きみと描く青い未来。
第二章 通う理由
次の日も、その次の日も、俺は美術室の前に立っていた。
理由は、正直よく分からなかった。
ただ「行ってみようかな」と思った瞬間に、足がそっちに向いてしまう。
それだけのことだった。
ドアはいつも少しだけ開いている。
そこから聞こえる音も、変わらない。
――サラ、サラ。
鉛筆が紙をなぞる音。
その音を聞くと、教室のざわつきが少し遠くなる。
中に入ると、七瀬結衣はいつも通り窓際にいた。
同じ場所。
同じ姿勢。
同じようにキャンバスと向き合っている。
でも昨日とまったく同じかと言われると、そうでもない。
筆の動きが、ほんの少しだけ変わっている。
迷いが増えたというより、“考える時間が入った”という感じだった。
「また来たんだ」
彼女は振り向かないまま言った。
もうそれが挨拶みたいになっていた。
「……まあな」
俺は少しだけ慣れた声で返す。
椅子に座る。
昨日と同じ場所。
でも昨日より、少しだけ落ち着いていた。
何をすればいいか分からない時間に、少しだけ慣れてきていた。
「それ」
結衣が言う。
「昨日の続き?」
俺はスケッチブックを見る。
開いたままの白いページ。
昨日引いた線が、まだそこに残っている。
「続きっていうか……止まってる」
「じゃあ、動かせばいい」
簡単に言う。
「簡単に言うけどさ」
「簡単だよ」
結衣はキャンバスを見たまま続ける。
「難しくしてるのはそっち」
⸻
その言葉は、昨日より少しだけ刺さった。
でも不思議と嫌じゃない。
むしろ、少しだけ考えたくなる言い方だった。
俺は鉛筆を取る。
昨日の線の続きに、少しだけ線を足す。
手が止まる。
でも昨日ほど怖くない。
「それ、何に見える?」
結衣がふと聞いた。
俺はスケッチを見る。
まだ形にはなっていない。
「……分からない」
「じゃあ、それでいい」
即答だった。
その“いい”が、妙に軽くて、妙に救いだった。
気づけば、昼休みが終わる時間が近づいていた。
窓の光が少し傾いている。
「お前さ」
俺は何気なく聞いた。
「毎日ここいるの?」
結衣は少しだけ間を置く。
「だいたい」
「飽きないのか?」
彼女はそこで初めて、少しだけ俺の方を見た。
「飽きるとかじゃない」
「じゃあ何だよ」
「途中だから」
その一言で終わりだった。
説明でもなく、理由でもなく。
ただそれ以上でも以下でもない。
俺はそれ以上聞けなかった。
放課後。
気づけば、また来ていた。
昨日と同じように、ドアの前に立つ。
「今日も来た」
結衣は筆を動かしながら言う。
「……悪いかよ」
「別に」
短い返事。
でも少しだけ、昨日より距離が近い気がした。
それは気のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
俺は椅子に座る。
鉛筆を取る。
線を引く。
昨日より少しだけ迷わずに。
結衣がちらりとこちらを見る。
ほんの一瞬。
でもその一瞬だけで、なぜか“見られた”感覚が残る。
「ちょっとは形になってきたな」
彼女が言った。
「ほんとに?」
「うん」
それだけ。
評価でもなく、褒めでもない。
ただ事実としてそこに置かれた言葉だった。
気づけば夕方だった。
窓の外の空が、青から灰色に変わっていく。
「なあ」
帰り際、俺は聞いた。
「明日もいるのか?」
結衣は筆を置く。
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
「いるかもしれないし、いないかもしれない」
曖昧な返事。
でもそれが、逆に“ここにいる人間”っぽかった。
俺は頷いた。
「じゃあまた来るわ」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。
結衣はそれを見ても何も言わなかった。
ただ、キャンバスに視線を戻す。
帰り道。
俺は気づいてしまう。
これ、ただの習慣になりかけてる。
でもまだ、恋って言うには遠い。
ただ一つだけ分かるのは。
