Bitter Peach
4.二人での食事
久しぶりの何もない朝は、目覚ましをかけずに遅くまで寝ていた。カーテンの隙間から差し込む朝陽に顔を照らされ、頭痛がしたのもあって眩しさに布団を頭まで被る。そしてしばらく経ってから、ゆっくり目を開けて布団から顔を出した。
(ここは……あっ、そういえばっ!)
輝生とルームシェアを始めたことを今さら思い出して、柚月は慌てて起き上がった。そしてそのままキッチンへ行こうとして、素っぴんパジャマの寝癖頭なのに気づいて慌てて髪だけといた。
そっと部屋のドアを開けて廊下に出て、階段を下りた。なるべく音をたてないようにして歩いたけれど、どこからも輝生の気配がしてこない。輝生が何時に出掛けるのか聞いていなかったけれど──、異動で新しい職場なので早くに出掛けたのかもしれない。
なぜか少しだけ安心してリビングに入ると、テーブルの上にハムと目玉焼きとキュウリが数切れ用意されていた。柚月が何時に起きるか分からないので軽めにしておいた、と置き手紙もあった。食パンは袋に入ったままで、自分で焼け、ということらしい。
顔を洗って目を覚まし、簡単にインスタントの珈琲を入れた。食パンをトースターで焼いて、桃のジャムを塗る。珈琲をひとくち飲んでから、目玉焼きの白身から食べる。最後にとっておいた黄身は、またちょうど良い固さで思わず目を閉じた。
片付けをして部屋に戻ってから、『朝食ありがとうございました。晩ご飯、簡単で良ければ作ります』と輝生にLINEした。今週は輝生が食事当番だったけれど、必ずというわけではないし、勤務初日なので帰りが遅くなる可能性もある。
輝生の勤務が三パターンあることは、昨日の夜に聞いた。柚月が卒業式のあと友人たちと別れて帰宅すると、輝生は少しだけ豪華な食事を用意してくれていた。
『え……これ全部、作ったんですか?』
『そうだけど。卒業式って言ってたし。あんたに特に興味はないけど、最低限のことはいろいろ知っときたいし、言っときたいし。ご飯炊いてるけど、お酒飲むなら冷えてるよ』
冷蔵庫を開けると、すぐ見えるところに柚月が飲めそうなお酒の缶が何本か冷えていた。
『若い子ってカクテルとかチューハイのイメージなんだけど』
『そうです……』
『どうする? あとにする? 俺は今飲むけど』
言いながら輝生は柚月の隣に立って頭の上へヒョイと手を伸ばし、冷蔵庫の高いところからビールの缶を二本出した。高身長を自慢されたように思えたけれど、そんなことを気にしても何も始まらない。
『……一本だけ。ありがとうございます』
生活にかかるお金は全て、誰が出したか気にしないことに決めていた。輝生は既に収入があるし、柚月もきっと安定して稼ぐ。
簡単に着替えて柚月がリビングに戻ってから、とりあえず乾杯した。二人での食事にはまだ慣れていないけれど、お酒があれば話しやすくなるかもしれないと思った。
『三パターン?』
『明日からのところがどうかはまだ分からないけど、今までの店はそうだったな。早番と遅番と、ぶっ通しの日』
『ぶっ通しって、朝から晩までですか?』
『そう。閉店まで。体力消耗するから、次の日は休む』
『ふぅん……』
『柚月は、大学で専攻は何だったの?』
『心理学です』
『へぇ。仕事は?』
『食品メーカーの、たぶん事務です』
それならたぶん夕方には終わるな、と言いながら輝生は唐揚げを口に放り込み、ビールを飲んだ。
『ビールって、美味しいんですか?』
『……好みでしょ、何でも。まぁ、苦手な人はよく〝苦い〟って言うけど。俺だって、甘い酒は受け付けない』
輝生は食べ物の好き嫌いもアレルギーも何もないようで、テーブルに並んだ料理を黙って食べていた。静かすぎて気まずいけれど、特に話題がない。なんとなくつけたテレビでローカル番組を見ていると、近くのデパートの高級スイーツを紹介していた。
『美味しそう……』
『──ほんとだ』
それは、想定外の反応だった。
『田﨑さんって、甘いもの好きなんですか? さっき、甘いお酒は』
『甘い酒は受け付けない。でも、ケーキとかはばあちゃんがよく出してくれてて、喜んで食べてたな』
