月水金は私の彼。火木土は親友の彼
好きって言った
花火の夜から、三日が経っていた。
その間、私とるりは、どちらも普段どおりに振る舞おうとしていた。
「おはよう」も「おかえり」も、いつもと同じ声で言えていたと思う。ただ、目が合う回数だけが、明らかに減っていた。
朝、洗面所で鏡越しに目が合うと、どちらからともなく視線を逸らす。
夕飯を作っても、いつもより会話が少ない。テレビの音だけが、やけに大きく響く食卓だった。
気まずさの正体には、二人ともとっくに気づいていた。
ただ、それを言葉にしてしまえば、もう後戻りできない気がして、必死に見ないふりをしていた。
限界が来たのは、雨の降る夜だった。
花火の日から、律とは意識して距離を置いていた。連絡が来ても、返信までに時間を置くようにした。
それでも、彼から届くメッセージの端々に、変わらない優しさが滲んでいて、そのたびに胸が疼いた。
るりも似たようなものだったんだろう。
バーから帰ってくる時間が、心なしか早くなっていた。二人とも、言葉にはしないまま、同じ人からそっと距離を取ろうとしていた。
そんな不自然な均衡が、長く続くはずもなかった。
るりが仕事を休みにした珍しい日で、二人でワインを一本空けたころ、私はうっかり口を滑らせた。
「るりって、律くんのこと……本当は、好きなんじゃないの」
言った瞬間、しまったと思った。でも、もう遅い。
るりは、しばらく黙っていた。グラスの中の赤い液体を、ゆっくりと揺らしながら。
「……それを聞くひなたは、どうなの」
返す刃のような問いに、私は言葉に詰まった。ごまかす選択肢は、もう残されていなかった。
「……好き。たぶん、ずっと前から」
小さな声で認めると、るりは短く息を吐いた。笑うでも、怒るでもない、複雑な表情だった。
「私も」
たった二文字が、部屋の空気を一変させた。
……
そこから先は、記憶が曖昧なくらい、感情がぶつかり合った。
「知ってて黙ってたの?ひどくない」
「そっちこそ。花火のときから、様子おかしかったじゃん」
「るりは余裕そうにしてたくせに」
「余裕なわけないでしょ、あんなの見せられて」
売り言葉に買い言葉で、声が徐々に大きくなる。
5年間、こんなふうにぶつかったことは一度もなかった。積み上げてきた信頼が、たった一人の男の存在で、音を立てて揺らいでいる。
「大体、るりはいつもそう。余裕ぶって、本音を隠して。私にだけ意地悪言うくせに」
「ひなたこそ、いい子ぶって、全部人任せにするじゃん。今回だって、先に好きって言ったの私じゃん。私にだけ気づかせといて」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあどんなつもりだったの」
言葉の刃が、互いの柔らかいところを的確に突いてくる。長い付き合いだからこそ、どこを突けば一番痛いか、二人とも知り尽くしていた。
「もういい。律くんのこと諦めるから、るりが付き合えば」
売り言葉のつもりだった。でも、口にした瞬間、自分の胸が引き裂かれるように痛んだ。
るりは、そんな私をじっと見つめて、それから小さく首を振った。
「――やめよう」
「え」
「こんなことで、ひなたと喧嘩したくない」
その一言に、張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。
「私だって、るりと絶交とか、絶対嫌だよ」
「知ってる」
るりはグラスをテーブルに置いて、深く息をついた。
「私たち、律のことより、お互いのほうが大事なはずでしょ」
その言葉に、私は泣きそうになった。喧嘩の熱よりも、るりのその一言のほうが、ずっと胸に染みた。
思えば、るりはいつもそうだった。
口では素っ気ないことを言うくせに、肝心なところで、いちばん大事なものを見失わない。学生の頃、私が失恋して荒れていたとき、黙って隣にいてくれたのもるりだった。
就職活動でつまずいたとき、深夜のファミレスに付き合ってくれたのもるりだった。
その存在を、たった一人の男のために手放すなんて、考えただけで息ができなくなる。
……
しばらく、二人とも黙り込んだ。
雨の音だけが、部屋を満たしていた。
「……ねえ、るり」
「何」
「本当に、二人ともこのままなの?律くんのこと、諦められる?」
正直に聞くと、るりは苦い顔をした。
「無理。多分、ひなたも無理でしょ」
図星だった。認めたくないけれど、諦めるという選択肢は、想像するだけで胸が締めつけられた。
「じゃあ、どうするの」
沈黙が落ちた。長い、長い沈黙だった。
やがて、るりが顔を上げた。ワイングラスの縁を指でなぞりながら、どこか投げやりに、それでいて真剣な目で。
「じゃあ、分ける?」
その一言の意味を、私はすぐには理解できなかった。
「分けるって……何を」
「決まってるでしょ。律のこと」
冗談かと思って、私は笑おうとした。
でも、るりの目は、少しも笑っていなかった。
雨の音が、また強くなる。窓ガラスを叩く雫の音を聞きながら、私は自分の心臓が、期待とも恐怖ともつかない速さで鳴り始めるのを感じていた。
