仁くんが私の想像を超えてくる

***

 緊張する……
 本当に私がこんな場所にいていいんだろうか?
 掘りごたつ式の隅にちょこんと座り、膝を揃える。
 目の前には、今をときめく人気アマチュアバンドの5人組。
 居酒屋特有の喧騒が、この私の疎外感を少しだけ和らげてくれる。
 
「それでは、本日のライブ成功を祝いまして」

 バンドリーダーの隆臣(たかおみ)さんが、ビールの入ったグラスを軽く持ち上げ音頭を取る。
 私とバンドメンバーはそれに倣いグラスを持った。
 今日の演奏も良かったよ!
 ビールグラスを傾けて、カチンと合わせる。

「悪いな、打ち上げに付き合わせて」

 隣に座っていた彼──(じん)くんが覗き込むようにしてこちらを見る。
 私は首を横に振った。
 
「ううん」

 誘われた時は驚いたけれど。
 私は、バンドメンバーじゃない。
 ベースの仁くんと付き合っているから、なぜかこの席にいるだけだ。
 
 肩を縮こまらせて、舐めるようにビールをちびちび口に運ぶ。
 そして。
 ビールを飲むふりをして、メンバーたちのグラスを持つ手を、つい盗み見てしまう。
 
 ねえ、知らないでしょう?
 私は曲よりも、あなたの手に注目していたことを。

 ライブが始まると、私の目はいつも彼の手を追いかける。
 ゴツゴツしてるけど、指がスラっと長くて。
 流れるようにベースを奏でるところを想像すると、それだけで胸がときめいてしまう。
 そんな妄想を頭の中で繰り広げていると、ふいに耳元で声がした。
 
「なぁ、話聞いてる?」

 ハッとして、慌てて頭の中の妄想を追い払う。
 
「う、うん、聞いてるよ」
 
 やばい。聞いてなかった。
 どうごまかそうと思っていると、向かい側から声が飛んできた。

「もー、ジンったら。真純さん困ってんじゃーん」

 バンドメンバーの紅一点、キーボードのケイさんが助け舟を出してくれた。
 ケイさんはすでにお酒が進み、ほんのり赤い顔をしてくすくす笑っている。
 指が長くて綺麗で、つい彼女の手にも目がいってしまう。
 
「でもほんと、ジンみたいなぶっきらぼうなやつに彼女がいるなんて、この目で見るまで信じられなかった」

 長い髪をかき上げながら、ケイさんは面白そうに私と仁くんを見比べる。
 
「うっせ」

 仁くんは、照れ隠しみたいにビールをあおった。
 
「ジンのどこが好きなの?」

 唐突な質問に、私はビールを吹き出しそうになった。
 仁くんは実際に吹いてた。
 
「えっと……」

 ケイさんの一言を皮切りに、メンバーのみんなは興味津々でこちらをじっと見る。
 返答に困る。もちろん、好きなところはたくさんあるけれど。
 その中でも、手がいちばん好きです、なんて。
 恥ずかしくて言えない。
 他の部分を言っても、それはそれで盛大なのろけになりそうで、言えない。

「あーあー! こんなの答えなくていいから!」

 顔を真っ赤にして、耐えきれなくなった仁くんが私とケイさんの間に入る。
 その様子を見て、ケイさんをはじめメンバーのみんなが、ニヨニヨと笑う。
 ……ああ。
 仁くんに誘われた時は、彼女だって紹介してもらえることが嬉しくて、ついすぐにOKしちゃったけど。こんな風に囃し立てられるなんて思ってなかった。
 
「す、すみません! ちょっとお手洗い!」

 逃げるように席を立つと、ケイさんと隆臣さんの声が耳に入った。

「あーん、逃げられたぁ」
「おまえは絡みすぎだ」
 
 ちらりと振り向くと、みんな和気藹々としている。
 隆臣さんとケイさんは恋人同士らしく、酔いで頬を染めながら、みんなの前でも平気でボディタッチしたりしてる。人目も気にせず自然にスキンシップを交わせる二人が、少しだけ羨ましかった。私も、仁くんとあんなふうになれたらいいのに。
 私たちは、お互い素直になれなくて、〝そういう〟関係も……まだ、だ。
 恋人というより、つい憎まれ口を叩き合う相棒みたいな関係だから。

 仁くんには悪いけど、早めに帰らせてもらおうかな……
 そう思っていると、

「真純」

 名前を呼ばれるのと同時に、大きな手に腕を掴まれた。
 驚いて振り返ると、少しだけ気まずそうな顔をした仁くんが立っていた。

「黙って帰るなよ」
「か、帰らないよ」
「じゃあ、なんで」

 ぶっきらぼうな口調だけど、掴んだ手は離そうとしない。
 そういえば、お手洗いに向かうつもりだったのに。
 辺りを見回すと、無意識に通り過ぎてしまっていたらしい。
 少しの間、沈黙が流れる。
 
「……あの、さ」

 仁くんは頭をぽりぽりとかきながら、視線を泳がせた。

「このまま抜けねぇ?」
「え?」

 それって。
 それって。
 二人でどこかへ行こうってこと?
 
