君島准教授、ちょっといいですか。

第10話 好きと言えない学生

なんとなく、ここまで来てしまったけど。
その扉をノックするのはあまりにもハードルが高い。
君島先生のゼミ生でもない。
親しいわけでもない。
ただ友達の、
『困ったことがあったら、君島先生いいかも。あの人、大丈夫な人だと思う』
って言葉だけを頼りに、研究室の前にいる。
真面目で優しいあいつが言うんだから、きっといい先生なんだろうな、とは思うけど。
だからって、こんなことを普通、先生に相談するか?
……だけど。
他に、いるか?
唇をきゅっと噛み、うつむく。
廊下は静まり返っている。
小さく息を吐いた。
その扉をノックすると、中から「どうぞ」と声がした。
……いた。
……もう、引き返せない。
僕はゆっくり研究室の扉を開けた。

「失礼します」
遠慮がちに部屋に入ると君島先生は、
「どうしたの?」
と淡々と尋ねた。
「あ、その……」
僕が言葉に詰まっていると、君島先生は少し首を傾げた。
「……相談したいことがあって」
「うん」
「その……友達が、困ったら君島先生に話してみたら、って……」
「へぇ」
自分のことを言われているのに、まるで他人事のように驚いている。
「なんか、先生と一緒に歩きながら話せたのが良かったらしくて……」
「そう」
僕はうつむいた。
これ以上、言葉が出てこなかった。
「コーヒーでも飲む?」
「え?」
「掛けなよ」
そう言うと君島先生は椅子を勧めた。
言われるがまま腰掛けると、
「ブラック、カフェオレ、どっち?」
「あ、えっと、カフェオレ」
「ん。砂糖は?」
「欲しいです」
「いくつ?」
そう言うと君島先生は角砂糖が入った瓶を見せた。
「ひとつで」
「ん」
君島先生は手際良くカフェオレを作り、机の上に置いた。
「ありがとうございます」
君島先生は自分の分にも角砂糖を入れていた。
ほんのり甘いカフェオレの香りが漂う。
君島先生は脚を組み、窓の外を眺めながら静かに口に運んだ。
僕もカフェオレに口をつけた。
先生。
どうしてなんにも聞かないんだろう。
僕は目を伏せた。
ひと口飲むたびに温かさが沁みる。
張り詰めていた肩の力がほんの少し抜けた気がした。
「はぁ……」
ため息が漏れた。
「少し落ち着いた?」
君島先生は外を眺めながらぽつりと言った。
「……はい」
「よかった」
また静かになる。
君島先生は何も聞かない。
僕はカップを両手で包んだ。
「先生」
「ん?」
「もし……」
言葉が喉で止まる。
「誰にも言えないことがあったら」
「うん」
「……先生なら、聞いてくれますか?」
ちらりと先生を見上げた。
「……ここまで来るの、勇気いったでしょ」
君島先生は僕を見た。
その一言で胸が少し熱くなった。
「……はい」
君島先生はかすかに微笑み、
「うん。聞くよ」
と頷いた。
僕は息を吐いた。
「2回目、なんです……」
僕は息を吸い込んだ。
「……好きな人に……彼女ができたの」
ああ。
言ってしまった。
先生、どんな顔してるんだろう。
怖い。
「そう」
……え?
それだけ?
僕は思わず顔を上げた。
君島先生はさっきと何も変わらない顔でカフェオレを飲んでいた。
「ん?」
君島先生は首を傾げた。
「あ、いや、もっと驚かれるかな、って……」
「あー」
あまりに淡々としていて調子が狂ってしまった。
ふっと力が抜けた。
「……そいつ、仲のいい友達なんです」
「うん」
「いつも3人でつるんでて……そいつに彼女ができて、もう一人の連れは『良かったじゃん!』って心から喜んでるのに」
「うん」
「僕は、喜んでる振りしかできなくて」
「……」
「高校生の時にも同じようなことがあって」
「うん」
「なんていうか……」
唇をきゅっと結ぶ。
「また同じだ、って」
「うん」
言葉が続かない。
カフェオレはもうぬるくなっていた。
「……好きになっても」
カップを包んでいる両手に少し力が入る。
「何も言えない」
「……」
「そいつに彼女ができたら、おめでとうって言って」
「……」
「終わる」
大きなため息が出た。
「だからまた、誰かを好きになっても」
言葉が止まる。
君島先生は何も言わない。
僕はカップの中を見つめた。
「……同じなんですよね」
「うん」
「だって」
唇を噛む。
「好きになるの、男なんだから」
苦笑するしかなかった。
「そうか」
君島先生はそれ以上何も言わなかった。
こんな話、されても困るよな。
しかも親しくもない学生に。
「すみません」
「どうして謝るの?」
「あ、こんな話聞かされても、ですよね」
「いや」
君島先生は優しい笑顔を向けた。
「話すの、勇気いったでしょ?」
その言葉に思わず目頭が熱くなってしまった。
「先生」
「ん?」
「僕、この先もずっとこんな感じなんですかね」
君島先生は指を顎に当てたまま黙った。
「どうだろう」
君島先生は少し考えた。
「でも……」
君島先生はふと顔を上げ、
「今日、初めて誰かに話せたよね」
そう言って小さく頷いた。


夜、君島先生は行きつけのバーカウンターにいた。
「まいったね」
「ん?なんかあった?」
君島先生は頬杖をつきながら、グラスの中の氷を指で回す。
「学生にね、相談されてさ」
「うん」
「まるで、昔の僕を見てるようだった」
君島先生は氷を見つめたまま黙っていた。


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