黒澤主任の甘いイジワル
黒澤に案内されたのは看板も出ていないような隠れ家的なバーだった。細い通路の奥にあるブラウンの重厚な扉を開けると、爽やかな柑橘系の匂いがした。
(……いい香り)
カウンターの奥で、マスターがレバーを引き下げ、オレンジを絞っているのが見えた。黒澤はマスターと無言でアイコンタクトをとると、迷いのない足取りでカウンターの一番奥へ進む。その後をついて行くと、彼は隣の椅子をさらりと引いてくれた。
お任せで作ってもらったカシスオレンジで、もう一度静かに乾杯する。
黒澤はグラスを置くと、ふうと小さく息を吐き、右手にしていた腕時計を慣れた手つきで外した。長い指先と、時計の跡が残った手首の骨ばった筋に、新菜は思わず見入ってしまう。
「どうした?」
「いえ」
「楽なんだよ、時計外すと解放された感じがするんだ」
「分かる気がします。でも、黒澤さんってネクタイは外さないですよね。さっき、みんな外してましたけど」
「あぁそうかも。俺も外そうか?」
黒澤がニヤリと笑った。試すような笑いに新菜がムッとする。
「いえ、わたしは酔ってもネクタイはきちんと締めている男性にキュンとします」
「ふはっ。それって、俺のこと? 本気にしていい?」
「あ、ちがっ……」
「ちがうの?」
お酒のせいだろうか、つい本音がこぼれた。黒澤がくくっと楽しげに笑っている。恥ずかしさに新菜が背を向けようとすると、後ろから覗き込むように声をかけられた。
「ごめん、今のは意地悪だった」
まだ笑いを含んだ声に振り返ると、黒澤は柔かい笑みを浮かべていた。
「ほんと、黒澤さんってやっぱり意地悪です」
「うわっ、ちょっとじゃなくなってるんだけど。……でも、ついからかいたくなるんだよなぁ」
黒澤はグラスに残っていたカシスオレンジを飲み干す。それを見ていた新菜もつられるようにぐいっと飲み干した。
「お水、もらおうか?」
「え? まだ全然いけますけど」
「珍しく顔が赤いよ」
「あ、えっと……」
(もしかして、完全にバレている……?)
手のひらで転がされているような感覚に視線を逸らすと、黒澤がそっと顔を近づけてきた。
「ごめん、からかった。でも、そういうところ、昔から可愛いと思ってた」
耳元で囁くように言われた。わざとだ。
「酔ってますか?」
「酔ってないよ。でも、今日は酔ってもいいかなって思ってる。ダメかな?」
黒澤の整った顔立ちが、もうすぐ唇が触れそうな距離にある。その吐息を肌で感じ、新菜は呼吸の仕方を忘れそうだった。
「いいですよ。わたしも酔って帰れなくなったら、責任、取ってくださいね」
精一杯強気に言い放つと、黒澤は一瞬だけ目を見開いたあと、悪戯っぽく「オッケー」と口角を上げた。
(……いい香り)
カウンターの奥で、マスターがレバーを引き下げ、オレンジを絞っているのが見えた。黒澤はマスターと無言でアイコンタクトをとると、迷いのない足取りでカウンターの一番奥へ進む。その後をついて行くと、彼は隣の椅子をさらりと引いてくれた。
お任せで作ってもらったカシスオレンジで、もう一度静かに乾杯する。
黒澤はグラスを置くと、ふうと小さく息を吐き、右手にしていた腕時計を慣れた手つきで外した。長い指先と、時計の跡が残った手首の骨ばった筋に、新菜は思わず見入ってしまう。
「どうした?」
「いえ」
「楽なんだよ、時計外すと解放された感じがするんだ」
「分かる気がします。でも、黒澤さんってネクタイは外さないですよね。さっき、みんな外してましたけど」
「あぁそうかも。俺も外そうか?」
黒澤がニヤリと笑った。試すような笑いに新菜がムッとする。
「いえ、わたしは酔ってもネクタイはきちんと締めている男性にキュンとします」
「ふはっ。それって、俺のこと? 本気にしていい?」
「あ、ちがっ……」
「ちがうの?」
お酒のせいだろうか、つい本音がこぼれた。黒澤がくくっと楽しげに笑っている。恥ずかしさに新菜が背を向けようとすると、後ろから覗き込むように声をかけられた。
「ごめん、今のは意地悪だった」
まだ笑いを含んだ声に振り返ると、黒澤は柔かい笑みを浮かべていた。
「ほんと、黒澤さんってやっぱり意地悪です」
「うわっ、ちょっとじゃなくなってるんだけど。……でも、ついからかいたくなるんだよなぁ」
黒澤はグラスに残っていたカシスオレンジを飲み干す。それを見ていた新菜もつられるようにぐいっと飲み干した。
「お水、もらおうか?」
「え? まだ全然いけますけど」
「珍しく顔が赤いよ」
「あ、えっと……」
(もしかして、完全にバレている……?)
手のひらで転がされているような感覚に視線を逸らすと、黒澤がそっと顔を近づけてきた。
「ごめん、からかった。でも、そういうところ、昔から可愛いと思ってた」
耳元で囁くように言われた。わざとだ。
「酔ってますか?」
「酔ってないよ。でも、今日は酔ってもいいかなって思ってる。ダメかな?」
黒澤の整った顔立ちが、もうすぐ唇が触れそうな距離にある。その吐息を肌で感じ、新菜は呼吸の仕方を忘れそうだった。
「いいですよ。わたしも酔って帰れなくなったら、責任、取ってくださいね」
精一杯強気に言い放つと、黒澤は一瞬だけ目を見開いたあと、悪戯っぽく「オッケー」と口角を上げた。