手を、つないで 〜ふたりの未来〜
2.航


「え……2月?4日?」
 耳を疑った。
 彼女が頷く。
 今日は3月18日。1ヶ月以上も前。

 付き合い始めてから、もう5ヶ月は経っている。彼女は記念日とかはあまり気にしない人らしく、◯ヶ月記念日とかは言い出したことはない。イベントも、日にちにはこだわらないようで、クリスマスは27日に会って、プレゼント交換をした。24日も25日も、お互いに仕事で忙しかったからだ。
 バレンタインデーは、2月13日にチョコレートをもらった。14日は会えなそうだから、と言われた。
 そして今日は、遅れたホワイトデーでやっとゆっくり会えた日だった。

 彼女の部署に誕生日だった人がいたらしい。話しているうちに、彼女の誕生日を知らないことに気が付いた。
 聞いたら、もう過ぎていた。付き合い出す前ならともかく、確実に付き合っている期間中。
 驚きで、歩いていた足が止まった。彼女も半歩先で振り返る。自分が重大なことを言ったとは思っていないらしい。

 なんで。
 頭の中はそれで一杯になった。
 なんで言ってくれなかったんだろう。なんでそれがなんでもないことみたいな顔をしてるんだろう。なんで俺は今まで聞かなかったんだ。なんで。

 彼女を見られない。このままだと責めてしまいそうだ。
 そうしたくなくて、目をそらす。
 彼女の少し焦った声が聞こえた。
「あ、あの……」
「……なんで、言ってくれなかったんですか……」
 何も言う気はなかったのに、口から出た。まずい、しゃべるな。
 俺が黙ったからか、彼女が口を開いた。
「あの……その頃、私も松永さんも、凄く忙しくて、言いにくくてそのまま……自分でも忘れてたくらいで、夜に母からメッセージもらって思い出したんです……」
 暗くて小さな声。彼女らしくない。そうさせてるのは俺だ。
「……すみません……」
 彼女が謝る。謝ることなんてないのに。

 確かに2月の頭の頃はバタバタしていた。短期の仕事が重なって、次から次へとめまぐるしかった。自分の誕生日を忘れてしまうのもわかる。言い出せなかったのも。
 また、気を遣わせてしまった。いつもそうだ。彼女は俺に負担をかけないように、といろんなことを飲み込んでしまう。そんなこと、しなくていいのに。

 いつまでも道路にいる訳にはいかない。彼女を家に送り届けなければ。そう思って歩き出した。
 気まずい空気だから、彼女が手を離してしまうかもしれないと思って、怖くて手に力が入る。俺が、彼女を離したくないから。彼女が手を離したいと思っていても。
「……俺が、悪いんで……」
 そんなんだから、彼女は俺に気を遣うんだ。俺が自分を優先させるから。俺が彼女を離したくない。俺が彼女に何かをしてあげたい。俺が、誕生日を祝いたかった。おめでとうって言いたかった。
 俺の方が忙しいから、と彼女はいつも気遣ってくれる。ワガママみたいなことはほとんど言わない。
 言ってほしい。素直に、遠慮なんてしないで。
 そうできるように、俺がならなきゃいけないのに。



 彼女の部屋の前に着いた。
 ドアの前でこっちを向いて、彼女が頭を下げる。
「……ありがとうございました」
 声が掠れて、顔がこわばってる。目を合わせてくれない。
 ああ、俺は、またやってしまった。自分の思考に走って、無表情になってたんだ。
 きっと彼女を怖がらせてしまっている。
 こんな時は笑えばいい。わかってる。俺が笑うと、彼女も安心したように笑うんだ。わかってるけど、自分の中のトゲみたいなものが刺さり過ぎてて笑うことができない。
「……入って、ください……」
 それしか言えない。きっと今は、何を言っても彼女を傷付ける。
 彼女が鞄から鍵を出した。でも動かない。
 何か声をかければいいんだろうけど、なんて言ったらいいのかわからない。自分の口下手を呪う。
 彼女が動くのを待っていたら、どこかの階から靴音が聞こえた。今はこっちには来ないみたいだけど、そのうち誰かが通ったりするだろう。何事かと思われたら、彼女に迷惑がかかる。
 彼女の手を包む。優しく、力を入れないように。そして、彼女の手から鍵を取って、ドアを開けた。
「あまりここにいると、近所迷惑になりますから……」
 中に入るように、手で示す。暗い表情のまま、彼女が中に入る。
 このまま帰していいのか。一緒にいたい気持ちはあるけど、まだ俺の中にはトゲが刺さったままだ。
 振り向いた彼女に、鍵を持たせる。
「……じゃあ」
 そう言ったら、ひどく悲しそうな顔になった。
 抱きしめたい衝動にかられた。でも、今それをしたら、めちゃくちゃに抱いてしまう。駄目だ、それも彼女を傷付ける。
 ドアを閉める。
 カチャン、と鍵がかかった。
 いつもと同じだ。彼女は、鍵を閉めないと俺が帰らないことを知っている。
 あんな悲しそうな顔だったのに、いつも通りのことをする。もう癖になってるんだろう。
 良かった。彼女はひとまず安全だ。そう思って歩き出した。




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