『君と見つけた、春色の約束』

第五章 夏祭りの約束

 六月も終わりを迎え、大学のキャンパスは初夏の空気に包まれていた。

 桜並木は鮮やかな緑へと姿を変え、教室の窓から吹き込む風には、少しだけ夏の匂いが混じっている。

 あの日、水族館へ行ってから一か月。

 陽斗と美緒は相変わらず一緒に過ごす時間が多かった。

 けれど、陽斗の心には小さな棘が刺さったままだった。

 蓮先輩の存在。

 あれ以来、美緒が蓮と話している姿を見るたびに、胸の奥が苦しくなる。

 自分でも子どもっぽいと思う。

 それでも、どうしても気になってしまうのだ。

 ◇

「神崎くん!」

 昼休み。

 美緒がいつものように手を振りながら駆け寄ってきた。

「今週末、お祭りがあるの知ってる?」

「夏祭り?」

「うん! 駅前商店街で毎年やってるんだって!」

 目を輝かせながら、美緒は一枚のチラシを差し出した。

 色とりどりの屋台、打ち上げ花火、盆踊り。

 見ているだけで夏が待ち遠しくなるような内容だった。

「一緒に行こうよ!」

「俺と?」

「うん!」

 迷いのない返事だった。

 陽斗は少しだけ笑う。

「もちろん。」

「やったー!」

 美緒は嬉しそうに両手を上げた。

「今年最初の夏の思い出だね!」

 その笑顔を見ていると、胸の奥の不安が少しだけ薄れていく気がした。

 ◇

 祭り当日。

 夕暮れの空は茜色に染まり、駅前には色鮮やかな提灯が灯り始めていた。

 約束の時間より少し早く着いた陽斗は、落ち着かない様子で周囲を見回す。

(……まだかな。)

「神崎くん!」

 聞き慣れた声に振り返った瞬間、陽斗は言葉を失った。

 淡い水色の浴衣。

 白い帯。

 髪はいつもより高い位置で結ばれ、小さな朝顔の髪飾りが揺れている。

「お待たせ。」

 少し照れくさそうに笑う美緒。

「……どうかな?」

 陽斗は数秒間、何も言えなかった。

「変、だった?」

 不安そうに首をかしげる。

「いや……。」

 陽斗は深呼吸してから微笑んだ。

「すごく、きれい。」

 その一言で、美緒の頬がふわっと赤く染まる。

「そ、そんなに真っすぐ言われると恥ずかしいよ……。」

 お互いに照れてしまい、しばらく目を合わせられなかった。

 ◇

 金魚すくい。

 射的。

 りんご飴。

 焼きそば。

 二人は子どものようにはしゃぎながら屋台を巡った。

「見て見て!」

 美緒は金魚すくいで一匹だけ取れた金魚を自慢げに見せる。

「奇跡だよ!」

「一匹でも十分すごいよ。」

「神崎くんは?」

「……ゼロ。」

「ふふっ。」

 美緒は笑いながら、自分の金魚を大事そうに見つめた。

「この子、大切に育てようかな。」

「名前は?」

「うーん……。」

 少し考えてから、美緒はいたずらっぽく笑う。

「ヨウト。」

「なんで俺?」

「毎日思い出せるでしょ?」

「それ、金魚がかわいそう。」

「ひどーい!」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 笑い合う時間が、何より幸せだった。

 ◇

 祭りも終盤。

 二人は少し離れた河川敷まで歩いてきた。

 夜風が心地よい。

 空には一番星が輝き始めている。

「もうすぐ花火だね。」

 美緒が静かにつぶやく。

 その横顔を見つめながら、陽斗は決心した。

(今日、伝えよう。)

 好きだと。

 今なら言える気がする。

 何度も心の中で練習した言葉。

 勇気を振り絞り、美緒の名前を呼ぼうとした、その時だった。

「美緒!」

 二人の背後から声が響く。

 振り向くと、そこには蓮先輩が立っていた。

「蓮先輩……?」

 美緒の表情が驚きに変わる。

「探したよ。」

「どうしてここに?」

「ちょっと話があって。」

 蓮は陽斗に軽く会釈をした。

「少しだけ、美緒を借りてもいいかな。」

 陽斗は返事に迷った。

 断る理由はない。

 けれど、胸が苦しい。

「……うん。」

「ありがとう。」

 美緒は申し訳なさそうに陽斗を見た。

「すぐ戻るから。」

 そう言って、蓮と一緒に人混みの中へ消えていく。

 一人残された陽斗。

 その直後――

 ドォン!

 夜空いっぱいに大輪の花火が咲いた。

 赤、青、金色。

 色鮮やかな光が夏の夜空を埋め尽くす。

 本当なら、美緒と一緒に見上げるはずだった景色。

 けれど今、隣には誰もいない。

 陽斗は握りしめていたポケットの中の小さな箱に触れた。

 そこには、祭りの屋台で見つけた桜の模様のヘアピン。

 「似合うと思って。」

 そう言って渡すつもりだった。

 そして、そのあとに。

 「好きだ。」

 その一言を伝えるはずだった。

 しかし、その想いは花火の音にかき消され、夜空へ溶けていく。

 十分ほどして、美緒は戻ってきた。

「ごめんね……。」

 その表情は、どこか悲しそうだった。

 陽斗は無理に笑顔を作る。

「大丈夫。」

 そう答えたものの、胸の奥では小さな不安が静かに膨らみ始めていた。

 この夏祭りは、二人にとって忘れられない思い出になる。

 けれどそれは、幸せな思い出だけではなかった。
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