『君と見つけた、春色の約束』

第四章 恋のライバル

 休日の水族館は、家族連れやカップルで賑わっていた。

 大きな水槽の中を、青い光をまとった魚たちがゆっくりと泳いでいく。

「わあ……すごい。」

 美緒は子どものように目を輝かせ、水槽に顔を近づけた。

「見て、神崎くん! エイが飛んでるみたい!」

「飛んでるというより……泳いでるけど。」

「細かいことはいいの!」

 ぷくっと頬を膨らませる美緒に、陽斗は思わず笑ってしまう。

「今、笑った!」

「少しだけ。」

「珍しい!」

「そんなに?」

「神崎くんが自然に笑うの、最近増えた気がする。」

 その一言に、陽斗は少し照れた。

「……誰かさんのおかげかも。」

「え?」

「いや、何でもない。」

「気になる!」

 美緒はじっと顔をのぞき込んでくる。

 距離が近い。

 思わず目をそらした陽斗を見て、美緒はくすっと笑った。

「照れてる。」

「照れてない。」

「うそ。」

 そんな他愛もないやり取りさえ、心地よかった。

 ◇

 二人はイルカショーを見たり、お土産コーナーを歩いたりしながら、一日中水族館を満喫した。

 館内のカフェで休憩していると、美緒が小さな紙袋を取り出した。

「はい。」

「え?」

「この前のお礼。」

 中には、小さな桜色のキーホルダー。

 透明なアクリルの中に、本物の花びらのような模様が閉じ込められている。

「スケッチブック拾ってくれたお礼、ちゃんとしたかったから。」

「でも、そんな……。」

「受け取って?」

 真っすぐな瞳で見つめられ、陽斗は静かにうなずいた。

「……ありがとう。」

「えへへ。」

 美緒は満足そうに笑う。

 その笑顔を見ているだけで、胸が温かくなる。

 陽斗はキーホルダーを握りしめながら思った。

(もっと、この笑顔を見ていたい。)

 ◇

 夕方。

 帰り道、公園のベンチで少し休憩することにした。

 オレンジ色の夕日が街を優しく照らしている。

「今日は楽しかった?」

 美緒が尋ねる。

「すごく。」

「本当?」

「うん。こんな休日、初めてだった。」

「私も。」

 二人は顔を見合わせて笑う。

 そのときだった。

「美緒?」

 聞き覚えのある声がした。

 二人が振り向くと、そこには蓮先輩が立っていた。

「やっぱり美緒だったか。」

「蓮先輩! どうしてここに?」

「近くで買い物してたんだ。」

 偶然とは思えないほど自然なタイミングだった。

 蓮は陽斗を見る。

「神崎くん、だったよね?」

「はい。」

「この前、美緒と一緒にいた。」

 爽やかな笑顔。

 でも、その目はどこか陽斗を値踏みしているようにも見えた。

「二人で遊び?」

 美緒は少し照れながら答える。

「水族館に行ってきたんです。」

「へぇ。」

 蓮は一瞬だけ黙り、穏やかに笑った。

「美緒、楽しそうでよかった。」

「はい!」

 その返事を聞いた蓮は、美緒の頭を軽くぽんと撫でた。

「昔から変わらないな。」

「もう子どもじゃないですよ!」

「俺からしたら昔のままだよ。」

 二人の距離は、とても近かった。

 陽斗は思わず視線を落とす。

(……昔から知り合いなんだ。)

 自分の知らない時間を共有している。

 その事実だけで、胸が締めつけられる。

 「じゃあ俺、また大学で。」

 蓮は手を振って去っていった。

 美緒も笑顔で手を振り返す。

 その様子を見ながら、陽斗は心の中がざわつくのを感じていた。

 駅までの帰り道。

 二人の間には、さっきまでとは違う静かな空気が流れていた。

「神崎くん?」

「ん?」

「今日は元気ない?」

「そんなことない。」

「本当に?」

「……少し疲れただけ。」

 本当は違う。

 聞きたいことがあった。

 蓮先輩とはどんな関係なのか。

 好きな人なのか。

 でも、その一歩が踏み出せない。

 そんな自分が情けなかった。

 ◇

 その夜。

 ベッドに寝転びながら、陽斗はスマートフォンを見つめていた。

 今日撮った写真。

 笑顔の美緒。

 二人で撮った記念写真。

 どれも大切な思い出なのに、胸の中には少しだけ苦い感情が残っていた。

(……俺、美緒のことが好きなんだ。)

 ようやく、自分の気持ちを認めることができた。

 しかし、その恋は始まったばかりなのに、不安という影も同時に生まれてしまった。

 一方その頃、美緒もまた、自室で今日の写真を眺めながら、小さく微笑んでいた。

「神崎くん……。」

 そうつぶやいた直後、スマートフォンが鳴る。

 画面には――

『蓮:今度、話したいことがある。時間もらえる?』

 美緒の表情から笑顔が消えた。

「……え?」

 その短いメッセージが、二人の恋を大きく揺らすことになるとは、まだ誰も知らなかった。
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