Bitter Peach
5.咄嗟の判断
輝生とルームシェアを始めて二回目の土曜日の午後、柚月は久々におしゃれをしてからリビングに下りた。普段より念入りに化粧をして、友人と会うときには着ないような上品な膝丈のワンピースを着た。外はまだ少し肌寒いけれど、おしゃれのためには我慢も必要だ。
輝生は早番だったので、柚月が朝食をとっている間に車で出掛けていった。
『いい加減、諦めたら? たぶんそんな変わらないし。気にしないし』
ルームシェアを始めて少し経った頃、素っぴんを隠し続ける柚月に輝生が無表情で言った。
『いつまで続くか分からないけど、気にしてたら疲れるぞ。どうしても嫌なら止めないけど』
柚月はこれまで──化粧をするようになってから──ある程度の知人男性に素っぴんを見せたことはなかった。けれど輝生とルームシェアをしている以上、見せることになる日はいつか来てしまう。仮に体調不良で寝込んだとして、看病してくれると言う彼に〝着替えるまで待て〟と言うわけにはいかないし、そんな元気もない。直幹にも素っぴんを見せたことはまだないけれど、柚月は開き直って輝生には気を遣わないことに決めた。
ワンピースに合うお気に入りのパンプスを履いて、柚月は最寄りの駅へ行った。直幹からは〝家まで迎えに行く〟と連絡が来ていたけれど、そんなわけにはいかなかった。場所が知られるくらいなら良いけれど、敷地内に停めてある輝生の車を見られたり、中に入って男の気配を感じられるのも避けたかった。柚月は車の運転免許を取っていないので、車があるのは不審に思われる。
「柚月! こっち!」
「……直幹!」
ロータリーに停めてあった一台の車から直幹が顔を出した。彼の笑顔に誘われて、柚月は小走りで彼の車へ向かう。運転席のほうへ行こうとしたけれど、直幹が窓を閉めて助手席のドアを開けてくれたので慌てて向きを変えた。
「ごめん遅くなって。待った?」
「ううん。俺も今来たとこ。これ、はい。卒業祝い」
「えっ、ありがとう! 開けて良い?」
助手席に座ると、直幹が後部座席から紙袋を出した。包みを開いて中身を出すと、ピンク色のシャボンフラワーが入っていた。
「柚月、引っ越したって言ってたし、使うまではインテリアになるやん?」
「うん、もったいないからしばらく飾る! ありがとう!」
引っ越しの荷物はだいたい片付いて家具家電もだいたい揃ったけれど、装飾がないので殺風景な気がしていた。シャボンフラワーは共有部分ではなく、柚月の部屋に飾る。どこに飾ろうか考えながら、袋に入れてとりあえず後部座席に置く。
お腹が空いたのでまずは食事に、近くのレストランへ行った。メニューをパラパラ捲りながら柚月が悩んでいると、今日は卒業祝いで奢るから良いものを選べ、と直幹が言った。
「えっ、いつも奢ってくれてるやん」
学生のときもそうだったし、直幹が就職してからは特に、割り勘にすると言われたことはない。
「ははっ、そうやな……でもいつも、気にして安いの選んでるやろ?」
「それは……」
「今日はそれ無しな? あと──他のとこ行っても、俺が出すから」
「良いよ、私も出すって」
「柚月──俺、これでも社会人やからな? まだまだぺーぺーやけど貯金もできてるし、何より俺が出したい」
「……わかった。ありがとう」
柚月は素直に直幹に奢られることにして、改めてメニューを見た。良いものを、と言われてもそれほど高いメニューはないし、一番高額なものは柚月の好物ではなかった。最初に候補に挙げていた中から高いものと、食後にデザートをつけることで直幹は満足してくれた。
近くのショッピングモールで時間を潰したあと、早めの夕食をとった。昼食からあまり時間が経っていないので、食べる量も少ない。だから必然的に滞在時間も短くなってしまったので今度は少しドライブをして、お酒が飲める店に行くことになった。帰りは飲酒運転になってしまうので、車は直幹が泊まるホテルに停めて二人で歩いて出た。
「こんな近くに泊まってたんかぁ」
「柚月、どこに住んでるん? 近く? 迎えに行ったのに」
「まぁ、近いけど、一人じゃないし……」
