ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。
 ◇

 シャキッ、シャキッ、と手元で鳴らしていた音を止めた。
 日本から連れてきた、父と弟からもらった大切なハサミを、ローテーブルへそっと置く。

「お客さま。いかがですか?」

 首筋に落ちた髪を摘みながら、声をかけた。
 ゆっくりと瞼を開けたハルが、差し出された手鏡を覗き込む。

「……あれ。そんなに切ってない」

 一目見て、不思議そうにする。
 お気づきの通り、毛先を揃え、全体のバランスを整えただけだ。

 鏡越しに視線を合わせながら、美容師らしい口調で説明する。

「はい。ここまで伸ばされているのは初めて見ましたが、すごくお似合いだったので。それを活かしたスタイルにしてみました」

 後ろから指を潜り込ませ、耳元の髪を流す。

「こうしてみると、ちょっと色っぽいですよ?」

 何か言いたげな瞳のハルは「ふーん」と呟いた。

「それに。一回でバッサリ切らなくても、これからはいつでも切れますし……」

 少し照れくさくて、語尾が小さくなる。
 鏡の中の彼をちらりと確認すると、さぞ愉快そうに口角を上げている。

「マナさんは俺に色っぽさを求めてる、と」

「……そのあと言ったこと、聞いてました?」

 ハルは思いきり目を細め、声を立てて笑った。
 無防備な笑顔に、胸の奥がくすぐったくなる。


 そして、すっと立ち上がり、言った。


「じゃあお望み通り、色っぽいことしましょうか」


 骨ばった指先で、私の手首を捕えてくる。
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