指先で君を覚えている

触れてはいけない距離

そらが来なくなってから、図書館の時間は少しだけ長く感じられた。

机の上に置かれたままの点字器は、もう誰の言葉も待っていないみたいだった。

るみは何度も手を伸ばしかけては、やめた。

書きたい言葉が多すぎて、どれから触れればいいのかわからなかった。

「好き」

その一言が、頭の中で何度も浮かんでは消える。

でもそれは、まだ形にならなかった。

それでもある日、るみは点字器の前に座った。

逃げるみたいに、息を整えてから。

そして打ち始める。

一文字ずつ。

迷いながら、でも止めずに。



そらへ



それだけで、指が一度止まった。

けれど戻さない。

続ける。



会わないって言った理由、少しだけわかった気がする

でもね、それでも私は書くよ



そこから先は、手が震えた。

好き、という言葉はまだ打てない。

代わりに、別の言葉を重ねる。



あなたの歌を聞くと、心が動くの

あなたの言葉じゃなくて、声そのものが



ここでまた止まる。

そして、最後に一行だけ、静かに打った。



ちゃんと、もう一度会いたい



るみはそれを見つめて、しばらく動けなかった。

そしてゆっくりと封筒に入れる。

点字の手紙は、受付の女性にそっと預けられた。

「これ、もし小鳥遊そらさんが来たら渡してください」

受付の女性は何も聞かずにうなずいた。



数日後。

そらは、久しぶりに図書館へ来た。

足音は少しだけ迷っていた。

入ってすぐ、受付に声をかける。

「……ここに、手紙来てますか」

女性は少しだけ間を置いてから、小さくうなずいた。

そして、一通の封筒を差し出す。

そらの指が、それに触れた瞬間。

空気が変わった。

いつもの紙じゃない。

これは“待っていたもの”だった。

そらはその場で封を開ける。

点字を、指でなぞる。

一文字ずつ。

ゆっくりと。

最初は静かだった。

でも途中から、呼吸が少しだけ乱れる。

指が止まる。

そしてまた動く。



「会わないって言った理由、少しだけわかった気がする」

その一文で、そらは一度目を伏せた。

違う。

違うんだ。

そう思いながら、でも読み続ける。



そして最後の一行。

「ちゃんと、もう一度会いたい」



そらは、しばらく動けなかった。

そのまま受付に向かう。

「……これ書いた人、まだここにいますか」

受付の女性は少しだけ困った顔をして、首を振る。

「今日は……いないみたいです」

そらは小さく息を吐く。

そして、何かを決めるみたいに言った。

「じゃあ、伝えてください」

「次、会えたら」

言葉を一度切る。

喉の奥で、何かが詰まる。

でも、それでも言う。



「もう離れないって、言います」



そしてその夜。

そらは久しぶりに歌おうとした。

けれど、声が出なかった。

歌じゃなくて、もっと別のものが胸に溜まっていた。

離れると決めたはずなのに。

触れたい。

君の笑顔の“形”を知りたい。

完全に見えなくなる前に。

近くで。

ちゃんと。



そらは天井を見上げる。

見えないのに、そこに“色”がある気がした。

そして小さく呟く。

「ずるいよ」
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