恋も料理もじっくり弱火で
 その日の夕方、緒方家のキッチンにはコトコトと優しい音が響いていた。
 鍋の蓋を少しだけずらすと、甘辛い香りと白い湯気がふわりと立ちのぼる。

「……よし」

 柚葉はおたまでそっと煮汁を掬い、ふうふうと息を吹きかけてから一口だけ味見をした。

「うん、美味しいっ」

 思わず頬がとろけそうに緩む。
 調理部で秋月に教わった通り、一度火を止めてじっくりと味をなじませたおかげだろう。じゃがいもにもにんじんにも、芯までしっかりと黄金色の出汁が染み込んでいた。

「お母さーん!」

 リビングへ向かって、弾んだ声を張り上げる。

「肉じゃが、もうすぐできるよー!」
「はーい」

 エプロンで手を拭きながら、母がキッチンを覗き込んだ。

「あら」

 お皿に盛り付けられていく料理を見て、母はパッと目を丸くする。

「肉じゃが?  柚葉が作ったの?」
「うん!」

 柚葉はこれ以上ないほど得意げに胸を張った。

「今日、調理部の活動で作ったんだ!  すっごく美味しくできたから、お家でもお父さんとお母さんに作ってあげたくて」
「へぇ……」

 母は驚きつつも、何処か愛おしそうに目を細める。

「いつの間にそんなことができるようになったの。包丁も危なっかしかったのに」
「ふふん、先輩達が付きっきりで教えてくれたの!」

 脳裏に浮かぶのは、後ろから包丁を握り直してくれた秋月の温かい手だ。そんなちょっとしたドキドキも、今の柚葉にとっては「美味しい料理の思い出」の一部になっていた。

「お父さんも、ご飯できたよー!」

 家族三人がいつもの食卓に揃う。

『いただきます』

 父が最初に、少し半信半疑な様子で肉じゃがへ箸を伸ばした。じっくりと煮込まれた牛肉とじゃがいもを口に運ぶ。

「……お」

 その短い呟きに、柚葉は待ちきれないとばかりに身を乗り出した。

「どう!?  美味しい!?」
「……うん、美味いな。驚いた」
「ほんと!?」

 今度は母も、期待を込めて口に運ぶ。ゆっくりと噛みしめると、すぐにふっと笑みを浮かべた。

「本当ね、ちゃんと中まで味が染みてる。じゃがいもの硬さもちょうどいいし、型崩れもしてないわ。合格!」
「やったぁ!」

 柚葉は思わず両手を握り締めて万歳した。

「調理部で習った『基本』の通りに作ったんだ!  猫の手とか、火加減とか!」
「なるほどねぇ」

 父は嬉しそうにもう一口食べながら頷いた。

「指導してくれる先生がいいんだな」
「先生じゃなくて、先輩だよ!」

 柚葉はえへへと嬉しそうに笑う。

「皆すごく優しくてね、包丁の持ち方から丁寧に教えてくれるの。作るのが大好きな人ばかりだから、調理室にいるだけで元気になるんだ」
「そう」

 娘の生き生きとした表情を見つめながら、母は心から安心したように微笑んだ。

「お友達の噂通り、本当にいい部活に入れたみたいね」
「うん!」

 その返事に、一ミリの迷いもなかった。

「料理を作るのも楽しいし、何より、自分で作ったものがこんなに美味しいなんて最高!」
「ふふ、やっぱり最後はそこなのね」

 母がくすりと笑うと、父もつられて目元を和らげる。
 照れ笑いを浮かべながら、柚葉は自分で作った肉じゃがをもう一口頬張った。
 誰かと一緒に食べるご飯は、やっぱりおいしい。
 けれど、大好きな家族が「おいしい」と笑ってくれる今日の肉じゃがは、今まで食べたどんなごちそうよりも、ずっと優しくて、特別な味がした。
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