ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。
「ていうか。そっち今、夜中だろ。……こんな時間まで飲んでたとか?」
彼女は『うーんとね』などと言って濁しながら、呑気に笑っている。
『ハル、何時に帰るの?』
「あと二十分くらいだけど」
答えてから、違和感に気づいた。
定時に仕事を終えていたら、家にいてもおかしくない時間だ。
会社を出たばかりだという状況は、まだ伝えていない。
「なんで俺が帰ってないって、わかったの」
『…………』
マナは、急に静かになる。
そこで、電話の向こう側の微かな音が拾い上げられ、耳に届いた。
それは――。
この数か月で聴き慣れた、俺の隣人が紡ぐ優しい音色だった。
「……今、どこにいる?」
『……どこだと思う?』
悪戯っぽく笑う気配。
無言で通話を切り、走り出した。