「そういえばルームシェアって言ってたな」
ホテルの駐車場を出て、今度は二人で駅前のバー『MOON』に入っていた。来たのは二人とも初めてだったけれど、柚月は今の家に引っ越した頃から気になっていた店だ。
「ルームシェアって、どうなん? 気つかえへん?」
直幹の質問に、柚月は「うーん」と言いながら少しだけ首を傾げた。手元には注文したピーチソーダが届けられた。
「最初は気つかったけど、気にしすぎてもしんどいし、そろそろ慣れたかなぁ」
「そんなもん?」
「うん。生活リズム違うから朝と夜くらいしか会わんし、そんなに思ったよりは気にならんかも」
意外と大丈夫だ、と笑う柚月につられて、それなら良かった、と直幹も頬を緩めた。相手は年上、とだけ伝えると、それなら家事も教えてもらえるな、とまた直幹は笑った。
直幹が注文したハイボールが届けられたとき、カウンターの中にいたマスターが入口のほうを見た。客が入ってきたようで、柚月も何気なく入口のほうを見た。
そして、少しだけ口を開けて固まってしまった。
「あっ──」
「ん? 柚月、知り合い?」
「知り合いというか……たまに会う人」
入ってきたのは、輝生だった。けれどまさか彼がルームシェアの相手だとは言えないので、とっさに嘘をついた。輝生も柚月の思いを察したのか、直幹に軽く会釈をしただけで遠くの席に着いた。
「あの人、お洒落やなぁ」
「……男から見てもそうなん?」
「そうやなぁ。俺もそんなに詳しいほうじゃないけど、高そうなスーツ着てるな」
「ふぅん……」
柚月が何も考えずに輝生のほうを見ていると、直幹に〝他の男を見るな〟と怒られてしまった。輝生のスーツはいくらでも、帰ってから見せてもらえるはずだ。
「ごめん、スーツ見てただけ」
柚月は慌てて直幹に向き直り、夏に旅行しないか、と提案した。本当は春に行きたかったけれど、時間とお金の余裕がなかった。
そのあと輝生のほうを見ないようにして二人の時間を過ごし、店の客が増えてきた頃に、また輝生のほうは見ないようにして一緒に店を出た。直幹はまだ柚月と離れたくなかったようで、泊まっているのとは違うタイプのホテルに行くことを提案してきた。柚月もまだ帰りたくなかったので、直幹の誘いを受けることにした。
輝生は早番だったので、柚月が朝食をとっている間に車で出掛けていった。
『いい加減、諦めたら? たぶんそんな変わらないし。気にしないし』
ルームシェアを始めて少し経った頃、素っぴんを隠し続ける柚月に輝生が無表情で言った。
『いつまで続くか分からないけど、気にしてたら疲れるぞ。どうしても嫌なら止めないけど』
柚月はこれまで──化粧をするようになってから──ある程度の知人男性に素っぴんを見せたことはなかった。けれど輝生とルームシェアをしている以上、見せることになる日はいつか来てしまう。仮に体調不良で寝込んだとして、看病してくれると言う彼に〝着替えるまで待て〟と言うわけにはいかないし、そんな元気もない。直幹にも素っぴんを見せたことはまだないけれど、柚月は開き直って輝生には気を遣わないことに決めた。
ワンピースに合うお気に入りのパンプスを履いて、柚月は最寄りの駅へ行った。直幹からは〝家まで迎えに行く〟と連絡が来ていたけれど、そんなわけにはいかなかった。場所が知られるくらいなら良いけれど、敷地内に停めてある輝生の車を見られたり、中に入って男の気配を感じられるのも避けたかった。柚月は車の運転免許を取っていないので、車があるのは不審に思われる。
「柚月! こっち!」
「……直幹!」
ロータリーに停めてあった一台の車から直幹が顔を出した。彼の笑顔に誘われて、柚月は小走りで彼の車へ向かう。運転席のほうへ行こうとしたけれど、直幹が窓を閉めて助手席のドアを開けてくれたので慌てて向きを変えた。
「ごめん遅くなって。待った?」
「ううん。俺も今来たとこ。これ、はい。卒業祝い」
「えっ、ありがとう! 開けて良い?」
助手席に座ると、直幹が後部座席から紙袋を出した。包みを開いて中身を出すと、ピンク色のシャボンフラワーが入っていた。
「柚月、引っ越したって言ってたし、使うまではインテリアになるやん?」
