月水金は私の彼。火木土は親友の彼
三人がいちばん
三人でいるのが、世界でいちばん幸せ。ずっと、そう思っていた。
でも、いつからだろう。その「三人」を数えるとき、私はもう、一人だけを特別な場所に置きはじめていた。
誰にも――親友のるりにさえ、渡したくない場所に。
その独占欲の芽に、まだ名前をつけられずにいた頃の話をする。
……
土曜の朝、リビングのテーブルには、三人分のパンケーキが並んでいた。
律くんが焼いて、私がフルーツを切って、るりがコーヒーを淹れる。誰が決めたわけでもないのに、いつの間にか役割ができあがっていた。
「今日、律の焼き方、うまくなったね」
るりがフォークで一切れ刺しながら、からかうように言う。
「るりさんに何度もダメ出しされたおかげです」
「だって最初、焦げてたし」
「あれは、火加減の説明が悪かったんですって」
「言い訳」
軽口を叩きあう二人を眺めながら、私は自分の頬が緩んでいるのに気づいた。
こういう時間が、たまらなく好きだった。
三人でいると、何をしていても楽しい。
休日の昼間から近所の公園を散歩したり、深夜にコンビニへアイスを買いに行ったり。誰も無理をしていないのに、ちょうどよく回る。
まるで、最初からこの三人でいるために生まれてきたみたいに。
るりは効率重視で、無駄な予定を立てるのが嫌い。
私は思いつきで動くタイプで、予定なんてあってないようなもの。本当なら噛み合わないはずの二人の間に、律くんが入ると、なぜか歯車がきれいに回りだす。
「今日、天気いいし、河川敷でも行く?」
律くんが言うと、るりは「暑いんだけど」と言いながらも、もう日焼け止めを取りに立ち上がっている。
口では面倒くさがるくせに、結局いちばん張り切って準備をするのがるりだった。
「じゃあ、お弁当作るね」
私がそう言うと、二人が同時に「頼む」と声を揃えて、三人で顔を見合わせて笑った。
……
「ねえ、思うんだけどさ」
洗い物をしながら、私は何気なくつぶやいた。
「このままずっと、三人でこうしてられたらいいのにね」
隣で食器を拭いていたるりが、ちらりと私を見た。
「ずっと、って。私たち、いつまでも学生じゃないんだよ」
「分かってるよ。でも……なんていうか、これ以上を望んじゃいけない気がして」
これ以上、という言葉に、自分でも小さく引っかかった。これ以上とは、何のことだろう。
恋人、という響きが頭をよぎって、私は慌ててそれを打ち消した。
律くんは、ただの隣人。優しい、友達。そのはずだった。
「贅沢な悩みだね」
るりは短く笑って、また皿を拭く手を動かした。その横顔が、いつもよりほんの少し、考え込むように見えた。
思えば、るりとはずっとこうだった。
大学のバイト先で出会って、性格はまるで違うのに、気づけば一緒にいる時間がいちばん長くなっていた。恋人ができても長続きしないくせに、るりとの関係だけは、5年経ってもびくともしない。
――この人となら、この先も大丈夫。
そう信じて疑わなかった。律くんが現れるまでは。
……
その日の夕方、律くんの部屋に三人で集まった。
引っ越してきたばかりの頃は段ボールだらけだった部屋も、今ではすっかり片づいて、私たちの私物までいくつか置かれるようになっていた。るりの読みかけの文庫本。私が置いていったブランケット。
「なんか、ここ、俺の部屋なのに俺の物が一番少ない気がする」
律くんが苦笑いしながら言うと、るりが「文句あるの」と鋭く返す。
「いえ、まったく」
「素直でよろしい」
そんなやりとりに、私はまた笑ってしまう。三人でいるときのるりは、店でも家でも見せない、無防備な顔をしている。律くんの前だと、いつもより少しだけ、言葉が柔らかい。
——気づいてしまった。
るりが律くんを見るとき、いつも目元がわずかに緩んでいる。
私にだけ見せる意地悪な顔とは違う、隠しきれない優しさ。
まさか、と思う。でも、まさかでもないような気もする。
胸の奥に、小さな棘のようなものが刺さった。
それが何なのか、このときの私には、まだ名前をつけられなかった。
「るり、律くんのこと、どう思ってるの」
