、浩一は離れた場所から呆然と眺めていた。

(……昔の華は俺にも、こんな顔してくれてたのに……)

 華はよくあんな顔を自分に向けてくれていた。幸せそうで、嬉しそうで、普段はどちらかというとクールな感じなので、その違いが可愛いと思った。
 
 でも付き合いが長くなると、その愛らしい顔も『普通』に思えてしまって、近くにいた他の女性が新鮮に思えた。その子は美人だったし、そんな子に言い寄られるなんて自分は結構イケるんだな、なんて思って。

 その結果がこれだ。

 そして今、華は――あの顔を、違う男に向けている。

 浩一は深く俯いた。ようやく悟ったのだ。

 華はもう一切、自分に気持ちがないと。

「……でした」

 浩一が囁くように言った。

「すみません……でした」

 初めて出た心からの謝罪だった。

 自分はもう華にとってとっくに過去の人間で、関わってはいけないのだと痛感した。彼女はすでに新しい恋愛を始めていた。

(なんで……あのまま華と結婚しなかったんだろう)

 多分、無意識に自分は華を見下していたんだと思う。

 華は物静かで派手ではなくて、自分とは正反対だった。初めて付き合ったのは自分だったし、自分を好いてくれていたと自覚があったので、優位に立ったつもりだった。そこでちょっ外見が綺麗な女性に言い寄られて、自分に相応しいのはこっちだと舞い上がった。

 周囲は反対した。でも聞かなかったのは自分。全部失ってから初めて間違っていたんだと気づいたが、もちろん全て遅い。

 でもまだ別れて半年だし、華なら自分を許してくれるはず――そんな思いで連絡を取ったがブロックされていて連絡は取れない。ならばと華の会社に転職した。前の職場ではもう居場所がなかったので丁度よかったし、ここで転職活動が成功したのは運命だと信じて疑わなかった。

 そして再会したが……自分と離れてからの方が、華はずっと綺麗になったし楽しそうだった。

「すみませんでした……」

 再び浩一は謝った。

 華を見下していたことも、浮気をしたことも、ここまで追ってきてしまったことも。

 初めて全て間違いだと気づけた。

 朔弥が苦々しい表情をする。

「今更謝っても……とは思うけど、ないよりましなのかな。じゃあ、佐々山さんが言うようにしよう。でも俺もこのデータは持っておくし、一生捨てないと言っておく。佐々山さんに何かあったらお前は全部終わりだと思ってろ」

「……分かりました」

「それでいいんだね?」

 朔弥が華に尋ねた。華は小さく頷く。

 それを見た浩一が、恐る恐る華に一つ質問した。

「あの……一個だけ、聞いてもいいかな……」

「……なに」

「華がこんなに綺麗になったのって、やっぱりそいつのおかげなの……?」

 半年前までは化粧もあまりしなかったし、服だって地味な色が多かった。それで正反対の女性と浮気をしたわけだが。

 華はじっと浩一を見ながら答える。

「そう。深見さんが、応援してくれたから」

「……そっか」

「だってあなたは、私が何かお洒落をした時に笑ったよね。『華はいつも通りがいいよ』って」

 浩一が驚いたように目を見開いた。

「……え? 俺……?」

「何度もあったよ。だから、私は変わるのが怖かった。言い訳だと言われればそれまでだけどね。でも、深見さんは褒めてくれたよ。だから私は今、凄く楽しくやれてる」

 浩一はわなわなと体を震わせた。

(全然覚えてない……俺がいったのか? でも言われてみれば、そんな事があったかも……)

 地味な華を見て優越感に浸っていると思っていた。あの頃は、綺麗にしない華のせいで浮気してしまったんだとも思っていた。

 でもそれすら全部、自分が仕向けていたのか。しかもほぼ無意識に……。

 愕然とする浩一に、朔弥が言う。

「さて。お前には他にもいろいろ聞いておきたいことがあるんだけど」

 冷たい声に、浩一が怯えたような目で朔弥を見た。朔弥は鋭い目で浩一を睨みながら続ける。

「本当に謝罪の気持ちがあるなら、ぜーんぶ話すよなあ? 包み隠さず、俺の質問に全部」

 低い声は怒りを何とか抑えているのが伝わってくる。その威圧感に、浩一は小さく頷くしか出来なかった。


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