『君と見つけた、春色の約束』

第八章 本当の気持ち

 大学祭が終わって数日。

 キャンパスには、あれほど賑やかだった空気が嘘のように静けさを取り戻していた。

 秋風が木々を揺らし、赤や黄色に染まった落ち葉がゆっくりと地面へ舞い降りる。

 陽斗は講義を終えると、スマートフォンを取り出した。

 そこには、美緒から届いたメッセージ。

『今日の放課後、最初に出会った桜の木の下で待ってます。話したいことがあります。』

 その短い文章を何度も読み返し、陽斗は静かに息を吐いた。

(……いよいよか。)

 胸の鼓動が、少しずつ速くなっていく。

 ◇

 約束の時間。

 夕日に照らされた桜の木の下には、美緒が一人で立っていた。

 春には満開だった枝も、今は葉を落とし始めている。

「待たせた。」

 陽斗が声を掛けると、美緒は振り返り、小さく笑った。

「ううん。私も今来たところ。」

 二人は並んで桜の木を見上げる。

 少しだけ冷たい風が吹き抜けた。

「覚えてる?」

 美緒が静かに言う。

「ここで最初に会ったこと。」

「もちろん。」

「スケッチブック、拾ってくれたよね。」

「あの日が全部の始まりだった。」

 そう答えると、美緒は嬉しそうに微笑んだ。

 でも、その笑顔はどこか寂しそうでもあった。

 ◇

「神崎くん。」

「うん。」

「私ね……昔から絵を描くのが大好きだったの。」

「知ってる。」

「だから将来は、絵本のイラストレーターになるのが夢。」

 陽斗は静かにうなずいた。

「でもね。」

 美緒は少しだけ目を伏せる。

「その夢を叶えるために、来年の春から一年間、フランスへ留学する話があるの。」

「……え?」

 陽斗は言葉を失った。

 留学。

 それは夢へ近づくための大きな一歩。

 同時に、二人が離ればなれになることも意味していた。

「先生に推薦してもらえて。」

 美緒は笑おうとする。

 けれど、その笑顔は震えていた。

「嬉しいはずなのに、素直に喜べなくて。」

「どうして?」

 美緒は陽斗をまっすぐ見つめる。

「神崎くんに会えなくなるから。」

 その言葉に、陽斗の心臓が強く脈打った。

「大学に入って、一番最初に友達になってくれて。」

「毎日一緒に笑って。」

「落ち込んだときは隣にいてくれて。」

「いつの間にか、それが当たり前になってた。」

 美緒はぎゅっとスカートを握る。

「だから怖いの。」

「離れたら、この時間が終わっちゃう気がして。」

 ◇

 陽斗はポケットへ手を入れる。

 夏祭りの日から、ずっと持ち歩いていた小さな箱。

「これ。」

「え?」

「本当は夏祭りの日に渡すつもりだった。」

 箱を開くと、中には桜模様のヘアピンが入っていた。

「きれい……。」

 美緒はそっと手に取る。

「美緒に似合うと思って。」

「ありがとう……。」

 その声は少し震えていた。

「ごめんね。」

 美緒がつぶやく。

「もっと早く話せばよかった。」

「謝らなくていい。」

「でも……。」

「夢は応援したい。」

 陽斗はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「離れるのは寂しい。」

「すごく寂しい。」

「だけど、美緒が夢を諦める方が、もっと嫌だ。」

 美緒の瞳に涙が浮かぶ。

「神崎くん……。」

 陽斗は一歩だけ近づいた。

「だから。」

 大きく息を吸う。

 逃げない。

 もう、自分の気持ちから。

「俺、美緒のことが好きだ。」

 静かなキャンパスに、その言葉だけが響いた。

 美緒は驚いたように目を見開く。

 次の瞬間、大粒の涙が頬を伝った。

「……私も。」

 震える声。

「私も、神崎くんが好き。」

 その一言で、陽斗の胸を締めつけていた不安はすべて消えていった。

 美緒は涙を拭いながら笑う。

「やっと言えた。」

「俺も。」

 二人は顔を見合わせ、照れくさそうに笑った。

 夕焼けが二人を優しく包み込む。

 その瞬間だけは、世界が二人だけのものになったようだった。

 しかし――。

「だからこそ。」

 美緒は小さく息を吸う。

「留学へ行く前に、ちゃんと約束したい。」

「約束?」

「卒業する春。」

 美緒は、二人が出会った桜の木を見上げる。

「この場所で、もう一度会おう。」

「離れても、必ず。」

 陽斗は迷わずうなずいた。

「ああ。」

「約束する。」

 二人は小指を絡める。

 春に始まった出会いは、冬を越え、新しい春へ向かおうとしていた。

 そして、その約束を胸に――二人は最後の季節を迎える。
< 8 / 10 >

この作品をシェア

pagetop