君島准教授、ちょっといいですか。

第6話 公務員を辞めたい卒業生

俺の目の前には、進路を真剣に考える大学生がいる。
たまにメモをとりながら、俺たちの説明に真剣に耳を傾けている。
ああ。
俺もこんなだったよな。
職員の人に見られてると思って、少し大きめの相槌なんか打ったりしてさ。
別に知り合いでもなんでもないただの後輩だけど、がんばれよって思う。
がんばれよ、って思う、けど。

学内の企業説明会。
俺は隣町の市役所職員としてブースにいる。
OBの若手職員として駆り出されたのだ。
職員課の人がひと通り説明を終えると、
「彼は君らのOBだよ」
と話を振られた。
視線が俺に集中する。
「あ、ここの法学部出身で、今は福祉課で働いています」
と軽く頭を下げた。
微妙な沈黙が流れる。
「……今もハワイアンカフェあるの?」
と共通の話題を探そうとした。
学生がうんうんと頷くと、
「あそこのハンバーガー美味かったなぁ」
そう言うと学生たちが笑顔を浮かべた。
あ、よかった。
ちょっと距離が縮まったかな。
すると、ある学生が、
「先輩はどういうところにやりがいを感じていますか」
と真っ直ぐ俺を見つめた。
そんな真っ直ぐ見つめないでくれ。
「やっぱり、ありがとうって言われると嬉しいよね。役に立てたかな、って思うから」
あ。
ありきたりだったかな。
「公務員はね、自分は究極のサービス業だと思ってて」
学生はこくりと頷き、次の言葉を待っている。
「効率だけじゃダメだと思ってて。生活の基盤を支える責任ある仕事だと思ってる」
学生は真剣にメモをとっている。
……なんだかな。
「これ、面接で使っていいよ」
学生たちが笑った。

俺はその後も「責任ある仕事をさせてもらってる」とか「大変なこともあるけど人の役に立てる仕事だと思う」とか、学生が来るたびに充実している先輩でい続けた。
その度に、腹の底に重いものが積み重なっていった。

「いい感じだったよ、ありがとう」
説明会後、職員課の人が片付けながら笑顔を向けた。
「いえ」
とっさに作った笑顔は顔が引きつりそうだった。
荷物の積み込みだけ手伝い、自分は大学に残った。
「久しぶりに来たんだから、ゆっくりしていきなよ」
職員課の人が気を利かせてくれた。

キャンパスを歩く。
ああ、懐かしいな、この感じ。
楽しそうな学生たちが目に入る。
今のうちに楽しめよ。
その時間、貴重なんだぞ。
眺めながら苦笑した。
……。
君島先生、いるかな。
いや、忙しいか。
でも、せっかく来たんだし。
覗くだけ覗いてみようかな。

法学部棟へ向かう。
相変わらず静かな廊下。
懐かしい掲示板。
研究室までもう少し。
曲がり角を曲がったその時。
「あれ」
聞き慣れた声がした。
「……先生」
君島先生が、書類を片手に立っていた。
「珍しいね」
「あ、お久しぶりです」
軽く頭を下げた。
スーツ姿の俺を見て、
「仕事で?」
「あ、ええ。企業説明会で」
「なるほど」
君島先生はうんうんと頷く。
「元気だった?」
「……まあ」
即答できなかった。
君島先生は少しだけ首を傾げた。
「この後、時間ある?」
「え?」
「研究室、覗いてく?」
「あ……」
「コーヒーくらいは出るよ」
君島先生は小さく笑った。
「はい」
「じゃあ、おいで」
君島先生はきびすを返した。

研究室は何も変わっていなかった。
ああ、懐かしい。
本棚も。
窓際の観葉植物も。
あの頃のままだ。
……ここにいた時は楽しかったな。
「適当に座ってて」
「はい」
君島先生は書類を置き、コーヒーを作り始めた。
「砂糖いる?」
「あ、いえブラックで」
「うん」
研究室にコーヒーの香りが広がる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
君島先生は自分の分を作りながら、
「企業説明会、どうだった?」
「……」
ちらりと君島先生を見上げる。
先生は角砂糖を入れていた。
「……先生」
「ん?」
「俺……学生に嘘ついちゃいました」
君島先生は俺をちらりと見ると、甘そうなコーヒーを一口飲んだ。
「……だって、俺、本当は辞めたいと思ってるんです」
「うん」
「なのに、人の役に立つ仕事です、とか、やりがいがあります、とか」
「うん」
「学生にあんなこと言っておいて、自分は辞めたいなんて思ってる」
「……」
「最低ですよね」
君島先生の顔を見れなかった。
先生はどんな顔で俺を見てるんだろう。
「本当に嘘だった?」
「え?」
「学生に話したこと」
「……」
「誰かの役に立ちたいと思って市役所に入ったんじゃないの?」
「はい」
「ありがとうって言われると嬉しい?」
「……はい」
「生活を支える仕事だと思ってる?」
「はい」
「じゃあ、どこが嘘だったんだろう」
何も言えなかった。
嘘は言わなかったけど……。
「……辞めたがってる奴が魅力を語るって、なんか騙してるような気がして」
君島先生は黙ってコーヒーを飲んでいる。
卒業したゼミ生にいきなりこんなこと言われても困るよな。
音のない時間が続いた。
「辞めたい理由は?」
「え?」
「辞めたいんだよね?」
「……はい」
君島先生は首を傾げて俺の答えを待っていた。
「……助けられないんです」
君島先生は黙って頷いた。
「……制度で決まってるから。目の前で困ってる人がいるのに……俺にはどうにもできなくて」
「うん」
「すみませんって言うしかない……」
唇を噛む。
目線を上げられない。
「……自分の無力さばっかり感じて」
大きなため息を吐きながら、手で顔を覆った。
「そう」
「……」
「苦しいね」
手で顔を覆ったまま頷いた。
自分の目が赤くなっているのがわかった。
君島先生がカップを置く音が聞こえた。
「助けられた人はいた?」
「え?」
「今まで」
「……います」
「うん」
「生活保護が決まってお礼の手紙くれた人、いました」
「うん」
「でも……助けられなかった人の方が忘れられなくて」
だって。
あの人たちにとっては、人生かかってるから。
「助けたかったんだね」
「はい……」
涙が頬を伝った。
君島先生はハンカチを差し出してくれた。
俺が涙を拭くのを静かに待っている。
「その苦しさは、すぐにはなくならないかもしれないね」
「え?」
「今の仕事を続けても、別の仕事をしても」
君島先生は指を組んだ。
「助けたいと思う人は、多分、苦しむ」
「……」
「だから、辞めるかどうかは『苦しいから』で決めるんじゃなくて」
君島先生は俺を真っ直ぐ見た。
「君がどう働きたいかで決めたらいい」

研究室を出て廊下を歩いていると、学生たちの笑い声が聞こえた。
すれ違いざま、
「今日は企業説明会ありがとうございました」
と頭を下げられた。
「こちらこそ」
学生に笑顔を向けた。

さっきよりは、自然に笑えた。


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