黒澤主任の甘いイジワル
店を出ると、夕焼け色は夜空に変わっていた。きらりと輝く赤星に新菜が足を止めた。
「さっきのさ」
黒澤の声色にどきりとする。食事中、わざと夢中になったフリをしてその話題に触れないようにしていた。
「はい」
「ずっと気にしてろって……俺が、ずっと新菜を見てろってこと?」
突然の呼び捨てに心臓が跳ねた。隣を見上げると真っ直ぐな黒澤の瞳とぶつかった。
「……そんなつもりじゃ」
「じゃあ、ちょっとずつ意地……の後、なんて言おうとしてた?」
目の奥を見透かすようにじっと見つめられ、新菜は観念した。
「意地悪……です」
「やっぱり。俺、なんかした?」
優しい声色で問われた。けれど、今さら言うことに戸惑い、見つめ合うこと数秒。「なに言ってもいいから」と黒澤が念を押し、新菜は覚悟を決めた。
「三年前、『大丈夫だ、なんなら俺が付き合うよ』って私に言ったの覚えてますか?」
「……覚えてるよ。俺はあのとき本気だったけど?」
「次の日も、その後も、何事もなかったかのように接して来たじゃないですか」
「それは、振られて泣いてる隙につけこむのはしたくなかったから」
あの日は最悪だった。
学生時代から長く付き合っていた恋人と久しぶりに会ったカフェ。
急に別れたい、と言われて取り乱してしまった。
そんな私に全く動じず元彼はあっさり立ち去った。茫然とする私に一部始終を見てしまった黒澤さんが声をかけてきた。
「何回も思い出して、そのたびに『なんなら』が引っかかったんですよ」
「確かに。そう言われると『なんなら』はないな。タイミングも悪かった……ごめん」
黒澤はバツの悪い笑みを浮かべ、指先で新菜の頬をそっと撫でた。
「訂正するよ。……あの時、本気だったんだ」
嬉しさと胸を突くような痛みが同時に来た。
(それって、過去形……ですよね?)
新菜は頬に添えられた温かい指先から逃れるように、わずかに視線を逸らした。期待してはいけない、と自分に言い聞かせて。それでも、このまま指先が離れてほしくないと願う心が胸の中でぐちゃぐちゃに絡み合う。
「帰りましょうか。わたしが運転しますか?」
「大丈夫、俺、まだ死にたくないから」
「やっぱり、黒澤さんって、ちょっと意地悪です」
少しだけ睨むと、黒澤は肩を揺らしてふはっと笑った。
「ごめん、からかった。そういうところ、全然変わってないんだな。……すごく可愛いと思う」
「また、意地悪」
「ちがう。帰ってきたら仕事できるようになってるの見て、つい褒めたくなったんだけど。……これ以上言うとセクハラになる?」
「それは……ありがとうございます。素直に嬉しいです」
見上げた空には、いつの間にか赤星の隣に光る星がもうひとつ増えていた。
「行こうか」
黒澤に頷いて新菜は助手席に乗り込んだ。
腕まくりしている黒澤がハンドルを握る。暗くてよく見えない。さっき痛んだ胸もまだ痛い。けれど、その横顔をずっと見ていたいと新菜は思った。
「さっきのさ」
黒澤の声色にどきりとする。食事中、わざと夢中になったフリをしてその話題に触れないようにしていた。
「はい」
「ずっと気にしてろって……俺が、ずっと新菜を見てろってこと?」
突然の呼び捨てに心臓が跳ねた。隣を見上げると真っ直ぐな黒澤の瞳とぶつかった。
「……そんなつもりじゃ」
「じゃあ、ちょっとずつ意地……の後、なんて言おうとしてた?」
目の奥を見透かすようにじっと見つめられ、新菜は観念した。
「意地悪……です」
「やっぱり。俺、なんかした?」
優しい声色で問われた。けれど、今さら言うことに戸惑い、見つめ合うこと数秒。「なに言ってもいいから」と黒澤が念を押し、新菜は覚悟を決めた。
「三年前、『大丈夫だ、なんなら俺が付き合うよ』って私に言ったの覚えてますか?」
「……覚えてるよ。俺はあのとき本気だったけど?」
「次の日も、その後も、何事もなかったかのように接して来たじゃないですか」
「それは、振られて泣いてる隙につけこむのはしたくなかったから」
あの日は最悪だった。
学生時代から長く付き合っていた恋人と久しぶりに会ったカフェ。
急に別れたい、と言われて取り乱してしまった。
そんな私に全く動じず元彼はあっさり立ち去った。茫然とする私に一部始終を見てしまった黒澤さんが声をかけてきた。
「何回も思い出して、そのたびに『なんなら』が引っかかったんですよ」
「確かに。そう言われると『なんなら』はないな。タイミングも悪かった……ごめん」
黒澤はバツの悪い笑みを浮かべ、指先で新菜の頬をそっと撫でた。
「訂正するよ。……あの時、本気だったんだ」
嬉しさと胸を突くような痛みが同時に来た。
(それって、過去形……ですよね?)
新菜は頬に添えられた温かい指先から逃れるように、わずかに視線を逸らした。期待してはいけない、と自分に言い聞かせて。それでも、このまま指先が離れてほしくないと願う心が胸の中でぐちゃぐちゃに絡み合う。
「帰りましょうか。わたしが運転しますか?」
「大丈夫、俺、まだ死にたくないから」
「やっぱり、黒澤さんって、ちょっと意地悪です」
少しだけ睨むと、黒澤は肩を揺らしてふはっと笑った。
「ごめん、からかった。そういうところ、全然変わってないんだな。……すごく可愛いと思う」
「また、意地悪」
「ちがう。帰ってきたら仕事できるようになってるの見て、つい褒めたくなったんだけど。……これ以上言うとセクハラになる?」
「それは……ありがとうございます。素直に嬉しいです」
見上げた空には、いつの間にか赤星の隣に光る星がもうひとつ増えていた。
「行こうか」
黒澤に頷いて新菜は助手席に乗り込んだ。
腕まくりしている黒澤がハンドルを握る。暗くてよく見えない。さっき痛んだ胸もまだ痛い。けれど、その横顔をずっと見ていたいと新菜は思った。