恋も料理もじっくり弱火で
その日の放課後、調理室の空気は何処か妙に張り詰めていた。
いつもなら「今日はこれを作ります」と穏やかな笑顔で指示を出す秋月が、今日は一度も目を合わせようとしない。それどころか、淡々と野菜を切る包丁の音が、いつもより少しだけ鋭く、冷たく調理室に響いていた。
「……なぁ、部長、なんか怒ってない?」
「いつもより機嫌が悪いっていうか……話しかけづらい雰囲気だよね」
上級生の部員達がひそひそと困惑した様子で見守る中、ガラガラと調理室の引き戸が開いた。
「遅くなりましたー! 課題の提出に手間取っちゃって……って、あれ?」
エプロンを抱えた柚葉が元気よく入ってくるなり、秋月の背中が目に見えてびくっと跳ね上がった。次の瞬間、トントンと小気味よかった包丁の音がピタリと止まる。
「……あ、柚葉ちゃん。遅かったね」
秋月は振り返り、精一杯の平静を装って声を掛けた。しかし、その声はいつもより明らかにトーンが低く、何処かそっけない。
普通の女子なら「嫌われちゃったのかな」と怯むような冷たさだったが、そこはある意味、食欲以外にノンデリな柚葉である。
「はい! もう、数学の先生が厳しくてー。先輩、今日のメニューは何ですか? 私、何からお手伝いすればいいですか?」
トコトコと何の躊躇もなく秋月の隣のスペースへと潜り込み、ぐいっと顔を覗き込んでくる。あまりの距離の近さに、秋月は一瞬だけ息を詰め、そっと視線を斜め下に逸らした。
「……今日はアジの三枚おろし。危ないから、柚葉ちゃんは向こうの台で彼奴等と野菜を切ってて」
「え〜! 三枚おろし、私も挑戦してみたいです!」
「ダメ。怪我するから」
突き放すような物言いに、周りの先輩達も「お、おいおい……」と冷や汗を流す。しかし、柚葉は「むぅ」と頬を膨らませつつも、「じゃあ、見学しながらお野菜切ります!」と、秋月のすぐ隣のまな板陣地を陣取って調理を開始した。
秋月が心の中で激しい葛藤と嫉妬の嵐に揉まれていることなど、柚葉は露ほども知らない。
柚葉はルンルン気分で大根を切り始める。しかし、秋月の手元で行われている見事な魚さばきに気を取られ、手元の注意が完全に疎かになっていた。
その時だった。ゴロゴロと丸い大根の上で包丁がツルッと滑る。
「あっ……」
「――危なっ!」
ガタァン! と激しい音が響いた。
次の瞬間、秋月は持っていた出刃包丁を放り出すようにしてまな板に置き、柚葉の右手をひったくるようにして掴み取っていた。
「なーーんばしよっとね、あんたは!!」
静まり返った調理室に、秋月の切迫した、聞き慣れない男らしい方言が響き渡る。
「指ば切ったらどがんするつね! 料理の基本は手元ば見ることって、あれほど言うたやろが! よそ見しとるけんそうなるっちゃん!」
怒涛の博多弁での大説教に、調理室の全員が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
あの『高嶺の王子様』と噂されるスマートな部長の口から、まさかこんな泥臭くて熱い方言が飛び出すなんて、誰が想像できただろう。
いつもなら「今日はこれを作ります」と穏やかな笑顔で指示を出す秋月が、今日は一度も目を合わせようとしない。それどころか、淡々と野菜を切る包丁の音が、いつもより少しだけ鋭く、冷たく調理室に響いていた。
「……なぁ、部長、なんか怒ってない?」
「いつもより機嫌が悪いっていうか……話しかけづらい雰囲気だよね」
上級生の部員達がひそひそと困惑した様子で見守る中、ガラガラと調理室の引き戸が開いた。
「遅くなりましたー! 課題の提出に手間取っちゃって……って、あれ?」
エプロンを抱えた柚葉が元気よく入ってくるなり、秋月の背中が目に見えてびくっと跳ね上がった。次の瞬間、トントンと小気味よかった包丁の音がピタリと止まる。
「……あ、柚葉ちゃん。遅かったね」
秋月は振り返り、精一杯の平静を装って声を掛けた。しかし、その声はいつもより明らかにトーンが低く、何処かそっけない。
普通の女子なら「嫌われちゃったのかな」と怯むような冷たさだったが、そこはある意味、食欲以外にノンデリな柚葉である。
「はい! もう、数学の先生が厳しくてー。先輩、今日のメニューは何ですか? 私、何からお手伝いすればいいですか?」
トコトコと何の躊躇もなく秋月の隣のスペースへと潜り込み、ぐいっと顔を覗き込んでくる。あまりの距離の近さに、秋月は一瞬だけ息を詰め、そっと視線を斜め下に逸らした。
「……今日はアジの三枚おろし。危ないから、柚葉ちゃんは向こうの台で彼奴等と野菜を切ってて」
「え〜! 三枚おろし、私も挑戦してみたいです!」
「ダメ。怪我するから」
突き放すような物言いに、周りの先輩達も「お、おいおい……」と冷や汗を流す。しかし、柚葉は「むぅ」と頬を膨らませつつも、「じゃあ、見学しながらお野菜切ります!」と、秋月のすぐ隣のまな板陣地を陣取って調理を開始した。
秋月が心の中で激しい葛藤と嫉妬の嵐に揉まれていることなど、柚葉は露ほども知らない。
柚葉はルンルン気分で大根を切り始める。しかし、秋月の手元で行われている見事な魚さばきに気を取られ、手元の注意が完全に疎かになっていた。
その時だった。ゴロゴロと丸い大根の上で包丁がツルッと滑る。
「あっ……」
「――危なっ!」
ガタァン! と激しい音が響いた。
次の瞬間、秋月は持っていた出刃包丁を放り出すようにしてまな板に置き、柚葉の右手をひったくるようにして掴み取っていた。
「なーーんばしよっとね、あんたは!!」
静まり返った調理室に、秋月の切迫した、聞き慣れない男らしい方言が響き渡る。
「指ば切ったらどがんするつね! 料理の基本は手元ば見ることって、あれほど言うたやろが! よそ見しとるけんそうなるっちゃん!」
怒涛の博多弁での大説教に、調理室の全員が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
あの『高嶺の王子様』と噂されるスマートな部長の口から、まさかこんな泥臭くて熱い方言が飛び出すなんて、誰が想像できただろう。