大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~
雨の宵
窓を開けると、澄んだ朝の冷気とともに竹刀を振る規則正しい風切り音が聞こえてきた。
その凛とした響きに耳を傾け、澄乃はほんのりと微笑んだ。
これもまた、変わらない日常。
朔也は平日も休日も関係なく、朝は決まって素振りをする。小雨くらいでは休まない。いつだったか、雪が降りしきる中で素振りをしていたこともあった。近くで村瀬が黙々と雪かきをしているのが、妙に可笑しかった。
支度を終えて階下へ下りていくと、玄関で軍帽をかぶっている朔也の姿が見えた。すでにきっちりと軍服を着込み、腕には軽くたたんだ外套をかけている。驚いて近づくと、朔也は振り向いて小さく微笑んだ。
「おはようございます」
「もうお発ちですの? 今日はずいぶんお早いのですね」
「はい。本日行なわれる演習の打ち合わせが急に入りまして」
そういえば、先ほど電話が鳴っていたような気がする。
「朝餉はもうお召し上がりに?」
「いえ、陸軍省の食堂で摂ります」
「そうですか……」
しゅんとすると、朔也が腕を伸ばして澄乃の頬を軽く撫でた。思わず目を瞠る。
「すみません」
慌てて澄乃はかぶりを振った。
「お仕事ですもの」
澄乃は彼の外套を手にすると、背中から着せかけた。彼が袖を通した後、肩や襟の位置を整える。
朔也は白革の手袋をきっちり嵌めた。とうに見慣れたしぐさなのに、何故だかいつも見とれてしまう。彼が手袋を嵌め、軍帽の角度を直すしぐさは流れるように無駄がなく、典雅とさえ思える。
彼は向き直ると、わずかに首を傾げてじっと澄乃を見つめた。
「澄乃さん」
「はい」
続く言葉はない。彼はただ黙って澄乃を見つめ、そしてほんの少し、はにかんだように微笑んだ。
「行って参ります」
「いってらっしゃいませ」
一礼し、頭を上げると、彼の広い背中が目に入った。反射的に手を伸ばしそうになり、ぎゅっと指先を握り込む。
玄関の扉が開閉するあいだ、朔也はこちらを見なかった。まるで故意に目を背けているかのように。
その凛とした響きに耳を傾け、澄乃はほんのりと微笑んだ。
これもまた、変わらない日常。
朔也は平日も休日も関係なく、朝は決まって素振りをする。小雨くらいでは休まない。いつだったか、雪が降りしきる中で素振りをしていたこともあった。近くで村瀬が黙々と雪かきをしているのが、妙に可笑しかった。
支度を終えて階下へ下りていくと、玄関で軍帽をかぶっている朔也の姿が見えた。すでにきっちりと軍服を着込み、腕には軽くたたんだ外套をかけている。驚いて近づくと、朔也は振り向いて小さく微笑んだ。
「おはようございます」
「もうお発ちですの? 今日はずいぶんお早いのですね」
「はい。本日行なわれる演習の打ち合わせが急に入りまして」
そういえば、先ほど電話が鳴っていたような気がする。
「朝餉はもうお召し上がりに?」
「いえ、陸軍省の食堂で摂ります」
「そうですか……」
しゅんとすると、朔也が腕を伸ばして澄乃の頬を軽く撫でた。思わず目を瞠る。
「すみません」
慌てて澄乃はかぶりを振った。
「お仕事ですもの」
澄乃は彼の外套を手にすると、背中から着せかけた。彼が袖を通した後、肩や襟の位置を整える。
朔也は白革の手袋をきっちり嵌めた。とうに見慣れたしぐさなのに、何故だかいつも見とれてしまう。彼が手袋を嵌め、軍帽の角度を直すしぐさは流れるように無駄がなく、典雅とさえ思える。
彼は向き直ると、わずかに首を傾げてじっと澄乃を見つめた。
「澄乃さん」
「はい」
続く言葉はない。彼はただ黙って澄乃を見つめ、そしてほんの少し、はにかんだように微笑んだ。
「行って参ります」
「いってらっしゃいませ」
一礼し、頭を上げると、彼の広い背中が目に入った。反射的に手を伸ばしそうになり、ぎゅっと指先を握り込む。
玄関の扉が開閉するあいだ、朔也はこちらを見なかった。まるで故意に目を背けているかのように。