思い切って聞いてみると、るりは一瞬だけ手を止めて、それからいつもの澄ました顔に戻った。
「別に。ただの、便利な隣人でしょ」
「ふうん……」
信じたわけじゃなかった。でも、それ以上は聞けなかった。
聞いてしまったら、自分の中の何かも、認めなくちゃいけない気がしたから。
……
夜、寝る前にスマホを開くと、律くんからメッセージが届いていた。
【今日も楽しかった。ひなたちゃんのパンケーキ、また食べたいな】
たった、それだけの文章に、頬が熱くなる。
——ひなたちゃんの。
自分だけに向けられた言葉のような気がして、うれしくて、画面を何度も見返してしまう。
返信を打っては消し、打っては消し。結局、素っ気ない一言しか送れなかった。
【また今度作るね】
送信したあと、ふと思う。
るりにも、律くんは同じような言葉を送っているんだろうか。
そう考えた瞬間、胸の奥の棘が、少しだけ深く刺さった気がした。
翌朝、その予感は妙な形で当たった。
キッチンでコーヒーを淹れていたるりが、スマホを見て、ほんの少しだけ口元を緩めたのだ。
私が「何」と聞くと、るりは画面を伏せて、いつもの顔に戻った。
「別に。律から。昨日のコーヒー、また飲みたいって」
その言い方は何でもないふうだった。でも、るりの耳がかすかに赤いのを、私は見逃せなかった。
ひなたちゃんのパンケーキ。また食べたいな。
るりさんのコーヒー。また飲みたいです。
たぶん、律くんにとってはどちらも本心で、どちらも同じくらい軽い。
そう分かっているのに、私の中では、その二つの「また」が、どうしても同じ重さには見えなかった。
スマホを閉じて、天井を見上げる。
このまま三人でいられたら。そう願う自分と、律くんにだけ見つめられたいと思う自分が、同じ胸の中で矛盾なく同居していた。
それが恋というものなのか、ただの独占欲なのか、まだ区別がつかない。
三人でいる時間が、世界でいちばん幸せだと思っていた。
その「いちばん」の中に、実はもう、ひとつじゃ足りない何かが紛れ込んでいたことに、私はまだ気づいていなかった。
でも、いつからだろう。その「三人」を数えるとき、私はもう、一人だけを特別な場所に置きはじめていた。
誰にも――親友のるりにさえ、渡したくない場所に。
その独占欲の芽に、まだ名前をつけられずにいた頃の話をする。
……
土曜の朝、リビングのテーブルには、三人分のパンケーキが並んでいた。
律くんが焼いて、私がフルーツを切って、るりがコーヒーを淹れる。誰が決めたわけでもないのに、いつの間にか役割ができあがっていた。
「今日、律の焼き方、うまくなったね」
るりがフォークで一切れ刺しながら、からかうように言う。
「るりさんに何度もダメ出しされたおかげです」
「だって最初、焦げてたし」
「あれは、火加減の説明が悪かったんですって」
「言い訳」
軽口を叩きあう二人を眺めながら、私は自分の頬が緩んでいるのに気づいた。
こういう時間が、たまらなく好きだった。
三人でいると、何をしていても楽しい。
休日の昼間から近所の公園を散歩したり、深夜にコンビニへアイスを買いに行ったり。誰も無理をしていないのに、ちょうどよく回る。
まるで、最初からこの三人でいるために生まれてきたみたいに。
るりは効率重視で、無駄な予定を立てるのが嫌い。
私は思いつきで動くタイプで、予定なんてあってないようなもの。本当なら噛み合わないはずの二人の間に、律くんが入ると、なぜか歯車がきれいに回りだす。
「今日、天気いいし、河川敷でも行く?」
律くんが言うと、るりは「暑いんだけど」と言いながらも、もう日焼け止めを取りに立ち上がっている。
口では面倒くさがるくせに、結局いちばん張り切って準備をするのがるりだった。
「じゃあ、お弁当作るね」
私がそう言うと、二人が同時に「頼む」と声を揃えて、三人で顔を見合わせて笑った。
……
「ねえ、思うんだけどさ」
洗い物をしながら、私は何気なくつぶやいた。
「このままずっと、三人でこうしてられたらいいのにね」
隣で食器を拭いていたるりが、ちらりと私を見た。
