『君と見つけた、春色の約束』

第二章 隣の席の君

 大学生活が始まって、一週間。

 陽斗は少しだけ、このキャンパスにも慣れてきていた。

 とはいえ、友達が急に増えたわけではない。

 講義を受け、昼は一人で学食へ行き、空き時間は図書館で本を読む。

 そんな毎日だった。

 ――ただ、一つだけ。

 以前とは違うことがあった。

「神崎くーん!」

 昼休みになると、どこからともなく聞こえてくる元気な声。

 振り返れば、スケッチブックを抱えた美緒が手を振っている。

「今日も一緒にご飯食べよ!」

「また?」

「また!」

 彼女は当然のように隣へ座る。

「嫌だった?」

「……嫌じゃない。」

「じゃあ決まり!」

 満面の笑み。

 その笑顔を見ると、不思議と断る気持ちがなくなってしまう。

 ――いつの間にか。

 二人で昼食を食べることが日課になっていた。

 ◇

「神崎くんって、本当に静かだよね。」

「そうかな。」

「うん。でも話しかけるとちゃんと笑ってくれる。」

「そんなに笑ってる?」

「前よりね。」

 美緒はストローをくるくる回しながら笑う。

「最初の日なんて、緊張で顔が固まってたもん。」

「……忘れて。」

「無理。」

 くすくす笑われ、陽斗は思わず苦笑した。

 誰かとこんな他愛のない話をするのは久しぶりだった。

 高校時代にはなかった時間。

 気を遣わず、自然体でいられる相手。

 それが少しだけ心地よかった。

 ◇

 午後の講義。

 陽斗は教室へ入り、空いている席へ座ろうとした。

「あっ!」

 聞き覚えのある声。

「神崎くん!」

 美緒だった。

「こっち空いてるよ!」

 彼女は隣の席をぽんぽんと叩く。

 周囲の学生が何気なくこちらを見る。

(……目立つ。)

「早く早く。」

 断る理由もなく、陽斗は隣へ腰を下ろした。

「偶然だね。」

「本当に偶然?」

「うん!」

 その返事が少し怪しく聞こえたが、陽斗は何も言わなかった。

 講義が始まる。

 教授の声が静かな教室に響く。

 しばらくすると、美緒がノートの端に小さな猫のイラストを描き始めた。

 そして紙をそっと陽斗へ差し出す。

『退屈……。』

 陽斗は思わず吹き出しそうになった。

 ペンを取り、小さく書き返す。

『先生に見つかる。』

 数秒後。

『たぶん大丈夫!』

 横を見ると、美緒は真面目な顔で黒板を見ながら笑いをこらえていた。

(なんなんだ、この人……。)

 つられて陽斗まで笑ってしまう。

「そこの二人。」

 教授の低い声。

「そんなに私の授業が面白いですか?」

 教室中の視線が二人へ集まる。

「「す、すみません!」」

 声がぴったり重なった。

 一瞬静まり返った教室。

 次の瞬間、あちこちから笑い声が上がった。

 講義が終わると、美緒はお腹を抱えて笑い出した。

「神崎くんとハモっちゃった!」

「全部、美緒のせいだから。」

「えへへ、ごめん。」

 悪びれた様子はまったくない。

 そんな彼女に、陽斗もつられて笑ってしまう。

 ◇

 夕方。

 二人はキャンパスの中庭を歩いていた。

 桜は少しずつ散り始め、地面は淡いピンク色のじゅうたんになっている。

「きれい……。」

 美緒は立ち止まり、スマートフォンで写真を撮る。

「神崎くん、ちょっとそこに立って。」

「俺?」

「うん!」

「なんで。」

「いいから!」

 言われるまま桜の木の下へ立つ。

 カシャッ。

 一枚。

 もう一枚。

「はい、終わり!」

「俺なんか撮ってどうするの。」

「記念。」

「記念?」

「大学で最初にできた友達だから。」

 その言葉に、陽斗の胸が少しだけ熱くなった。

 友達。

 その一言が、思っていた以上にうれしかった。

「ありがとう。」

 思わず口にすると、美緒はきょとんとした。

「え?」

「友達って言ってくれて。」

 美緒は優しく笑う。

「こちらこそ。」

 その笑顔を見た瞬間。

 陽斗は初めて思った。

(もっと一緒にいたい。)

 友達だからではない。

 まだ恋と呼ぶには早い。

 それでも、美緒の笑顔を見ている時間が、少しずつ特別なものになり始めていた。

 そんな時だった。

「美緒!」

 背後から、一人の男子学生が駆け寄ってきた。

 背が高く、爽やかな笑顔がよく似合う青年。

 美緒はぱっと表情を明るくする。

「あっ、蓮先輩!」

 親しげに話し始める二人を見て、陽斗の胸は理由もわからずざわついた。

 その感情の名前を、まだ彼は知らない――。
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