あなたの唇、君の皿ー拗れた片思いのその先にー
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美月には何が正解だったかずっとわからない出来事がある。高校二年の夏の出来事だ。
陸斗と出会ったのは、高校入学と同時に、陸斗が父親の転勤ですぐ近所に引っ越してきたとき。ご飯おかわり自由を目当てに毎日山盛り食べにくる男子が陸斗だった。落ち着いたグループにいる美月と学校では接触しないが、お店ではやたら愛想よく話しかけてくる彼。
でもお店を継ぎたいという美月の夢を馬鹿にせず、すげえすげえと色々褒めて試作品を食べてくれる気のいい相手は、すぐに美月の懐に変わった友人として入り込んできた。
でも、あの日。
スコールみたいな通り雨の中、財布も家の鍵忘れたと言う陸斗が、定休日の張り紙がついた食堂の扉前に、びしょ濡れで座り込んでいたことで全てが変わってしまった。
「なあ、おじさんたちは?」
母屋でお風呂とタオルと父の服を貸したが、サイズが合わなかったのか、ハーフパンツ一枚で肩にバスタオルをかけただけの陸斗にビクッとした。
父母は自治会の旅行で姉は彼氏の家と返すと、ふうん、という気のない音とともに、ペタペタと裸足の足音が続く。
「じゃあ俺たち二人きりってこと? 美月、警戒心が薄くない?」
豚肉を炒める美月の手元を陸斗が後ろから覗き込んでくる。真後ろにいる。近い。緊張に心臓が跳ねたが、努めて平静を装った。
「警戒心?陸斗相手に?まさか、私なんか」
「私なんか、何?」
突然肩に手が置かれて、ぐいと後ろを向かされた。
コンロの火が彼によって消され、彼の腕の中で向かい合うハメになる。半裸の相手と気にしないよう、顔だけを見た。ギュッと眉が寄っていた。
「なあ、何であんなことすんの?」
「何って?」
「なんで、知らない人の仲介なんかすんの?俺はてっきり美月から話があると思っていたのに」
「……頼まれたから」
むすっと口をへの字にする。確かにちゃんと伝えなかったのは気まずかった。
でも、いきなり上級生に囲まれて陸斗を呼び出すよう言われ、断ると実家のご飯で釣ってるだけの地味子が調子に乗るなと腹の立つことまで言われ。
おかっぱ黒髪で二軍以下だった自覚が、派手な一軍の先輩たちに対する引け目と怯えを増幅させた。
「馬鹿みたいにのこのこ行って、断るの面倒だった」
「……それは、ごめん。だけど用件言ったら陸斗行かないじゃん。正直、関係ない私の方が絡まれて大変だったよ」
「関係、ない……?」
「関係ないでしょ」
モテるのも大変だろうけど巻き込まないでよ、と美月は陸斗の腕を押した。陸斗と距離ができたことにほっとして調理に戻る。
「ほら、陸斗。できたよ!」
気まずさを誤魔化す明るい声を出して彼の脇をすり抜け、ダイニングテーブルに湯気が立つお皿を並べたとき。
「えっ?!」
いきなり後ろから抱きしめられた。
ギョッとする。目玉が飛び出るという表現がピッタリだった。
硬直した美月の顎に陸斗の指が触れて、そのまま後ろを向かされる。陸斗の整った顔が近づいてきて、パニックになった。
——バッチン!
