蝶よ花よ
第四章、伊吹
伊吹さんの家にツバメの様子を見に行くようになってしばらく経ったある日のこと。
人通りの多い市の一角、団子屋の軒先に広がっている野店傘の下で、最近できた友達の由乃ちゃんと楽しく談笑していた。由乃ちゃんは鎌倉から来たんだって。
「だから私、言ってやったの。この人は泥棒ですって!」
「えぇ!?凄いね。怖くなかったの?」
話題は由乃ちゃんが泥棒を捕まえた時の話。
自分も勇ましい方だと思っていたが、上には上がいるんだな〜と思った。
それでいて、同性として誇らしいような気持ちになり、目の前に置かれた団子に手を伸ばす。
由乃ちゃんは本日、何本目か分からない団子を食べていた。
「それでね、その男、最初はしらばっくれてたんだけど——」
もぐもぐと口を動かしながら、楽しそうに続ける。
「りーせーさんっ!」
背後から伸びてきた温かな人の手に急に視界を遮られ、驚いて肩を跳ねさせる。
弾かれた声のした方を振り返ると、もうすでに見慣れてしまった伊吹さんがにこにこと立っていた。
「伊吹さん!何でここに?」
「いやぁ、ぶらぶらほつき歩いていたら理世さんを見つけてー、つい」
いつもの狩衣ではなく、ゆったりとした着流しを身に纏った伊吹さんは、悪戯が成功した子供のような顔で、へらりと微笑んでいる。
「ど、どちら様で?あ、私は由乃です」
「理世さんと恋仲の伊吹だよ」
「なっ、何言ってるんですか!?」
伊吹さんは肩を揺らして笑い、まるで訂正する気もない様子で手をひらひらさせた。
「あららー、振られちゃったよ。今、口説いている最中なんだ」
「違いますよね!?」
思わず強めに否定すると、伊吹さんは楽しそうに目を細めた。まるで、からかうためだけに言っているみたいだ。
「そんなに強く否定されると、さすがに傷つくなぁ」
「絶対思ってないですよね」
「バレた?」
軽く笑って肩をすくめるその様子に、由乃ちゃんがくすっと吹き出した。
「理世ちゃん、面白い人と知り合いなんだね」
「面白いというか……その……」
どう言えばいいのか分からず言葉を濁すと、伊吹さんが横から口を挟んだ。
「これでも俺、結構誠実な男だと思うよ」
「そうなんですか?」
間髪入れずに返すと、由乃ちゃんが楽しそうに笑った。

「へぇ、じゃあ由乃さんは鎌倉から奉公に来たのかぁ」
「そうなんです。鎌倉にも働き口はあるんですけど、やっぱり京の方が良いかなって」
「うんうん。確かにこれだけ発展してる町なら、いくらでも働き口がありそうだよね!」
あっという間に打ち解けた二人は、屈託ない様子で身の上を語らっている。
未だ知らない彼女の話をこれだけ引き出せる伊吹さんに舌を巻きながら、私は二人の間でお茶をすすっていた。
(すごいな……)
私が知るよりも先に、伊吹さんはするりと彼女の内側に入り込んでいく。
少しだけ、会話の外に置かれたような気がして——
けれど、それを気にするほどのことでもないと、再び湯呑みに口をつける。
温かいはずのお茶が、ほんの少しだけ味を感じにくかった。
実のところ、由乃ちゃんと出会ってからはまだ日が浅い。
少し前、由乃ちゃんが落とした巾着を拾って届けたのが縁で、町で顔を合わせる度に二、三言を交わしていくうちに、いつの間にかこうして話すようになったのだ。

やがて日も傾き、由乃ちゃんと別れることになる。
その帰り際、伊吹さんがふと思いついたように言った。
「二人でまわろうか」
そのまま私達は並んで歩き出し、この時間まで開いている店をひやかしてまわることになった。
「連れ出してごめんね?早く帰らないと君を心配する人もいるかもしれないけど、今日は俺と一緒に悪い君になってほしくて」
そう言われると、まるで何かいけないことをしているような気分になる。
「大丈夫ですよ。先生はきっと今頃『この安月給で酷使するとか、どういう神経してるのよー……』って泣きながら食事処でやけ酒してると思うので」
「そ、そうなんだね……」
ほんの一瞬、伊吹さんが言葉に詰まったように見えて、思わず小さく笑ってしまう。
それを見て、彼も苦笑した。
食事処はどこもいっぱいだが食べないというわけにもいかず、どこかの露店で食べるしかなさそうだ。
「露店で何か買って食べませんか?」
「……。良いね、その発想はなかったよ」
二人で歩きながら、気の向くままに買い物をする。
蒸したてのお饅頭、よく冷えた串に刺したきゅうり、ずっしりと熟れた干し柿など……欲しいと思ったものを好きに買い込み、私達は町外れの丘にやってきた。
「色々買いましたね」
「珍しくて、つい」
気づけば、伊吹さんは思っていたよりもたくさんの食べ物を両手に抱えている。
(そんな珍しい物はなかったと思うんだけど……身分の高い人は露店で何か買わないのかな?)
「さっそく食べようか。いただきます」
「いただきます!」
伊吹さんは物珍しそうに冷やしきゅうりを眺めている。
「これ、食べるのに作法とかあるのかな?」
「……?そのままかぶりつけば良いと思いますよ。串に付いてるものはそのまま食べるのが美味しいと思いますし」
まさか身分の違いって、ここまでとは思わないじゃん。
ぱくりと口を開け、伊吹さんはきゅうりをかじる。
「露店で食べるのは初めてなんですか?よく甘味処にいますけど……」
「機会に恵まれなかったのかなぁ……数年前に自炊を始めたから、甘味処以外の露店は行ったことないんだよ」
自炊という言葉を聞いて、私は出会った頃に食べたあの料理を思い出し、体が震えた。
「よ、よく今まで健康でいられましたね……」
「?」
きゅうりをかじりながら、伊吹さんは首をかしげる。
「理世さんは料理とか普段するの?」
「はい。先生は放っておいたら睡眠だけじゃなくてご飯も抜いてしまうので、私がよく作っていますよ」
「じゃあ今度、理世さんに教えてもらおうかな」
「え、私がですか?」
「うん。せっかくなら、美味しいもの作れるようになりたいし」
さらっと言われて、少しだけ言葉に詰まる。
断る理由もないのに、妙に落ち着かない。
「……時間が合えば、ですけど」
「わーい、やったー」
軽く拳を握って喜ぶ仕草が、どこか子供っぽくて、思わず笑ってしまった。
しばらく、二人で他愛もない話をしながら食べ進める。 丘の上は風が少し涼しくて、町の灯りが遠くに見えた。
「俺の初めて、理世さんに奪われちゃったなぁ」
「え?露店の、ですか?」
「うん。責任取ってもらおうと思って」
親しみとからかいを込めた口調に、頰がじわりと熱くなった。
「分かりました。責任持って買った物は全部私が食べますね!」
「あ、駄目だよ。そのお饅頭にも興味があったんだから。それに二助の分も残しておかないと」
———数刻後、伊吹さんに途中まで送ってもらい、頭を下げる。
「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
「こちらこそ、今夜は楽しかったよ」
そのまま伊吹さんと別れ、私は家に向かった。
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