花に溺れ、香りに溶ける

「えぇ。美寿の香道での名前は知っていますよね? 佐山蓮水。この名前は、代々受け継がれていくものなんです。この名を継げるのは、佐山の血を引いていて、家元に認められた女性だけ。しかも、千年以上続いているこの流派で、これまでたった3人しか名乗ったことがないんですよ」

「……え?」

「不思議なことに、家元や次の家元は生まれた順で決まる世襲制ですが、香名はみんな違います。『佐山蓮水』だけは、認められないと名乗ることができないんです。それに、ほかのお客さんたちの声を聞いてみてください」


 國宗さんに言われて、俺は耳をすませてみた。


『蓮水先生の香りの会、久しぶりよね。小学生の頃にはもう、お兄様の香りの会で執筆係をしていたらしいわよ』
『私は小さな会だけど、参加したことがあるのよ。蓮水先生が中許に合格して、初めて会を開くことになった時。あの時も凛としてきれいだったのよね。だから急だけど、今日の予定を変更したの』
『あら、そうなの?』
『ええ、だってあまりないじゃない。次の家元の執筆係でも手伝いでもなく、蓮水先生自身が香元をするなんて。私、大好きなのよ。それに、いつもしてくれるおもてなしも素敵よね。あそこにある掛け軸も素敵だし』
『まだ高校生だって聞いた時は驚いたわ。もし成人していたら、息子と婚約させたかったくらい』


 それはみんな、期待のこもった言葉だった。最後の言葉には、少しイラッとしてしまったけど。


「ははっ……ほらね、だから大丈夫。家元としても、親としても、まったく心配していないんです。それに、これからだよ。あの子のすごいところは」


 國宗さんが入り口のほうをちらっと見ると「失礼いたします」という男の人の声が聞こえて、ふすまが開いた。
 入ってきたのは、俺の父さんたちと同じくらいの年の男の人だった。彼は一人ひとりにあいさつをしながら、奥にいた俺たちのほうへやってきた。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます。香元からです。蔵出し茶と、小さなお菓子を用意いたしました。どうぞお召し上がりください」

「あ、ありがとうございます。いただきます」


 小さな湯のみに、小さな落雁が、木の小さなトレーに乗っていた。湯のみを持ち上げて一口飲む。

 これは、ぬるめ?


「お茶、ぬるいと思いますよね? 熱いお湯で入れると渋みや香りが強く出すぎてしまうので、少し温めの温度で入れているんです」

「そう、なんですか」

「ええ。これも、香元からの指示なんですよ。もともとこのお茶は香りが強いんです。では楽しんでいってくださいね」


 それだけ言うと、彼はおじぎをしてこの部屋を出ていった。





< 46 / 66 >

この作品をシェア

pagetop