少ししてから美月はそのものすごい音が自分の手のひらから出たものだと気がついた。目の前の陸斗の頬がはっきり赤い。
「……な、なに?」
まだ混乱する頭で、陸斗に問いかけた。
バクバクと心臓がうるさい。なんで、どうして。陸斗の顔がまともに見られない。どちらにせよ、横を向いて俯いた陸斗の表情などろくにわからなかったのだが。
「……ごめん。ちょっと……失恋して。ヤケになってた。美月を代わりにしようと、ごめん」
しばらくの沈黙の後、絞り出したような陸斗の声に唖然とした。
「……は?」
「ごめん。でもさ、美月も悪いよ。こんな、二人きりの家に招き入れて。男に都合がいいシチュ作ってさ」
「は?」
「……ごめんって。二度としない。食べていい?」
陸斗は固まってる美月を放って、勝手にダイニングの椅子に座り、勝手に食べ始めた。
あまりの身勝手に美月の内心に怒りが溜まった頃には、陸斗はもう半分ほど食べ終えていた。
「陸斗!ふざけないでよ!」
「……もうしない。絶対。ごめん。でも美月だって……。もう気のない男と家で二人きりなんてダメだ。絶対やめろよ」
何それ、偉そうに諭して何様。
美月は陸斗を睨んだ。陸斗は知らんぷりをして、大きな口で最後の肉を頬張る。ムグムグと彼の唇が動いて、最後にべろっと口の端を舐めた。
あの唇が一瞬、触れそうになった。
そう思った途端、ゾクっと美月の背筋になんともいえない痺れが走った。ただの男友達が、知らない男に見えたその瞬間。地味な美月とは全く違う世界の人間だと思っていた陸斗が、異性になった。
美月の不毛な恋が始まったのはそれからだ。
気のいい友達が、突然ドキドキする相手になってしまった。
でも、翌日からもギクシャクする美月とは対照的に、陸斗は何も変わらなくて。
何度か「ごめんな、ほんと、忘れて」と言われて。
陸斗も失恋で相当辛かったのかな、私なんか代わりにしようとしたことが黒歴史なのかな、なんて思った。
陸斗を見るたび心臓が跳ねて、普通の接し方を忘れてしまってなんとなく避けているうちに、彼は彼女を作って食堂にさえ来なくなった。
潰れるほど胸が痛かった。
でも、あまり長続きせず、また戻ってきて。いつだって「彼女なんて好きな人の代わりだから」と言った。
酷い陸斗に失望して、でも「美月、お腹すいたよ」と構ってくる陸斗を邪険にはできなかった。
だって、「友達」だから。
あの時、代わりになんてならなくてよかった。なっていたら、歴代彼女たちのようにポイ捨てされて、二度と会えなくなっていただろう。
でも、今となっては「美月だけは特別」と常に言う彼に一度でも異性として意識されたかった、気もする。
何もなかった頃からの距離を保ったまま、陸斗が県外の海洋大学に行って離れても、陸斗の実家が転勤で近所でなくなっても、彼は下船中は駅前のビジネスホテルに泊まって食堂に現れて、「この味が忘れられないんだよなー」とモリモリ食べて明るく笑う。
船から降りるたびに、ここに帰ってくる。美月が友人のまま気まずくならない限り。好きな人に会うついで、で。
胸が詰まりそうで、でもどんな理由でも、陸斗が会いに来続けてくれるならそれでいいと思い込んでいたのに。
美月には何が正解だったかずっとわからない出来事がある。高校二年の夏の出来事だ。
陸斗と出会ったのは、高校入学と同時に、陸斗が父親の転勤ですぐ近所に引っ越してきたとき。ご飯おかわり自由を目当てに毎日山盛り食べにくる男子が陸斗だった。落ち着いたグループにいる美月と学校では接触しないが、お店ではやたら愛想よく話しかけてくる彼。
でもお店を継ぎたいという美月の夢を馬鹿にせず、すげえすげえと色々褒めて試作品を食べてくれる気のいい相手は、すぐに美月の懐に変わった友人として入り込んできた。
でも、あの日。
スコールみたいな通り雨の中、財布も家の鍵忘れたと言う陸斗が、定休日の張り紙がついた食堂の扉前に、びしょ濡れで座り込んでいたことで全てが変わってしまった。
「なあ、おじさんたちは?」
母屋でお風呂とタオルと父の服を貸したが、サイズが合わなかったのか、ハーフパンツ一枚で肩にバスタオルをかけただけの陸斗にビクッとした。
父母は自治会の旅行で姉は彼氏の家と返すと、ふうん、という気のない音とともに、ペタペタと裸足の足音が続く。
「じゃあ俺たち二人きりってこと? 美月、警戒心が薄くない?」
豚肉を炒める美月の手元を陸斗が後ろから覗き込んでくる。真後ろにいる。近い。緊張に心臓が跳ねたが、努めて平静を装った。
「警戒心?陸斗相手に?まさか、私なんか」
「私なんか、何?」
突然肩に手が置かれて、ぐいと後ろを向かされた。
コンロの火が彼によって消され、彼の腕の中で向かい合うハメになる。半裸の相手と気にしないよう、顔だけを見た。ギュッと眉が寄っていた。
「なあ、何であんなことすんの?」
「何って?」
「なんで、知らない人の仲介なんかすんの?俺はてっきり美月から話があると思っていたのに」
「……頼まれたから」
むすっと口をへの字にする。確かにちゃんと伝えなかったのは気まずかった。
でも、いきなり上級生に囲まれて陸斗を呼び出すよう言われ、断ると実家のご飯で釣ってるだけの地味子が調子に乗るなと腹の立つことまで言われ。
おかっぱ黒髪で二軍以下だった自覚が、派手な一軍の先輩たちに対する引け目と怯えを増幅させた。
「馬鹿みたいにのこのこ行って、断るの面倒だった」
「……それは、ごめん。だけど用件言ったら陸斗行かないじゃん。正直、関係ない私の方が絡まれて大変だったよ」
「関係、ない……?」
「関係ないでしょ」
モテるのも大変だろうけど巻き込まないでよ、と美月は陸斗の腕を押した。陸斗と距離ができたことにほっとして調理に戻る。
「ほら、陸斗。できたよ!」
気まずさを誤魔化す明るい声を出して彼の脇をすり抜け、ダイニングテーブルに湯気が立つお皿を並べたとき。
「えっ?!」
いきなり後ろから抱きしめられた。
ギョッとする。目玉が飛び出るという表現がピッタリだった。
硬直した美月の顎に陸斗の指が触れて、そのまま後ろを向かされる。陸斗の整った顔が近づいてきて、パニックになった。
——バッチン!