 仁くんは、メンバーの方をちらりと見る。
 私も視線を向けると、特にこちらを気にする様子もなく盛り上がっている。

「……な?」

 自分たちがいなくても平気だという風に言って、腕を掴んでいた手が、滑るように私の手へ移る。指と指が、絡む。
 うわ……。
 恋人同士なら当たり前なのかもしれない。
 でも、仁くんがこんな風に手をつないでくるのは珍しくて。
 ドキドキしすぎて、胸が詰まる。
 
 顔、赤いし、きっと仁くんも酔っているんだ。
 嬉しくてたまらなくて、にやけそうになる口元を必死で我慢する。
 
 結局私たちは、手をつないだまま居酒屋を出て歩き出した。

「どこ行く?」
 
 並んで夜道を歩く。
 周りの人たちは流れる景色のように、忙しなくすれ違う。
 けれど私たちは、そんな時の流れに逆らうように少しだけゆっくり歩いた。
 
「別に、どこでも……」

 言ってから、ハッとした。
 なんだか、投げやりな言い方だったんじゃないかなって。
 仁くんと一緒なら、どこでもいいって意味なのに。

 けれど、仁くんは特に気にしてる様子はなかった。

「……俺んち、くる?」

 少しだけ、つないだ手にきゅっと力が入った。
 私は、ぽかんと口を開けて固まってしまった。
 
「あ、いや。深い意味はなくてだな……。飲み直そうって、ただ、そんだけで……」
「なんでもいいよ……」

 手を握り返したけど、仁くんは黙ってしまった。
 ……違う。
『理由なんて、なんでもいい』っていう意味だったのに。
 また言い方が悪かった。
 
 ああ、なんで私、こんな言い方しかできないんだろう。


 お互い仕事が忙しくて、仁くんの部屋に来るのは久しぶりだ。
 玄関の前でパッと手が離れて、途端に心まで寒くなるような気がした。
 鍵を開けて中に入ると、うっすらとメンソールの匂い。
 仁くんの、いつもの匂い。
 彼は肩にかけていたベースを部屋の隅にあるスタンドへ戻すと、そのままキッチンへ向かった。
 
「テキトーに座ってて」

 言われて、ソファの隅の方にちょこんと座る。
 ……いや、これだとさっきの居酒屋と同じか。
 少しだけ中央寄りに座り直す。
 冷蔵庫を開ける音がして、ビールとおつまみを抱えて仁くんが戻ってきた。
 
 ローテーブルに缶ビールとおつまみを並べると、仁くんは私の隣へどさっと腰を下ろす。
 肩が触れそうなくらいの距離。
 居酒屋ではあんなに騒がしかったのに、心臓の音が聞こえてしまいそうなくらい静かだ。
 
「……じゃ、飲み直すか」
「……うん……」

 缶を軽く合わせる。
 変なの。二人きりの時なんて、今までもあったのに。
 今日はやけにドキドキする。やっぱり、さっきの恋人つなぎのせい?
 プシュッと炭酸の弾ける音が重なり、冷たいビールが喉を滑り落ちていく。
 他愛もない話をしながら缶を傾けるたび、私たちはゆっくりと酔いを深めていった。
 もう一度、恋人つなぎ、したいな……なんて思いながら、瞼の重くなった目で仁くんの手を見つめる。
 
「おまえさっきさ」

 仁くんが、急に口を開いた。
 こっちをじっと睨むように見てくる顔が、さっきよりも赤い。
 
「隆臣さんのこと見てただろ」
「……えっ?」

 意外な質問に、酔いが覚めるほど驚いて目を見開いた。
 一瞬だけ答えに迷ってしまう。
 
「ち、違うよ?」

 たしかに隆臣さんの方は見てたけど。
 でもそれは、彼の〝手〟を見ていただけであって。
 なんなら、メンバー全員の手を見ていたわけで。
 これだけは、はっきりと「違う」って言える。
 けれど、隆臣さんの手を見ていたことに変わりはなくて、少しだけ挙動不審になってしまった。
 すると、仁くんは、わかりやすく拗ねたようにソファに寝転がる。

