恋も料理もじっくり弱火で
この日は生憎、調理部の活動が公式にはオフの日だった。
いつもなら楽しみで仕方がない放課後なのに、今日に限って調理室へ行けない。そう思っただけで、柚葉の胸の奥にはぽっかりと穴が空いたような、何とも言えない物足りなさが広がっていた。
(あのアジフライから、まだ一日しか経ってないのに……)
結菜達に言われた「恋でしょ?」という言葉が、今も頭の中でぐるぐると回っている。
自分の気持ちを自覚してしまったせいで、先輩の顔を見るのが少し怖い。だけど――やっぱり、会いたい。
そんな矛盾した気持ちに突き動かされるようにして、柚葉は気づけば、何気ない足取りで放課後の廊下を調理室へと向かって歩いていた。
(誰もいないよね。……ちょっとだけ、覗くだけ)
そう自分に言い訳をして、ひっそりとした調理室の引き戸に手を掛ける。すりガラスの向こうは暗いかと思いきや、中から暖かなオレンジ色の明かりが漏れていた。
「……え?」
柚葉が息を呑んで、そっと隙間から中を覗き込む。
誰もいないはずの広い室内。その一番奥の調理台の前に、エプロン姿の秋月先輩が一人だけで立っていた。
先輩はいつになく真剣な表情で、フライパンを手元で細かく揺らしている。
静まり返った調理室に、時折、トントンと小気味よい包丁の音が響き、やがて――。
――ジュー、ジュー。
お肉と玉ねぎが炒まる、何処か甘くて香ばしい、最高の音が響き渡った。さらに遅れてケチャップの少し酸味のある香りが鼻腔を擽る。
その瞬間、柚葉の『美味しいセンサー』と食欲が完全に火を吹いた。
自覚したばかりの恋心の緊張なんて、一瞬で胃袋の欲求に掻き消されてしまう。
ぐぅ、とお腹が鳴るのを堪えきれず、柚葉は我慢できずにガラガラと勢いよく扉を開けた。
「……秋月先輩!」
「あ……」
振り返った秋月は、驚いたように目を丸くした。けれど次の瞬間、その端正な顔立ちが、これまでに見たことがないくらいふにゃりと柔らかく、優しい笑顔に変わった。
「やっぱり来た」
「えっ、私が来るの分かってたんですか?」
「うん。柚葉ちゃんのことだから、部活が休みでも調理室の匂いに釣られてやって来るんじゃないかなって思っとった」
先輩の口から、自然と温かい博多弁が零れ落ちる。昨日の今日で、柚葉の前ではもう無理に標準語を作るのをやめたらしい。その「自分だけに向けられた特別」に、柚葉の胸がトクンと甘く跳ねる。
「そこ座って待っとき。今、美味しいの作っちゃるけん」
博多弁満載の、少しぶっきらぼうでいて底抜けに優しい命令。
柚葉は「はい!」と嬉しそうに頷き、言われた通りに近くのパイプ椅子へちょこんと腰掛けた。
トントン、ジューッ、と小気味よい音が五感を心地よく刺激する。先輩の背中を見つめながら待つ時間は、なんだかとても特別なものに思えて、柚葉は大人しく両手を膝の上において待った。
「よし、お待たせ。冷めんうちに食べんね」
コト、と柚葉の前に置かれた白いお皿。
それを見た瞬間、柚葉は「わぁっ……!」と息を呑んで両手を口元に当てた。
お皿の上に乗っていたのは、チキンライスを包む黄金色の芸術品。スプーンで触れれば今にも弾けて溢れ出しそうなほど、ぷるぷるでふわとろの卵がのった――約束の、特製オムライスだった。
「これ……昨日、私が食べたいって言った……っ」
「うん。昨日、約束したろうもん?」
秋月はエプロンで手を拭きながら、少し照れくさそうに、けれど誇らしげにふっと目を細めた。
「あんたが世界で一番美味そうに食べるけん、部活が休みでも、作りたくなってしもうたと。……さあ、味見係さん。感想ば聞かせて?」
夕暮れの調理室で、大好きな博多弁と、自分だけのために作られた大好物を前にして。