少ししてから美月はそのものすごい音が自分の手のひらから出たものだと気がついた。目の前の陸斗の頬がはっきり赤い。
「……な、なに?」
まだ混乱する頭で、陸斗に問いかけた。
バクバクと心臓がうるさい。なんで、どうして。陸斗の顔がまともに見られない。どちらにせよ、横を向いて俯いた陸斗の表情などろくにわからなかったのだが。
「……ごめん。ちょっと……失恋して。ヤケになってた。美月を代わりにしようと、ごめん」
しばらくの沈黙の後、絞り出したような陸斗の声に唖然とした。
「……は?」
「ごめん。でもさ、美月も悪いよ。こんな、二人きりの家に招き入れて。男に都合がいいシチュ作ってさ」
「は?」
「……ごめんって。二度としない。食べていい?」
陸斗は固まってる美月を放って、勝手にダイニングの椅子に座り、勝手に食べ始めた。
あまりの身勝手に美月の内心に怒りが溜まった頃には、陸斗はもう半分ほど食べ終えていた。
「陸斗!ふざけないでよ!」
「……もうしない。絶対。ごめん。でも美月だって……。もう気のない男と家で二人きりなんてダメだ。絶対やめろよ」
何それ、偉そうに諭して何様。
美月は陸斗を睨んだ。陸斗は知らんぷりをして、大きな口で最後の肉を頬張る。ムグムグと彼の唇が動いて、最後にべろっと口の端を舐めた。
あの唇が一瞬、触れそうになった。
そう思った途端、ゾクっと美月の背筋になんともいえない痺れが走った。ただの男友達が、知らない男に見えたその瞬間。地味な美月とは全く違う世界の人間だと思っていた陸斗が、異性になった。
美月の不毛な恋が始まったのはそれからだ。
気のいい友達が、突然ドキドキする相手になってしまった。
でも、翌日からもギクシャクする美月とは対照的に、陸斗は何も変わらなくて。
何度か「ごめんな、ほんと、忘れて」と言われて。
陸斗も失恋で相当辛かったのかな、私なんか代わりにしようとしたことが黒歴史なのかな、なんて思った。
陸斗を見るたび心臓が跳ねて、普通の接し方を忘れてしまってなんとなく避けているうちに、彼は彼女を作って食堂にさえ来なくなった。
潰れるほど胸が痛かった。
でも、あまり長続きせず、また戻ってきて。いつだって「彼女なんて好きな人の代わりだから」と言った。
酷い陸斗に失望して、でも「美月、お腹すいたよ」と構ってくる陸斗を邪険にはできなかった。
だって、「友達」だから。
あの時、代わりになんてならなくてよかった。なっていたら、歴代彼女たちのようにポイ捨てされて、二度と会えなくなっていただろう。
でも、今となっては「美月だけは特別」と常に言う彼に一度でも異性として意識されたかった、気もする。
何もなかった頃からの距離を保ったまま、陸斗が県外の海洋大学に行って離れても、陸斗の実家が転勤で近所でなくなっても、彼は下船中は駅前のビジネスホテルに泊まって食堂に現れて、「この味が忘れられないんだよなー」とモリモリ食べて明るく笑う。
船から降りるたびに、ここに帰ってくる。美月が友人のまま気まずくならない限り。好きな人に会うついで、で。
胸が詰まりそうで、でもどんな理由でも、陸斗が会いに来続けてくれるならそれでいいと思い込んでいたのに。