手を、つないで 〜ふたりの未来〜


 ーーー今電話いいですか?

 メッセージを送ったら、すぐに電話がかかってきた。
『お疲れなのにすみません』
 疲れなんて、この声でどこかに飛んでいく。
「いや、大丈夫。ごめん、遅くなって」
『ご飯ちゃんと食べましたか?』
「えっと……作業中に」
 彼女の苦笑いが聞こえた。
『ちゃんと食べてください』
「……うん」
 俺も苦笑して、幸せをかみしめる。彼女が心配してくれるのが嬉しい。だからってわざとではないが。
「なにかあったの?話したいって」
『はい……』
 言いにくそうだな。例の件かな?
『聞きたいことがあって』
「なに?」
『……あのコーヒーチョコ、航さんですか?』
 そのことか。
「うん、そう」
『……ありがとうございます』
 彼女の声のトーンが落ちた。迷惑だっただろうか。
「……ごめん」
『どうして謝るんですか』
「いや……黙って、勝手にしてたから」
『薄々は気付いてました。最初は自分で置き忘れたと思ったんですけど、そうじゃないのはすぐにわかって』
 段々、声が元に戻ってくる。
『なんか、毎日じゃないのが航さんぽいなって思って』
 笑ってる。良かった。
「ごめん、人がいない時がなくて。結局残業した時になって」
『そうかなって思ってました。チョコがある時は嬉しくて、でも最後まで残業してるってことだから、大丈夫かなって。今日も、ですよね』
 そうか、心配もさせちゃったか。
「うん。置いてきた」
『ありがとうございます。明日楽しみにしておきます』
 ぐすっと、鼻の音が聞こえた。
「……大丈夫?」
『はい、すいません。嬉しくて』
「嬉しい?」
『だって、航さんが優しいから……』
 隣にいたら、頭とか背中とかなでられるのに。歯がゆい。
『私はまだちゃんと話せてなくて、待たせてるのに、チョコくれるし……私が好きなのだし……』
 泣かれた。困った。
『すいません、泣いたりして』
「いや……なんか、ごめん」
『航さんは謝らないでください』
 そう言って彼女が笑う。泣いたり笑ったり、忙しいな。
『そんなに優しいと、怖くなります』
「え……」
 怖い。想像してなかった言葉。
 続きを聞くのが怖くなる。言葉に詰まっているうちに、彼女は話し始めた。
『航さんと付き合い始めてから、ずっと幸せで、どんどん航さんのこと好きになって、これ以上好きになることなんてあるのかなって思っても、まだあって』
 フリーズした頭の中に、彼女の言葉が入ってくる。
『航さんが、私の中でどんどん大きくなっていって、自分でもびっくりしました。そんな風に思えるんだって。そしたら、思っちゃったんです。もし、航さんがいなくなったらどうなるんだろって』
 ああ、わかった。彼女の言いたいことが。
『想像もできない。頭が動かなくなって、目の前が真っ暗になるんです』
 足下が崩れ落ちて、暗闇に落ちる。
 俺も、何度も。
『こんなこと、考えてもしょうがないってわかってるんです。でも、不安で、航さんに話したいけど、話したからって解決できないし、私の中の問題だから、航さんにはどうしようもないだろうし、考えれば考えるほどわからなくなってしまって』
 マイナス思考のループに陥るんだ。
 そうか、彼女は初めてなんだ。幸せも不安も。
 俺も似たようなものだ。こんなに人を好きになるのも、幸せな気持ちになるのも、彼女が初めて。失うのが怖いのも。
「でも、もう手放せない」
『え……』
「俺も、ちょっと前まで同じだった」
 ほんと、考えれば考えるほど不安になった。
「付き合う前だったら、怖いから、手放して、なかったことにしてたかもしれない。でも、今回は無理。なかったことにできない」
 不安と引き換えにしても、そばにいたい。
「俺も思った。考えてもしょうがないって」
『航さんも?』
「うん。それでも考えちゃうのも、俺も」
 彼女が息をついた。
『航さんは、どうしたんですか?どうやって……』
 そこから抜け出したのか。彼女が聞きたいことはわかる。でも。