あの場所に行かない日が、想像しにくくなっているということだった。
理由は、正直よく分からなかった。
ただ「行ってみようかな」と思った瞬間に、足がそっちに向いてしまう。
それだけのことだった。
ドアはいつも少しだけ開いている。
そこから聞こえる音も、変わらない。
――サラ、サラ。
鉛筆が紙をなぞる音。
その音を聞くと、教室のざわつきが少し遠くなる。
中に入ると、七瀬結衣はいつも通り窓際にいた。
同じ場所。
同じ姿勢。
同じようにキャンバスと向き合っている。
でも昨日とまったく同じかと言われると、そうでもない。
筆の動きが、ほんの少しだけ変わっている。
迷いが増えたというより、“考える時間が入った”という感じだった。
「また来たんだ」
彼女は振り向かないまま言った。
もうそれが挨拶みたいになっていた。
「……まあな」
俺は少しだけ慣れた声で返す。
椅子に座る。
昨日と同じ場所。
でも昨日より、少しだけ落ち着いていた。
何をすればいいか分からない時間に、少しだけ慣れてきていた。
「それ」
結衣が言う。
「昨日の続き?」
俺はスケッチブックを見る。
開いたままの白いページ。
昨日引いた線が、まだそこに残っている。
「続きっていうか……止まってる」
「じゃあ、動かせばいい」
簡単に言う。
「簡単に言うけどさ」
「簡単だよ」
結衣はキャンバスを見たまま続ける。
「難しくしてるのはそっち」
⸻
その言葉は、昨日より少しだけ刺さった。
でも不思議と嫌じゃない。
むしろ、少しだけ考えたくなる言い方だった。
俺は鉛筆を取る。
昨日の線の続きに、少しだけ線を足す。
手が止まる。
でも昨日ほど怖くない。
「それ、何に見える?」
結衣がふと聞いた。
俺はスケッチを見る。
まだ形にはなっていない。
「……分からない」
「じゃあ、それでいい」
即答だった。
その“いい”が、妙に軽くて、妙に救いだった。
気づけば、昼休みが終わる時間が近づいていた。
窓の光が少し傾いている。
「お前さ」
俺は何気なく聞いた。
「毎日ここいるの?」
結衣は少しだけ間を置く。
「だいたい」
「飽きないのか?」
彼女はそこで初めて、少しだけ俺の方を見た。
「飽きるとかじゃない」
「じゃあ何だよ」
「途中だから」
その一言で終わりだった。
説明でもなく、理由でもなく。
ただそれ以上でも以下でもない。
俺はそれ以上聞けなかった。
放課後。
気づけば、また来ていた。
昨日と同じように、ドアの前に立つ。
「今日も来た」
結衣は筆を動かしながら言う。
「……悪いかよ」
「別に」
短い返事。
でも少しだけ、昨日より距離が近い気がした。
それは気のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
俺は椅子に座る。
鉛筆を取る。
線を引く。
昨日より少しだけ迷わずに。
結衣がちらりとこちらを見る。
ほんの一瞬。
でもその一瞬だけで、なぜか“見られた”感覚が残る。
「ちょっとは形になってきたな」
彼女が言った。
「ほんとに?」
「うん」
それだけ。
評価でもなく、褒めでもない。
ただ事実としてそこに置かれた言葉だった。
気づけば夕方だった。
窓の外の空が、青から灰色に変わっていく。
「なあ」
帰り際、俺は聞いた。
「明日もいるのか?」
結衣は筆を置く。
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
「いるかもしれないし、いないかもしれない」
曖昧な返事。
でもそれが、逆に“ここにいる人間”っぽかった。
俺は頷いた。
「じゃあまた来るわ」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。
結衣はそれを見ても何も言わなかった。
ただ、キャンバスに視線を戻す。
帰り道。
俺は気づいてしまう。
これ、ただの習慣になりかけてる。
でもまだ、恋って言うには遠い。
ただ一つだけ分かるのは。
あの場所に行かない日が、想像しにくくなっているということだった。