ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。
『ハルっ? どうしたの?』
耳に届いた声は、普段よりワントーン高い。
その後ろには、特有のざわめき。
彼女が飲み屋にいることを物語っていた。
「……どこいるの」
『明日休みだから、専門学校のときのクラスで飲んでたんだけど。友達が終電逃しちゃって、付き合ってて』
「マナも……帰ってこないってこと?」
その問いかけに数秒黙っていたあと、『んっ?』と大きな声を出した。
『もしかして。私の家、来てる……!?』
電話の向こうで『彼氏、来てるの!?』という、女友達の驚く声が重なった。
だから、嘘ではないのだろう。
けれど。
喧騒に紛れながらも、次の一杯もビールでいいか、とマナに確認する、男の低い声が聞こえた。
急激に、全身の血が沸騰する。
慌てたように『それなら、タクシーで帰ろうかな!』と言う彼女を無視したまま、電話を切った。
繋いだままでいたら、暴言をぶつけてしまいそうだったからだ。
マンションから、暗い夜道に出た。
下り電車の終電も、もうない。
ポケットの中で、何度もスマホが震える。
折り返しの着信にもメッセージにも応えず、深夜の国道を無心で歩いた。
時折通り過ぎるトラックのヘッドライトが、アスファルトに長い影を落としては消えていく。
二十分ほど歩いた先、蛍光色の看板を掲げたファミリーレストランに入り、夜を明かした。
それからしばらく、マナとの連絡を絶った。