それより和菓子が多かったか、と言いながら、輝生はビールに合いそうなものを主に食べていた。柚月が箸を止めてテレビと輝生の食べっぷりを交互に見ていると、早く食べろ、と怒られてしまった。
簡単に世間話をしながら食事をしたあと、輝生から〝ビール三本目を飲むから付き合え〟と言われ、柚月は冷蔵庫を開けた。飲みやすそうなもの、と選んだピーチカクテルを手にとって、続いて輝生のビールを取ろうとしたけれど、冷蔵庫のいちばん高いところの奥の方には残念ながら手が届かなかった。
『悪い悪い、俺が取る』
食事前は気にならなかったけれど、輝生からはとても良い匂いがしていた。けれど柚月は既に酔っていたので、何の匂いなのかは分からなかった。服から洗剤の香りかもしれないし、髪からシャンプーの香りかもしれない。もしかすると香水かもしれないけれど料理をしたあとの油のにおいも混ざっているし、実際何なのかはよく分からない。
『柚月、俺の職場の近く、行ったことある?』
『はい。たまに、ですけど』
『じゃあ教えて、店の周りのこと知っときたい』
柚月はスマホで地図を見ながら、輝生が勤務する店の周辺の情報を教えた。輝生は車通勤らしいけれど、電車で行く場合の乗換駅や駅構内の複雑さも伝えておいた。
酔った状態で地図アプリのストリートビューを見ていたせいか、柚月は気分が悪くなって、部屋に入ってそのまま寝てしまった。起きたときに頭痛がしたのは、きっと二日酔いだ。
そういえば輝生から良い匂いがしたな、と思い出したけれど、やはり何の匂いなのかは分からなかったし、分かったところでどうでも良かった。
寝ている間に直幹からLINEが届いていて、卒業おめでとう、というスタンプと、次に会えそうな日の候補が書かれていた。柚月は月末まで何もないのでいつでも良いけれど、直幹は仕事があるので候補はいつも通り週末だ。直幹は就職してすぐは近くで働いていたけれど、柚月が大学四年になったとき少し遠くの社員寮へ引っ越してしまった。だから最近のデートは特に、土曜日の夜に直幹が泊まりで来ることが増えた。
直幹とのことを考えて、思わず顔が緩んでいたけれど。
昼過ぎに輝生から『朝はちゃんと起きろ』と連絡が来て、社会人になれないな、とひとり反省した。
(ここは……あっ、そういえばっ!)
輝生とルームシェアを始めたことを今さら思い出して、柚月は慌てて起き上がった。そしてそのままキッチンへ行こうとして、素っぴんパジャマの寝癖頭なのに気づいて慌てて髪だけといた。
そっと部屋のドアを開けて廊下に出て、階段を下りた。なるべく音をたてないようにして歩いたけれど、どこからも輝生の気配がしてこない。輝生が何時に出掛けるのか聞いていなかったけれど──、異動で新しい職場なので早くに出掛けたのかもしれない。
なぜか少しだけ安心してリビングに入ると、テーブルの上にハムと目玉焼きとキュウリが数切れ用意されていた。柚月が何時に起きるか分からないので軽めにしておいた、と置き手紙もあった。食パンは袋に入ったままで、自分で焼け、ということらしい。
顔を洗って目を覚まし、簡単にインスタントの珈琲を入れた。食パンをトースターで焼いて、桃のジャムを塗る。珈琲をひとくち飲んでから、目玉焼きの白身から食べる。最後にとっておいた黄身は、またちょうど良い固さで思わず目を閉じた。
片付けをして部屋に戻ってから、『朝食ありがとうございました。晩ご飯、簡単で良ければ作ります』と輝生にLINEした。今週は輝生が食事当番だったけれど、必ずというわけではないし、勤務初日なので帰りが遅くなる可能性もある。
輝生の勤務が三パターンあることは、昨日の夜に聞いた。柚月が卒業式のあと友人たちと別れて帰宅すると、輝生は少しだけ豪華な食事を用意してくれていた。
『え……これ全部、作ったんですか?』
『そうだけど。卒業式って言ってたし。あんたに特に興味はないけど、最低限のことはいろいろ知っときたいし、言っときたいし。ご飯炊いてるけど、お酒飲むなら冷えてるよ』
冷蔵庫を開けると、すぐ見えるところに柚月が飲めそうなお酒の缶が何本か冷えていた。
『若い子ってカクテルとかチューハイのイメージなんだけど』
