Ironic Honey
 帰宅すると、千織は特に何も言わず「風呂沸かしてるよ」といつも通り接してくれた。

 先程のことに触れようとはしない。さっきのが誰かすら聞かない。


「…聞かないの?」


 そう問いかけると、千織はこちらに向き、ほんの少し見つめる。それからふと微笑むと、私の鞄をそっといつもの場所に置く。


「聖菜が話したいことなら聞く。だけど、話したくないことは話さなくていい。必要な時は、聖菜なら話してくれるだろうなとも思っているし」


 その言葉に軽く目を見開いた後、思わず笑みがこぼれる。

 千織から感じる信頼が温かくて、うれしかった。

 私が好きなのはこういうところ。無関心なわけではない。千織は見守りながら、私の意思を尊重してくれている。

 話すことで楽になることばかりではないというのを理解してくれている。そのうえで、待っていてくれるところが私には心地がいい。


「…ありがとう。千織」


 礼を言うと、千織は「ん」と短く返事をし、着替えに向かった。

 もし、今夜一人だったらしばらく引きずっていたと思う。今前向きにすぐになれるのは、間違いなく千織が傍にいてくれたからだ。

 私もいつも通りの穏やかな日々に戻っていく。
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