「あーあ、やっぱおまえもかぁ〜。男の俺から見てもかっこいいもんなぁ〜」
 
 ち、違うってば……!
 慌てて身を乗り出す。
 
「だから……手を見てたの!」
「手ぇ?」

 仁くんは寝転んだまま、視線だけをこちらに向けて言った。
 
「なんで?」
「な、なんでって……」

 そんな真っ直ぐ聞かれると困る。

「綺麗な指だな〜、とか、指長いなぁ〜とか、ゴツゴツしてるなぁ〜とか、おっきい手だなぁ〜とか……」

 熱くなっていく頬を、両手で覆って冷やす。
 やだもう……なんでこんなこと言わされてるの。

「俺の手は?」

 寝転んだまま、手のひらだけをヒラヒラさせる。
 
「え……」

 胸がどきりと鳴る。
 ライブに行くたびに、目で追ってしまうのは仁くんだった。
 ピックを握る右手。
 ネックの上を滑る左手。
 曲はBGMになって背景に溶けていき、そうなると私はもう、仁くんの指しか目に入らない。
 そんな恥ずかしいこと言えなくて。
 でも、もしかしたら、今までそうやって素直に言えなかったから。
 私たちは先に進めずにいた?
 お互い不器用で、意地っ張りで、本音を隠して。
 今なら、お酒の力を借りても、いいよね……?
 
「見てる……よ」
「へ、へえ、そうなんだ」

 素直に答えたのが意外だったのか、仁くんは少しだけ目を逸らした。

「ベース弾いてる時の仁くんの手が、いちばん好きかも」

 そう言うと、仁くんは体を起こして、こちらに寄ってくる。
 
「それって、他のヤツと比べてるってこと?」
「じ、仁くんの手の中でってこと」

 彼のいろんな手の形を、いつだって、鮮明に思い出せる。
 
「そんなに見てるの?」

 言いながら、私の手に自分の手を重ねてきて、指を絡める。
 ピクリと体が反応した。
 胸がいっぱいになって声が出なくて、かろうじて、こくんと頷く。
 
「……他には?」
「ビリヤードの──キュー、構えてるところとか」
「うん……」

 仁くんも、照れているのかだんだん頬を染めていく。
 ゆるむ口元を押さえて、視線をそらした。
 
「やば……ニヤけるのおさまんねぇ」

 そんな顔されたら、こっちまで恥ずかしい。
 
「真純って、そんな性癖(フェチ)あったん?」
性癖(フェチ)って……」

 思わず苦笑する。
 まあ、言われてみればそうか。

「あ、じゃあ……」

 思い出したように言って、仁くんは私を抱き寄せる。
 大きな手が、私の頭を撫でた。

「これは?」

 ふわふわと温かい気持ちになる。

「……好き、かも」
「〝かも〟じゃないだろ〜?」

 苦笑してた仁くんも、だんだん真剣な顔になってきて。

「真純……」

 ゆっくりと顔が近づく気配に、私は自然と目を閉じる。
 ちゅ、と音を立てて、唇が軽く触れ合った。
 
「もっと触ってい?」
「……いいよ」

 仁くんは、意外そうに目を丸くして、今度は頬に触れて真正面からのキス。
 ぶっきらぼうで、不器用で。
 それでも私に触れる指先は、いつだってやさしい。
 知ってるんだから。
 でも、それを口にしたら照れてやめちゃいそうだから、言わない。
 
 やがて私たちは、ソファの上へ倒れ込むように身を預けた。
 見上げた先で、仁くんが照れたように笑う。
 私の髪をそっと払った手が、そのまま肩へ滑り、服のボタンに触れる。
 さっきまでベースを奏でていた、大きな手。
 私の大好きな、その手。
 耳元へ唇を寄せ、仁くんが悪戯っぽく囁いた。
 
「俺、もっとすごいフェチあるんだよね」
「な、なに……」
「……言わない」
 
 そう言って、意地悪く笑ったかと思うと、

「でも、教えてやるよ」

 言いながら、重なる唇。
 さっきとは違う、少しだけ深くて長い口づけに、身体中が熱を帯びていく。
 酔った勢いでだなんて、全然ロマンチックじゃないけれど。
 でも、それが私たちらしい。
 
 ああ……。私も相当、酔ってるな──
 
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