大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~
「はい。もうすぐ咲きそうです」

「綺麗でしょうね」

「ええ、きっと」

 しばらく黙って眺めていると、冷たさを増した夕風が頬を撫でた。

「そろそろ中に入りましょう。冷えてきました」

 朔也に促され、頷いて向きを変えた澄乃は、ふと石灯籠に目を留めた。

「梅の後は、この辺りに菫(すみれ)がたくさん咲くんですよ。それも綺麗なんです」

 何気なくそう言ったものの、返事がない。振り向くと、朔也は何故か意表を衝かれたような顔で澄乃を見つめていた。

「どうかなさいました?」

 驚いて尋ねると、我に返って朔也は首を振った。

「いいえ、なんでも」

「菫はお嫌い?」

「とんでもない」

 彼がいきなり声を張ったので、澄乃は目を丸くした。朔也は目許を赤らめ、視線を逸らし気味に呟いた。

「大好きです。俺は、菫が一等好きです」

「そ、そうですか」

 朔也は珍しくうろたえたように口ごもり、何か言おうとして諦めたかのように息をついた。

「申し訳ない」

「何がです?」

「いつも、あなたを驚かせてしまう」

 思わず笑いだし、澄乃はそっと手を伸ばして彼の手に触れた。ぴくりと彼の手が震える。

「いいんです、そんなの。楽しいですから」

「楽しいですか」

「はい。びっくりした後は、楽しいことが来ます。いつも」

 自信を持って言い切ると、まじまじと目を瞠っていた朔也はふっと表情をゆるめ、澄乃の手を握り返した。

「そうであれば、俺も嬉しいです」

「──あ。玄関に回って下さる?」

 思い出して頼むと、朔也は怪訝そうな顔になった。澄乃は肩から外套を外して朔也に差し出した。

「今日は必ずお帰りをお迎えすると決めていたんです。だから、お願い」

 そう言うと、朔也は軽く噴き出しながら頷いた。

「わかりました。では」

 外套を着直し、帽子を整えて彼が歩きだすと、澄乃は急いで脇の戸口から屋敷に戻った。玄関に到着して深呼吸すると、ほどなく扉が開いた。

 朔也が入って来る。澄乃はドキドキしながら頭を下げた。

「お帰りなさいませ」

「ただいま戻りました」

 顔を上げた澄乃を見つめた朔也は、今まで見たことがないくらい幸せそうに微笑んでいた。
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