「うん、もったいないからしばらく飾る! ありがとう!」
引っ越しの荷物はだいたい片付いて家具家電もだいたい揃ったけれど、装飾がないので殺風景な気がしていた。シャボンフラワーは共有部分ではなく、柚月の部屋に飾る。どこに飾ろうか考えながら、袋に入れてとりあえず後部座席に置く。
お腹が空いたのでまずは食事に、近くのレストランへ行った。メニューをパラパラ捲りながら柚月が悩んでいると、今日は卒業祝いで奢るから良いものを選べ、と直幹が言った。
「えっ、いつも奢ってくれてるやん」
学生のときもそうだったし、直幹が就職してからは特に、割り勘にすると言われたことはない。
「ははっ、そうやな……でもいつも、気にして安いの選んでるやろ?」
「それは……」
「今日はそれ無しな? あと──他のとこ行っても、俺が出すから」
「良いよ、私も出すって」
「柚月──俺、これでも社会人やからな? まだまだぺーぺーやけど貯金もできてるし、何より俺が出したい」
「……わかった。ありがとう」
柚月は素直に直幹に奢られることにして、改めてメニューを見た。良いものを、と言われてもそれほど高いメニューはないし、一番高額なものは柚月の好物ではなかった。最初に候補に挙げていた中から高いものと、食後にデザートをつけることで直幹は満足してくれた。
近くのショッピングモールで時間を潰したあと、早めの夕食をとった。昼食からあまり時間が経っていないので、食べる量も少ない。だから必然的に滞在時間も短くなってしまったので今度は少しドライブをして、お酒が飲める店に行くことになった。帰りは飲酒運転になってしまうので、車は直幹が泊まるホテルに停めて二人で歩いて出た。
「こんな近くに泊まってたんかぁ」
「柚月、どこに住んでるん? 近く? 迎えに行ったのに」
「まぁ、近いけど、一人じゃないし……」
「そういえばルームシェアって言ってたな」
ホテルの駐車場を出て、今度は二人で駅前のバー『MOON』に入っていた。来たのは二人とも初めてだったけれど、柚月は今の家に引っ越した頃から気になっていた店だ。
「ルームシェアって、どうなん? 気つかえへん?」
直幹の質問に、柚月は「うーん」と言いながら少しだけ首を傾げた。手元には注文したピーチソーダが届けられた。
「最初は気つかったけど、気にしすぎてもしんどいし、そろそろ慣れたかなぁ」
「そんなもん?」
「うん。生活リズム違うから朝と夜くらいしか会わんし、そんなに思ったよりは気にならんかも」
意外と大丈夫だ、と笑う柚月につられて、それなら良かった、と直幹も頬を緩めた。相手は年上、とだけ伝えると、それなら家事も教えてもらえるな、とまた直幹は笑った。
直幹が注文したハイボールが届けられたとき、カウンターの中にいたマスターが入口のほうを見た。客が入ってきたようで、柚月も何気なく入口のほうを見た。
そして、少しだけ口を開けて固まってしまった。
「あっ──」
「ん? 柚月、知り合い?」
「知り合いというか……たまに会う人」
入ってきたのは、輝生だった。けれどまさか彼がルームシェアの相手だとは言えないので、とっさに嘘をついた。輝生も柚月の思いを察したのか、直幹に軽く会釈をしただけで遠くの席に着いた。
「あの人、お洒落やなぁ」
「……男から見てもそうなん?」
「そうやなぁ。俺もそんなに詳しいほうじゃないけど、高そうなスーツ着てるな」
「ふぅん……」
柚月が何も考えずに輝生のほうを見ていると、直幹に〝他の男を見るな〟と怒られてしまった。輝生のスーツはいくらでも、帰ってから見せてもらえるはずだ。
「ごめん、スーツ見てただけ」
柚月は慌てて直幹に向き直り、夏に旅行しないか、と提案した。本当は春に行きたかったけれど、時間とお金の余裕がなかった。
そのあと輝生のほうを見ないようにして二人の時間を過ごし、店の客が増えてきた頃に、また輝生のほうは見ないようにして一緒に店を出た。直幹はまだ柚月と離れたくなかったようで、泊まっているのとは違うタイプのホテルに行くことを提案してきた。柚月もまだ帰りたくなかったので、直幹の誘いを受けることにした。