柚葉は胸の奥がいっぱいになりながら、スプーンをぎゅっと握り締めた。
いつもなら楽しみで仕方がない放課後なのに、今日に限って調理室へ行けない。そう思っただけで、柚葉の胸の奥にはぽっかりと穴が空いたような、何とも言えない物足りなさが広がっていた。
(あのアジフライから、まだ一日しか経ってないのに……)
結菜達に言われた「恋でしょ?」という言葉が、今も頭の中でぐるぐると回っている。
自分の気持ちを自覚してしまったせいで、先輩の顔を見るのが少し怖い。だけど――やっぱり、会いたい。
そんな矛盾した気持ちに突き動かされるようにして、柚葉は気づけば、何気ない足取りで放課後の廊下を調理室へと向かって歩いていた。
(誰もいないよね。……ちょっとだけ、覗くだけ)
そう自分に言い訳をして、ひっそりとした調理室の引き戸に手を掛ける。すりガラスの向こうは暗いかと思いきや、中から暖かなオレンジ色の明かりが漏れていた。
「……え?」
柚葉が息を呑んで、そっと隙間から中を覗き込む。
誰もいないはずの広い室内。その一番奥の調理台の前に、エプロン姿の秋月先輩が一人だけで立っていた。
先輩はいつになく真剣な表情で、フライパンを手元で細かく揺らしている。
静まり返った調理室に、時折、トントンと小気味よい包丁の音が響き、やがて――。
――ジュー、ジュー。
お肉と玉ねぎが炒まる、何処か甘くて香ばしい、最高の音が響き渡った。さらに遅れてケチャップの少し酸味のある香りが鼻腔を擽る。
その瞬間、柚葉の『美味しいセンサー』と食欲が完全に火を吹いた。
自覚したばかりの恋心の緊張なんて、一瞬で胃袋の欲求に掻き消されてしまう。
ぐぅ、とお腹が鳴るのを堪えきれず、柚葉は我慢できずにガラガラと勢いよく扉を開けた。
「……秋月先輩!」
「あ……」
振り返った秋月は、驚いたように目を丸くした。けれど次の瞬間、その端正な顔立ちが、これまでに見たことがないくらいふにゃりと柔らかく、優しい笑顔に変わった。
「やっぱり来た」
「えっ、私が来るの分かってたんですか?」
「うん。柚葉ちゃんのことだから、部活が休みでも調理室の匂いに釣られてやって来るんじゃないかなって思っとった」
先輩の口から、自然と温かい博多弁が零れ落ちる。昨日の今日で、柚葉の前ではもう無理に標準語を作るのをやめたらしい。その「自分だけに向けられた特別」に、柚葉の胸がトクンと甘く跳ねる。
「そこ座って待っとき。今、美味しいの作っちゃるけん」
博多弁満載の、少しぶっきらぼうでいて底抜けに優しい命令。
柚葉は「はい!」と嬉しそうに頷き、言われた通りに近くのパイプ椅子へちょこんと腰掛けた。
トントン、ジューッ、と小気味よい音が五感を心地よく刺激する。先輩の背中を見つめながら待つ時間は、なんだかとても特別なものに思えて、柚葉は大人しく両手を膝の上において待った。
「よし、お待たせ。冷めんうちに食べんね」
コト、と柚葉の前に置かれた白いお皿。
それを見た瞬間、柚葉は「わぁっ……!」と息を呑んで両手を口元に当てた。
お皿の上に乗っていたのは、チキンライスを包む黄金色の芸術品。スプーンで触れれば今にも弾けて溢れ出しそうなほど、ぷるぷるでふわとろの卵がのった――約束の、特製オムライスだった。
「これ……昨日、私が食べたいって言った……っ」
「うん。昨日、約束したろうもん?」
秋月はエプロンで手を拭きながら、少し照れくさそうに、けれど誇らしげにふっと目を細めた。
「あんたが世界で一番美味そうに食べるけん、部活が休みでも、作りたくなってしもうたと。……さあ、味見係さん。感想ば聞かせて?」
夕暮れの調理室で、大好きな博多弁と、自分だけのために作られた大好物を前にして。
柚葉は胸の奥がいっぱいになりながら、スプーンをぎゅっと握り締めた。