その間、私とるりは、どちらも普段どおりに振る舞おうとしていた。
「おはよう」も「おかえり」も、いつもと同じ声で言えていたと思う。ただ、目が合う回数だけが、明らかに減っていた。
朝、洗面所で鏡越しに目が合うと、どちらからともなく視線を逸らす。
夕飯を作っても、いつもより会話が少ない。テレビの音だけが、やけに大きく響く食卓だった。
気まずさの正体には、二人ともとっくに気づいていた。
ただ、それを言葉にしてしまえば、もう後戻りできない気がして、必死に見ないふりをしていた。
限界が来たのは、雨の降る夜だった。
花火の日から、律とは意識して距離を置いていた。連絡が来ても、返信までに時間を置くようにした。
それでも、彼から届くメッセージの端々に、変わらない優しさが滲んでいて、そのたびに胸が疼いた。
るりも似たようなものだったんだろう。
バーから帰ってくる時間が、心なしか早くなっていた。二人とも、言葉にはしないまま、同じ人からそっと距離を取ろうとしていた。
そんな不自然な均衡が、長く続くはずもなかった。
るりが仕事を休みにした珍しい日で、二人でワインを一本空けたころ、私はうっかり口を滑らせた。
「るりって、律くんのこと……本当は、好きなんじゃないの」
言った瞬間、しまったと思った。でも、もう遅い。
るりは、しばらく黙っていた。グラスの中の赤い液体を、ゆっくりと揺らしながら。
「……それを聞くひなたは、どうなの」
返す刃のような問いに、私は言葉に詰まった。ごまかす選択肢は、もう残されていなかった。
「……好き。たぶん、ずっと前から」
小さな声で認めると、るりは短く息を吐いた。笑うでも、怒るでもない、複雑な表情だった。
「私も」
たった二文字が、部屋の空気を一変させた。
……
そこから先は、記憶が曖昧なくらい、感情がぶつかり合った。
「知ってて黙ってたの?ひどくない」
「そっちこそ。花火のときから、様子おかしかったじゃん」
「るりは余裕そうにしてたくせに」
「余裕なわけないでしょ、あんなの見せられて」
売り言葉に買い言葉で、声が徐々に大きくなる。
5年間、こんなふうにぶつかったことは一度もなかった。積み上げてきた信頼が、たった一人の男の存在で、音を立てて揺らいでいる。
「大体、るりはいつもそう。余裕ぶって、本音を隠して。私にだけ意地悪言うくせに」
「ひなたこそ、いい子ぶって、全部人任せにするじゃん。今回だって、先に好きって言ったの私じゃん。私にだけ気づかせといて」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあどんなつもりだったの」
言葉の刃が、互いの柔らかいところを的確に突いてくる。長い付き合いだからこそ、どこを突けば一番痛いか、二人とも知り尽くしていた。
「もういい。律くんのこと諦めるから、るりが付き合えば」
売り言葉のつもりだった。でも、口にした瞬間、自分の胸が引き裂かれるように痛んだ。
るりは、そんな私をじっと見つめて、それから小さく首を振った。
「――やめよう」
「え」
「こんなことで、ひなたと喧嘩したくない」
その一言に、張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。
「私だって、るりと絶交とか、絶対嫌だよ」
「知ってる」
るりはグラスをテーブルに置いて、深く息をついた。
「私たち、律のことより、お互いのほうが大事なはずでしょ」
その言葉に、私は泣きそうになった。喧嘩の熱よりも、るりのその一言のほうが、ずっと胸に染みた。
思えば、るりはいつもそうだった。
口では素っ気ないことを言うくせに、肝心なところで、いちばん大事なものを見失わない。学生の頃、私が失恋して荒れていたとき、黙って隣にいてくれたのもるりだった。
就職活動でつまずいたとき、深夜のファミレスに付き合ってくれたのもるりだった。
その存在を、たった一人の男のために手放すなんて、考えただけで息ができなくなる。
……
しばらく、二人とも黙り込んだ。
雨の音だけが、部屋を満たしていた。
「……ねえ、るり」
「何」
「本当に、二人ともこのままなの?律くんのこと、諦められる?」
正直に聞くと、るりは苦い顔をした。
「無理。多分、ひなたも無理でしょ」
図星だった。認めたくないけれど、諦めるという選択肢は、想像するだけで胸が締めつけられた。
「じゃあ、どうするの」
沈黙が落ちた。長い、長い沈黙だった。
やがて、るりが顔を上げた。ワイングラスの縁を指でなぞりながら、どこか投げやりに、それでいて真剣な目で。
「じゃあ、分ける?」
その一言の意味を、私はすぐには理解できなかった。
「分けるって……何を」
「決まってるでしょ。律のこと」
冗談かと思って、私は笑おうとした。
でも、るりの目は、少しも笑っていなかった。
雨の音が、また強くなる。窓ガラスを叩く雫の音を聞きながら、私は自分の心臓が、期待とも恐怖ともつかない速さで鳴り始めるのを感じていた。