月水金は私の彼。火木土は親友の彼
三人の花火
その夜、私は生まれて初めて、ひなたに嫉妬した。
5年間、世界でいちばん近くにいた親友に。同じ人を、同じ夜に、同じ目で見つめてしまった、それだけのことで。
きれいな花火なんて、ひとつも覚えていない。覚えているのは、隣で頬を染めるひなたの横顔と、胸の奥で初めて鳴った、この醜い音だけだ。
……
浴衣の帯を締めながら、ひなたが鏡の前ではしゃいでいる。
「るり、これで変じゃない?見て見て」
「変じゃない。似合ってる」
「もー、ちゃんと見てから言ってよ」
見なくても分かる。ひなたに似合わない格好なんて、この世に存在しない。
私はそう思いながら、自分の浴衣の衿元を整えた。
夏祭りなんて、正直どうでもよかった。人混みも、暑さも、得意じゃない。
それでも今年だけは、断る理由が見つからなかった。
律が「三人で行きましょう」と、当然のように誘ってきたから。
断れば、理由を説明する羽目になる。説明できる理由が、私にはなかった。それだけだ。
浴衣なんて、何年ぶりだろう。着付けの途中、帯がうまく結べなくて苦戦していると、ひなたが後ろから手を伸ばしてきた。
「るり、じっとしてて。……よし、できた」
鏡の中で、丁寧な蝶結びが完成している。
「うまいじゃん」
「動画で予習したの。せっかくの祭りだもん」
無邪気に笑うひなたの後ろで、私は鏡の中の自分を見た。祭りを楽しみにしている顔だった。
柄にもない。人混みは苦手だ。浴衣は面倒だ。なのに、今夜が待ち遠しい。理由は、考えないことにした。
……
会場に着くと、律は両手にりんご飴を持って、私たちのところへ戻ってきた。
「はい、るりさんの分と、ひなたちゃんの分」
まったく同じ大きさ、同じ本数。差なんて、髪の毛一本もない。
分かっている。この人は、誰にでも同じように優しい。それだけのことだ。
なのに一瞬、自分の分だけ小さければいいのに、と考えた。差が、欲しかったのだ。りんご飴ひとつに。呆れる。
「ありがと」
「ありがとう、律くん」
ひなたが花のように笑うのを見て、私は視線を人混みのほうへ逃がした。
屋台を回りながら、律はどちらの歩調にも合わせて歩いた。
ひなたが金魚すくいに夢中になれば付き合い、私が射的の的を狙えば「るりさん、狙い外してますよ」とからかってくる。
器用というより、誰にも偏らないよう、無意識に距離を計っているみたいだった。
その公平さが、ありがたくて、同時に少しだけ、寂しかった。
屋台の間を歩きながら、私は隣を歩くひなたをちらりと見た。頬を上気させて、綿あめの袋を抱えたその横顔は、いつもより幼く見えた。
この子と律が並んで笑っている様子を見るたび、胸のどこかがちくりとする。理由に、気づかないふりをしていた。
……
花火が始まったのは、夜の八時を過ぎた頃だった。
土手には、想像していたより多くの人が集まっていた。
場所取りのレジャーシートを広げようとして、律が「ここ、いいですかね」と、狭い隙間を見つけてくる。三人が並んで座るには、少し窮屈な広さだった。
「もうちょっと詰めますか」
律がそう言って、結局、真ん中に律、両脇に私とひなたという並びに落ち着いた。
肩がぶつかりそうな距離。腕を伸ばせば触れてしまう距離。
押し合う人波の中で、気づけば律が私とひなたの間に立つ形になっていた。
どん、と最初の一発が夜空を割る。
歓声が上がって、人の波が大きく押し寄せた。よろけた拍子に、律の手が私の肩にそっと触れて、支えてくれる。
「大丈夫ですか」
「……うん」
短く答えるだけで、精一杯だった。触れられた肩が、熱い。
花火の光が、律の横顔を赤や青に染めていく。
空を見ろ。花火を見ろ。何度命じても、私の目は、隣の横顔から動かなかった。
反対側では、ひなたも同じように、律の袖を軽くつかんで、空を見上げている。
同じ人を、同じ夜に、同じ気持ちで見ている。
その事実に、私はようやく、目を逸らせなくなった。
これは、気の迷いなんかじゃない。私は、この人が好きだ。
