来たれ、筋肉っ!~蓼食う虫も好き好きです~
経理担当事務員のトラブル・ヘルプ
 比嘉(ひが)夕美(ゆうみ)|、23歳。性別・女。名取建設会社勤務、経理事務担当。

 ――腹が立って仕方ない。
 何に対してかと言うと他でもなく、今まさに隣に座っている同僚、愛田(あいだ)愛里(あいり)に対してだ。
 理由は色々あるけど、一番は常日頃から筋肉筋肉とうるさい事。
 こちらとしては仕事に集中して欲しいのに、いつも愛里は自分の脳内のどこかに理解不能な筋肉ワールドを作り出している。
 今もそう。
 さっきまで作業に来ていた水道修理業者の人(の筋肉)に、完全に仕事を忘れ、意識を持っていかれている。
(こっちはあんたの不審な視線に気付かれてしまわないか、修理作業中気が気じゃなかったんだけど!)
 だけど私のそんな心配をよそに、当の本人はヘラヘラと不気味な笑みを浮かべながらノートを開き、赤ペンを使って意気揚々と文字を書き込んでいる。
 こういう所も腹が立つ。
 異常な筋肉フェチな上、どれだけこちらが気をもんでいるか気付きもしない。まるで愛情を持って接しているのがこちらばかりなのではないのかと錯覚しそうになる。
 一応同期で、隣の席で一番会話もしてると思うしランチや休日も一緒に過ごす事もあるから、所謂ただの同僚よりは上の関係でいると思いたいのだけれど。
(せめて仕事中はそのノート開くの止めろって言ったのに)
 何度も注意したものの一向に止める(というか止めれる?)気配がないので、もう指摘するのも疲れてしまって、そのまま現在に至っている(一度、無理やりノートを取り上げたら半泣きされた)。
 誰かこの子のこの病気を治療して欲しい――何度そう願ったか。
 しかもこんな子が副社長に好意を持たれてるっていうのが、正直かなり気に入らない。
 愛里と話をして情報を得れば得る程に、とんでもない事実が容赦なく明らかになっていく。
『副社長いつも礼儀正しいよね。事務室きた時もいつも丁寧に目を合わせて笑ってくれるし』
『優しいよね、副社長。北海道出張のお土産、皆に個別に買ってきてくれるなんて』
 そんな報告を聞くたびに、私の心はひっそりとズタズタになっているのだ。
 こっちの気も知らないで、本当に余計な話ばかりしてくれると思う。
(それ、あんただけだよ!)
 ――確かに私達もお土産は貰った。だけどそれはあくまでも社交辞令感が満々の、全員に宛てた箱入り個包装のお菓子。
 他の社員はハンドクリームなんてお土産、貰ってない。貰ったと聞いた事がない。少なくとも私は貰ってない。
 もう一つついでに言うと、副社長が『よろしく』って言って事務室を出て行く時にいつも絶対に目を合わせて笑っていくのがあんただけって事も、気付いてないのか。
 もしかして、そもそも副社長が事務室に来るのはほぼほぼあんたがいる時だけだって事にも?
(気付いてないな絶対……)
 相手(ターゲット)の鈍感天然がここまでだと、副社長が可哀想になって仕方ない。
 本当に、癪に障る。
 これだけアプローチを受けてて、ここまで響かないものなのか。あんな超ハイスペック、そうそういないではないか。
 普通だったらすぐにピンと来て、喜んで付いていきそうなものを。
 それともあれか。蓼食う虫も…なんて言葉もあるけれど、まさにそれなのか。
(やっぱり、腹が立つ……!!)
 本気で嫌っている訳じゃない。
 ちゃんと友達だと思っているけど、でも何の努力もしていないこの子が、労力もかけずにいい思いをしていると思うとやはり釈然としない思いが残る。
 これでは私含め、副社長を狙っている他の女子社員の立つ瀬がまるでないではないか。
 みんな副社長の気を引こうと化粧したり、ファッションに気を遣ったり、何とか接触の機会を図ろうと画策したり……それこそ血の滲む努力をしているというのに。
 副社長も、どうせならそっちに興味もって付き合えれば良かったのに。
 そうすれば、支障なく全てが上手く回っていたはずなのに、実際には副社長は自分に微塵も興味を持ってくれない人間に惹かれ、本来抱える必要のない悩みを悶々と抱える羽目になっている。
 世の中って思い通りにはならないものだ。
(よりによって何で、この子なんだろ……)
 相変わらず気味の悪い笑みでノートを眺めている愛里を、改めて見てみる。
 ――こんな子、ただ単に人よりちょっと顔立ちが可愛くて、笑顔が多くて。意外と仕事が出来て。そして変にプラス思考で、前向きで明るいだけじゃないか。
 悪い所の方が多い気がするのに。例えば、人の気持ちに鈍い所とか。 
(それと、それと……)
 私は続きを考える。だけど不本意な事に、こちらの方はすぐに思い浮かばない。
(……っ、ああもう!)
 圧倒的にいい点の方を多く思いついてしまう自分にも、腹が立ってくる。
「――ほら! 仕事仕事!」
 ネガティブに陥りそうだった感情を振り払うべく、私は妄想に浸っている愛里に向かって言った。
 少しだけ強めの口調になってしまったのはただの八つ当たりだ。まだまだ自分も修業が足りない。
 は~い、とまだ少しだけ間延びした返事を愛里は返して来て、相変わらず幸せそうなオーラを放ちながら、それでも一応素直に、手元のノートを引き出しに閉まっている。
 この子の病気はもう治らないから、とりあえず仕事にまた取り掛かってくれるならもう、この際それで良い。
 そう割り切って、こちらも仕事を始めようとした時。
「――今日来てくれた水道会社の人……今度話かけてみようかなあ」
 愛里の爆弾発言が降ってきて、私は見事にそれを阻止されてしまった。
(――え? 何て!? 今、何て言ったっ!?)
 分かって無さすぎる、と本格的に頭がくらくらしてきた。
(ヤバい、これヤバいヤバい)
 真剣に危ない。
 多分このままじゃこの子、本気で声を掛けてしまう。そんでもって、そのままその流れであの水道修理業者の筋肉お兄さんと上手くいってしまう。その可能性がとっても高い。
 ――だって、可愛いからこの子!!
 性癖はちょっと……いや、大分アレな所があるけれど。
(まずい)
 これは絶対に、何が何でも迅速に、副社長の耳に入れなければ。
 『気遣いの出来る優しい性格』が仇とならないうちに、一刻も早く副社長に早く何らかのアクションを起こして貰わないと。
(応援、しますよ)
 何せ私はあなたの存在を全肯定出来る位の『副社長フェチ』ですから。
 多少理不尽でも、心の傷が少し疼こうとも、あなたの幸せの為にその願い、叶えてみせますよ。あなたが望むのなら。
 そう覚悟を決めて、私は、ふうっ、と一つ深い息をつく。
 自分の立場の不遇さにほんの少し自分でも同情してやりつつ、さてこれからどうやって副社長に会いに行こう――と、私はその口実を静かに、だけど真剣に考え始めるのだった。

 
 fin


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