恋も料理もじっくり弱火で
 そんな心地良い沈黙の中、不意に柚葉がぽつりと口を開いた。

「……先輩は、どうして料理をするようになったんですか?」

 ずっと気になっていた問いかけだった。
 学校でどれだけ完璧超人と言われようが、料理の話をする時の先輩はいつも何処か切実で、誰よりも真っ直ぐだったから。
 柚葉の言葉に、秋月は一瞬だけ目を見開いた。繋いだ手に僅かに力が籠もる。けれど、すぐに困ったような、何処か遠い目をしてふっと微笑んだ。

「……そっか。俺の過去の話なんて、まだちゃんとしたことなかったね」

 夕焼け空を眺めたまま、すうっと小さく息を吸う。
 心を落ち着かせるように深呼吸した後、視線を足元に咲くたんぽぽに落としてぽつりと語り始めた。

「隠すようなことでもないんやけどさ。……俺が料理を始めたのは、生きるためやったとよ」
「生きるため……?」

 柚葉が小首を傾げると、秋月は足元に視線を落としたまま静かに語り始めた。それが、彼が誰にも明かしたことのない本当の『秘密』だった。

「物心ついた頃にはさ、家に親があんまりおらんかったと。いわゆる育児放棄ってやつ。お金だけ置いて数日帰ってこんのはマシな方で、何日も食べるものが何もなくて、冷蔵庫の中が空っぽなこともザラやった」

 淡々としたその声に、柚葉は息を呑んだ。学校の誰もが羨む『高嶺の王子様』の幼少期が、そんなにも過酷なものだったなんて、想像すらしていなかった。

「それで小学校に上がる前くらいかな、児童養護施設に入ることになってさ。そこがちょっと変わった方針の施設で。『出されたものをただ待つだけじゃなくて、自分が食べるものは自分で用意する強さを身につけなさい』って、小さい頃から簡単な料理を教えてもらえる環境やったと」

 秋月はそこまで言うと、自分の大きな掌を見つめた。

「最初は、ただ腹を満たすためやった。飢えるのが怖くて、自分で作ればいつでも食べられるってことに、すごく救われた。……でもある時、施設の後輩のちびっこ達にクッキーを焼いてあげたらさ、そいつ等がボロボロ涙流しながら『美味しい』って笑ってくれて」

 その時、秋月の横顔に、今日一番の優しくて温かい笑みが浮かんだ。

「その時に気づいたっちゃん。料理って、自分の命を守るだけじゃなくて、誰かを笑顔にできる凄い力があるんだって。……それからかな。もっと美味いものを作りたい、誰かを幸せにしたいって、本気で料理の道を志すようになったのは」

 語り終えた秋月は、少し気恥ずかしそうに「重い話でごめんね」と柚葉の顔を覗き込んだ。
 けれど、柚葉の瞳には、同情の涙ではなく、もっと温かくて強い光が灯っていた。
 目の前の先輩が、どれほどの孤独を乗り越えて、あんなに優しい『魔法のような料理』を作るようになったのかを知って、胸の奥がいちごクレープよりも甘く、そして熱く震えていた。
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