認めてしまった瞬間、隣にいるひなたの横顔が、やけにくっきりと視界に入った。頬を赤らめて、律を見つめる、あの表情。
……ああ。
この子も、同じだ。
花火の音が、遠くで鳴り続けている。きれいだと思う心の余裕は、もう残っていなかった。
……
帰り道、三人はそれぞれの部屋の前で別れた。
律が「今日は楽しかったです、また」と手を振って自室に消えると、玄関先には、私とひなただけが残った。
いつもなら、他愛のない感想で盛り上がる時間だ。花火はどうだったとか、屋台の何がおいしかったとか。
でも、今夜は、どちらも口を開かなかった。
鍵を回す音だけが、やけに大きく響く。ひなたの横顔は、いつもより青白く見えた。
何かをこらえているような、その表情。
私も、きっと同じ顔をしているんだろう。
玄関のドアを開けながら、私は小さく息を吸った。喉元まで出かかった言葉を、かろうじて飲み込む。
――私、たぶん。
その先は、口にできなかった。
自分の部屋に入って、ドアに背中を預ける。心臓の音がまだうるさい。
帯をほどく前に、スマホが震えた。
【浴衣、似合ってました。また三人で行きたいですね】
律からだった。
たったそれだけで、さっきまで我慢していた熱が、また胸の奥に戻ってくる。
似合っていた。私に向けられた言葉。そう思いたかった。思ってしまいたかった。
けれど、廊下の向こうで、ひなたの部屋から小さな通知音が聞こえた。
続けて、かすかな笑い声。嬉しさを抑えきれなかったみたいな、ひなたの声。
私はスマホの画面を見つめたまま、唇を噛んだ。たぶん、ひなたにも届いている。
少しだけ言葉を変えた、同じ温度のメッセージが。
それでも私は、自分に届いた一文だけを何度も読み返した。
都合のいいことだと分かっている。分かっていても、その夜の私は、まだ自分だけが特別だと思いたかった。
これから先も、この気持ちを隠し通せるだろうか。ひなたに気づかれずに、律への想いをしまっておけるだろうか。
――無理だ、と直感していた。
こんなにも分かりやすく顔に出てしまう自分たちに、隠し事なんて、最初から向いていなかったのだ。
5年間、世界でいちばん近くにいた親友に。同じ人を、同じ夜に、同じ目で見つめてしまった、それだけのことで。
きれいな花火なんて、ひとつも覚えていない。覚えているのは、隣で頬を染めるひなたの横顔と、胸の奥で初めて鳴った、この醜い音だけだ。
……
浴衣の帯を締めながら、ひなたが鏡の前ではしゃいでいる。
「るり、これで変じゃない?見て見て」
「変じゃない。似合ってる」
「もー、ちゃんと見てから言ってよ」
見なくても分かる。ひなたに似合わない格好なんて、この世に存在しない。
私はそう思いながら、自分の浴衣の衿元を整えた。
夏祭りなんて、正直どうでもよかった。人混みも、暑さも、得意じゃない。
それでも今年だけは、断る理由が見つからなかった。
律が「三人で行きましょう」と、当然のように誘ってきたから。
断れば、理由を説明する羽目になる。説明できる理由が、私にはなかった。それだけだ。
浴衣なんて、何年ぶりだろう。着付けの途中、帯がうまく結べなくて苦戦していると、ひなたが後ろから手を伸ばしてきた。
「るり、じっとしてて。……よし、できた」
鏡の中で、丁寧な蝶結びが完成している。
「うまいじゃん」
「動画で予習したの。せっかくの祭りだもん」
無邪気に笑うひなたの後ろで、私は鏡の中の自分を見た。祭りを楽しみにしている顔だった。
柄にもない。人混みは苦手だ。浴衣は面倒だ。なのに、今夜が待ち遠しい。理由は、考えないことにした。
……
会場に着くと、律は両手にりんご飴を持って、私たちのところへ戻ってきた。
「はい、るりさんの分と、ひなたちゃんの分」
まったく同じ大きさ、同じ本数。差なんて、髪の毛一本もない。
分かっている。この人は、誰にでも同じように優しい。それだけのことだ。
なのに一瞬、自分の分だけ小さければいいのに、と考えた。差が、欲しかったのだ。りんご飴ひとつに。呆れる。
「ありがと」
「ありがとう、律くん」