「ずっと、って。私たち、いつまでも学生じゃないんだよ」
「分かってるよ。でも……なんていうか、これ以上を望んじゃいけない気がして」
これ以上、という言葉に、自分でも小さく引っかかった。これ以上とは、何のことだろう。
恋人、という響きが頭をよぎって、私は慌ててそれを打ち消した。
律くんは、ただの隣人。優しい、友達。そのはずだった。
「贅沢な悩みだね」
るりは短く笑って、また皿を拭く手を動かした。その横顔が、いつもよりほんの少し、考え込むように見えた。
思えば、るりとはずっとこうだった。
大学のバイト先で出会って、性格はまるで違うのに、気づけば一緒にいる時間がいちばん長くなっていた。恋人ができても長続きしないくせに、るりとの関係だけは、5年経ってもびくともしない。
――この人となら、この先も大丈夫。
そう信じて疑わなかった。律くんが現れるまでは。
……
その日の夕方、律くんの部屋に三人で集まった。
引っ越してきたばかりの頃は段ボールだらけだった部屋も、今ではすっかり片づいて、私たちの私物までいくつか置かれるようになっていた。るりの読みかけの文庫本。私が置いていったブランケット。
「なんか、ここ、俺の部屋なのに俺の物が一番少ない気がする」
律くんが苦笑いしながら言うと、るりが「文句あるの」と鋭く返す。
「いえ、まったく」
「素直でよろしい」
そんなやりとりに、私はまた笑ってしまう。三人でいるときのるりは、店でも家でも見せない、無防備な顔をしている。律くんの前だと、いつもより少しだけ、言葉が柔らかい。
——気づいてしまった。
るりが律くんを見るとき、いつも目元がわずかに緩んでいる。
私にだけ見せる意地悪な顔とは違う、隠しきれない優しさ。
まさか、と思う。でも、まさかでもないような気もする。
胸の奥に、小さな棘のようなものが刺さった。
それが何なのか、このときの私には、まだ名前をつけられなかった。
「るり、律くんのこと、どう思ってるの」
思い切って聞いてみると、るりは一瞬だけ手を止めて、それからいつもの澄ました顔に戻った。
「別に。ただの、便利な隣人でしょ」
「ふうん……」
信じたわけじゃなかった。でも、それ以上は聞けなかった。
聞いてしまったら、自分の中の何かも、認めなくちゃいけない気がしたから。
……
夜、寝る前にスマホを開くと、律くんからメッセージが届いていた。
【今日も楽しかった。ひなたちゃんのパンケーキ、また食べたいな】
たった、それだけの文章に、頬が熱くなる。
——ひなたちゃんの。
自分だけに向けられた言葉のような気がして、うれしくて、画面を何度も見返してしまう。
返信を打っては消し、打っては消し。結局、素っ気ない一言しか送れなかった。
【また今度作るね】
送信したあと、ふと思う。
るりにも、律くんは同じような言葉を送っているんだろうか。
そう考えた瞬間、胸の奥の棘が、少しだけ深く刺さった気がした。
翌朝、その予感は妙な形で当たった。
キッチンでコーヒーを淹れていたるりが、スマホを見て、ほんの少しだけ口元を緩めたのだ。
私が「何」と聞くと、るりは画面を伏せて、いつもの顔に戻った。
「別に。律から。昨日のコーヒー、また飲みたいって」
その言い方は何でもないふうだった。でも、るりの耳がかすかに赤いのを、私は見逃せなかった。
ひなたちゃんのパンケーキ。また食べたいな。
るりさんのコーヒー。また飲みたいです。
たぶん、律くんにとってはどちらも本心で、どちらも同じくらい軽い。
そう分かっているのに、私の中では、その二つの「また」が、どうしても同じ重さには見えなかった。
スマホを閉じて、天井を見上げる。
このまま三人でいられたら。そう願う自分と、律くんにだけ見つめられたいと思う自分が、同じ胸の中で矛盾なく同居していた。
それが恋というものなのか、ただの独占欲なのか、まだ区別がつかない。
三人でいる時間が、世界でいちばん幸せだと思っていた。
その「いちばん」の中に、実はもう、ひとつじゃ足りない何かが紛れ込んでいたことに、私はまだ気づいていなかった。