「どうもしてない」
『え……?』
 彼女のきょとんとした顔が目に浮かぶ。
「そのまま」
『そのままって?』
「そのままだよ。不安なまま。今も不安」
 彼女が黙ってしまった。そうなるよな、と自分でも思う。
「時々押し寄せてくるけど、紛らわせるようにしてる」
『……うまくいきますか?』
「まあ……」
 言葉を濁したら、彼女が少し笑った。
「仕事すれば、大抵は紛れるよ。余りにも駄目な時は……」
 続きを言うのが恥ずかしい。思わず止まってしまう。
『駄目な時は?』
 彼女が促してくる。
「いや、うん……」
『教えてください』
 すがるような声。仕方ない。
「茉歩を見に行く」
『え?』
 まずい、顔が熱い。ほっぺたを押さえる。
『私?』
「用事作ったり、トイレに行くフリとか、休憩するフリして、茉歩を見に行く。一目見れば、不安は大抵収まるから」
 恥ずかしい。声が小さくなる。
『全然気付きませんでした……』
 そうだろう。一瞬だけだし。
「1番効果ある」
『もう……なにしてるんですか、航さん』
「なにって。見に行ってるだけだけど」
『だけって……恥ずかしいです』
「……ごめん」
『謝らなくてもいいですけど……』
 恥ずかしさをごまかしたくて、口を開く。
「正直、俺もどうしたらいいかわからない。でも多分、この不安はなくならないと思う。だから、対症療法しかない」
『対症療法……』
「その時その時をやり過ごすしかない……と思う」
 沈黙。考えているんだと思う。
 曖昧なことしか言えなくて情け無い。でも、こうするしかないと思ったんだ。
 彼女はしばらく黙っていたけど、やがてこう言った。
『じゃあ、私も』
「ん?」
『私も、行っていいですよね。航さんを見に』
 ああ、まあそうなるか。
「うん……やっぱ駄目」
『ええー、なんでですか』
 よくよく考えたら、凄く恥ずかしい。俺、こんな恥ずかしいことしてたのか。
『ずるいです』
「うん。俺もそう思う」
『もう、なんですかそれ』
 言って、笑い出す。そしてまた、ため息をついた。
『昼間はそれでなんとかなっても、夜はどうするんですか?まさか夜には仕事しないでしょう?』
 夜、寝る時とか、考えがちだ。
「寝る」
『やっぱり……』
 電話の向こうでガクッとしてそうだ。
「あとは、風呂かな」
『お風呂はいいかもしれないですね』
「うん。1番は寝る、だけどね」
『眠れなくなっちゃうから困ってるんですよ』
 は〜あ、と息混じりの声が聞こえた。
『でも、今日は大丈夫そうです』
 元気いっぱいじゃないけど、声に張りは戻ってる。
「ならいいけど」
『……はい』
 多分、笑顔の声。少しは役に立てただろうか。
『航さん』
「ん?」
『ありがとうございました。待っててくれて』
「うん……俺も、ありがとう。話してくれて」
 電話の向こうで、照れてる気配がする。ああ、なでたい。
『あっあの』
「なに?」
『コーヒーチョコは嬉しいですけど、帰りに置くのはもうやめた方がいいかもしれないです』
「なんで?」
『ウチの部屋に、幽霊が出るって噂になってます』
「ああ、さっき部屋出る時、谷垣に見つかった」
『えっ』
「何してたかまでは見られてないと思うけど。その時に聞いた、出るって」
『航さんのことですよね』
「かな……多分」
『航さんの気持ちは受け取りました。だから、もう大丈夫です』
「……不安になったら、すぐ言って。いつでも」
『はい』
「じゃあ幽霊は退散」
『少し淋しいですけど』
「また出るよ。茉歩の家に」
『お待ちしてます』
 2人で笑った。
「じゃあ……そろそろ」
 名残惜し過ぎるけど。
『……はい。おやすみなさい』
「おやすみ」
 電話を切る。
 淋しいけど、心は満たされていた。多分、彼女も同じ。
 その気分のまま、眠りにつく。
 久しぶりに、ぐっすり眠れた。




 
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