ひなたが花のように笑うのを見て、私は視線を人混みのほうへ逃がした。
屋台を回りながら、律はどちらの歩調にも合わせて歩いた。
ひなたが金魚すくいに夢中になれば付き合い、私が射的の的を狙えば「るりさん、狙い外してますよ」とからかってくる。
器用というより、誰にも偏らないよう、無意識に距離を計っているみたいだった。
その公平さが、ありがたくて、同時に少しだけ、寂しかった。
屋台の間を歩きながら、私は隣を歩くひなたをちらりと見た。頬を上気させて、綿あめの袋を抱えたその横顔は、いつもより幼く見えた。
この子と律が並んで笑っている様子を見るたび、胸のどこかがちくりとする。理由に、気づかないふりをしていた。
……
花火が始まったのは、夜の八時を過ぎた頃だった。
土手には、想像していたより多くの人が集まっていた。
場所取りのレジャーシートを広げようとして、律が「ここ、いいですかね」と、狭い隙間を見つけてくる。三人が並んで座るには、少し窮屈な広さだった。
「もうちょっと詰めますか」
律がそう言って、結局、真ん中に律、両脇に私とひなたという並びに落ち着いた。
肩がぶつかりそうな距離。腕を伸ばせば触れてしまう距離。
押し合う人波の中で、気づけば律が私とひなたの間に立つ形になっていた。
どん、と最初の一発が夜空を割る。
歓声が上がって、人の波が大きく押し寄せた。よろけた拍子に、律の手が私の肩にそっと触れて、支えてくれる。
「大丈夫ですか」
「……うん」
短く答えるだけで、精一杯だった。触れられた肩が、熱い。
花火の光が、律の横顔を赤や青に染めていく。
空を見ろ。花火を見ろ。何度命じても、私の目は、隣の横顔から動かなかった。
反対側では、ひなたも同じように、律の袖を軽くつかんで、空を見上げている。
同じ人を、同じ夜に、同じ気持ちで見ている。
その事実に、私はようやく、目を逸らせなくなった。
これは、気の迷いなんかじゃない。私は、この人が好きだ。
認めてしまった瞬間、隣にいるひなたの横顔が、やけにくっきりと視界に入った。頬を赤らめて、律を見つめる、あの表情。
……ああ。
この子も、同じだ。
花火の音が、遠くで鳴り続けている。きれいだと思う心の余裕は、もう残っていなかった。
……
帰り道、三人はそれぞれの部屋の前で別れた。
律が「今日は楽しかったです、また」と手を振って自室に消えると、玄関先には、私とひなただけが残った。
いつもなら、他愛のない感想で盛り上がる時間だ。花火はどうだったとか、屋台の何がおいしかったとか。
でも、今夜は、どちらも口を開かなかった。
鍵を回す音だけが、やけに大きく響く。ひなたの横顔は、いつもより青白く見えた。
何かをこらえているような、その表情。
私も、きっと同じ顔をしているんだろう。
玄関のドアを開けながら、私は小さく息を吸った。喉元まで出かかった言葉を、かろうじて飲み込む。
――私、たぶん。
その先は、口にできなかった。
自分の部屋に入って、ドアに背中を預ける。心臓の音がまだうるさい。
帯をほどく前に、スマホが震えた。
【浴衣、似合ってました。また三人で行きたいですね】
律からだった。
たったそれだけで、さっきまで我慢していた熱が、また胸の奥に戻ってくる。
似合っていた。私に向けられた言葉。そう思いたかった。思ってしまいたかった。
けれど、廊下の向こうで、ひなたの部屋から小さな通知音が聞こえた。
続けて、かすかな笑い声。嬉しさを抑えきれなかったみたいな、ひなたの声。
私はスマホの画面を見つめたまま、唇を噛んだ。たぶん、ひなたにも届いている。
少しだけ言葉を変えた、同じ温度のメッセージが。
それでも私は、自分に届いた一文だけを何度も読み返した。
都合のいいことだと分かっている。分かっていても、その夜の私は、まだ自分だけが特別だと思いたかった。
これから先も、この気持ちを隠し通せるだろうか。ひなたに気づかれずに、律への想いをしまっておけるだろうか。
――無理だ、と直感していた。
こんなにも分かりやすく顔に出てしまう自分たちに、隠し事なんて、最初から向いていなかったのだ。