『そうです……』
『どうする? あとにする? 俺は今飲むけど』
言いながら輝生は柚月の隣に立って頭の上へヒョイと手を伸ばし、冷蔵庫の高いところからビールの缶を二本出した。高身長を自慢されたように思えたけれど、そんなことを気にしても何も始まらない。
『……一本だけ。ありがとうございます』
生活にかかるお金は全て、誰が出したか気にしないことに決めていた。輝生は既に収入があるし、柚月もきっと安定して稼ぐ。
簡単に着替えて柚月がリビングに戻ってから、とりあえず乾杯した。二人での食事にはまだ慣れていないけれど、お酒があれば話しやすくなるかもしれないと思った。
『三パターン?』
『明日からのところがどうかはまだ分からないけど、今までの店はそうだったな。早番と遅番と、ぶっ通しの日』
『ぶっ通しって、朝から晩までですか?』
『そう。閉店まで。体力消耗するから、次の日は休む』
『ふぅん……』
『柚月は、大学で専攻は何だったの?』
『心理学です』
『へぇ。仕事は?』
『食品メーカーの、たぶん事務です』
それならたぶん夕方には終わるな、と言いながら輝生は唐揚げを口に放り込み、ビールを飲んだ。
『ビールって、美味しいんですか?』
『……好みでしょ、何でも。まぁ、苦手な人はよく〝苦い〟って言うけど。俺だって、甘い酒は受け付けない』
輝生は食べ物の好き嫌いもアレルギーも何もないようで、テーブルに並んだ料理を黙って食べていた。静かすぎて気まずいけれど、特に話題がない。なんとなくつけたテレビでローカル番組を見ていると、近くのデパートの高級スイーツを紹介していた。
『美味しそう……』
『──ほんとだ』
それは、想定外の反応だった。
『田﨑さんって、甘いもの好きなんですか? さっき、甘いお酒は』
『甘い酒は受け付けない。でも、ケーキとかはばあちゃんがよく出してくれてて、喜んで食べてたな』
それより和菓子が多かったか、と言いながら、輝生はビールに合いそうなものを主に食べていた。柚月が箸を止めてテレビと輝生の食べっぷりを交互に見ていると、早く食べろ、と怒られてしまった。
簡単に世間話をしながら食事をしたあと、輝生から〝ビール三本目を飲むから付き合え〟と言われ、柚月は冷蔵庫を開けた。飲みやすそうなもの、と選んだピーチカクテルを手にとって、続いて輝生のビールを取ろうとしたけれど、冷蔵庫のいちばん高いところの奥の方には残念ながら手が届かなかった。
『悪い悪い、俺が取る』
食事前は気にならなかったけれど、輝生からはとても良い匂いがしていた。けれど柚月は既に酔っていたので、何の匂いなのかは分からなかった。服から洗剤の香りかもしれないし、髪からシャンプーの香りかもしれない。もしかすると香水かもしれないけれど料理をしたあとの油のにおいも混ざっているし、実際何なのかはよく分からない。
『柚月、俺の職場の近く、行ったことある?』
『はい。たまに、ですけど』
『じゃあ教えて、店の周りのこと知っときたい』
柚月はスマホで地図を見ながら、輝生が勤務する店の周辺の情報を教えた。輝生は車通勤らしいけれど、電車で行く場合の乗換駅や駅構内の複雑さも伝えておいた。
酔った状態で地図アプリのストリートビューを見ていたせいか、柚月は気分が悪くなって、部屋に入ってそのまま寝てしまった。起きたときに頭痛がしたのは、きっと二日酔いだ。
そういえば輝生から良い匂いがしたな、と思い出したけれど、やはり何の匂いなのかは分からなかったし、分かったところでどうでも良かった。
寝ている間に直幹からLINEが届いていて、卒業おめでとう、というスタンプと、次に会えそうな日の候補が書かれていた。柚月は月末まで何もないのでいつでも良いけれど、直幹は仕事があるので候補はいつも通り週末だ。直幹は就職してすぐは近くで働いていたけれど、柚月が大学四年になったとき少し遠くの社員寮へ引っ越してしまった。だから最近のデートは特に、土曜日の夜に直幹が泊まりで来ることが増えた。
直幹とのことを考えて、思わず顔が緩んでいたけれど。
昼過ぎに輝生から『朝はちゃんと起きろ』と連絡が来て、社会人になれないな、とひとり反省した。