奇跡を起こすソーダ水

Chapter2 焦燥と渇望

 2026年10月8日。クリスタルミューズが最新曲の『君と描くオーロラ』を発売した頃、札幌では不可解な殺人事件が頻発していた。殺された被害者たちは皆、血液が炭酸のようにシュワシュワと音を立てている。警察はまだ公表していないようだが。

 世間を賑わせている連続殺人。殺された被害者には、あることが共通していた。その理由の一つは——
 ザワザワ……
 深夜の札幌の夜はキャバクラやクラブなど、酒が街を彩る。また、クリスタルミューズに憧れを持つ若者たちが地下アイドルを結成し、ライブを積極的に行っている。平均年齢18歳のメンバーで結成された地下アイドル『ミルクエール』のコンサートでは——
 ♪〜♪〜
 地下に賑やかなロックの音楽が鳴り響く。このコンサートでは特別に撮影禁止のルールは設けていない。
 パシャ……パシャ……
 撮影禁止にはしていないが、あくまで自分だけで楽しむためのもの。SNSでの拡散は厳禁。だが悲しいことに、ルールを破って広告収入を得ている人間も存在している。
 パシャ……パシャ……
「ふん……これでいい写真がたっぷり撮れたぁ……」
 高性能カメラで何十枚もの写真を撮っているのはファンでもない男、下野 樹希(シモノ ジュキ)。奴が撮った写真は全て、下着が食い込んだ臀部や張りのある胸元、どれも性的な写真。目的は一つ、匿名で投稿してネットの広告収入を得るためだ。
「さて……帰って厳選するか!」
 地下アイドルの盗撮写真を買ってくれる人間はかなり多い。売っている側からすれば儲かって仕方がない。だがその姿を見逃さない者がいる。
「あの……?」
「はい?(何だ女か?まさか逆ナンか?)」
 男に声をかけたのはフードを目深に被った女性。
「さっき私たちの写真撮りましたよね……?」
「ああ〜……!そりゃぁ撮ったよ!だってファンだからさ!?」
「嘘……あなた私たちを盗撮したでしょ?」
 声をかけた女性はミルクエールのメンバーなのか?だが男が会場から出て5分も経っていない。それなのに声をかけたとなると早すぎる。やがて男は得も言われぬ恐怖を感じ取り、カメラを持ったまま走り去る。
 ダッダッダッ……!
「うぅ……!(何なんだあの女……!まさか見られていたのか……!?)」
 男は必死で女性の姿が見えなくなるまで走り続けた。そのまま自分の車を停めていた地下駐車場へ辿り着くと、さっさとその場を後にしようとバッグからキーを探す。
 コソコソ……
「あれ?やべぇ走っているときに落としちまったか……!?うわマジかよ……!」
 せっかく逃げたと思ったらキーを紛失したと焦り出し、必死でポケットから隅々まで探していたのだが——
 チャラチャラ……
「あなたが探しているのって……もしかしてこれかしら?」
「ああん……?ってうっ……!?お前、さっきの女!?何でお前が持ってんだよ……!?」
「素人に私のスリから逃れるのは不可能……隙だらけであくびが出るわ」
 目の前の女性に対する恐怖、それと煽られるような発言。遂にイライラが限界に達した男は力の限り拳を握り、殴りかかる。しかし——
 シュッ……
「えっ……?」
 シュワシュワ……
「おいどうなってんだよ……!俺の血が……!?」
 切られた感覚は一切なかった。痛みすら感じないスピードで手を切られ、流れる血が炭酸のように弾けている。そのまま——
 グサッ……!シュワシュワ……!
 心臓の付近を突き刺された傷口から流れる血が、さらに炭酸の強さを加速させて弾け飛ぶ。それだけでなく——
「カハッ……!カハッ……!?」
 刺されたと同時に呼吸が苦しくなる。一体何を仕込んでいるのか?それに、男の命脈を絶ったとされる凶器の正体は何なのか?
 バタン……シュワシュワ……シュワシュワ……
 絶命しても血液が弾け続ける。世間では一連の連続殺人事件を、『ブラッディソーダ殺人事件』と呼ばれるようになった。

——「うえぇ〜ん……!うぅ……」
「うるさい!お前がこんなんだから氷川家が不幸になるんだ!」
「あなた……もうやめてください……」
 パリーン……!
 氷川幸人は生まれつき男性ホルモンが少なく、思春期を迎えても男性らしい身体つきになれなかった。その事実に絶望したのは彼の父親。期待していた長男に期待できなくなった焦燥感、将来の絶望、彼自身もなぜ男にも女にもなれなかったのかわからなかった。
「うぅ……」
「お兄ちゃん……」
「な……凪ちゃん……」
「これ飲む?カルピスと炭酸水混ぜてみたよ……」
 シュワシュワ……
「ありがとう……」
 ゴクゴク……
 彼の心は幼い頃から渇ききっていた。それでも妹だけは贔屓された家族環境でも、彼に味方してくれた。だが、凪は兄に対して『美』への渇望を持ち始めていた。——

「うぅ……はっ……!?」
 バサッ……!
「はぁ……はぁ……!」
 ポリポリ……
「またろくに寝られなかったわね……」
 2026年12月7日。もう何回同じ夢を見たのだろうか。大スターの両親は子どもに過度な期待をするのだろうか?一概には言えないが、少なくとも彼の父親は期待しすぎていた。
「……」
 朝の8時……彼の自宅は零度の地下に構えている。さあ、最高のソーダ水を仕込まなきゃ!
 シャー……カチッ……シュワシュワ……!
 彼のこだわりとは、ソーダ水は自分で作ること。決して業者に頼んだりはしない。零度から出る水道水を、特注の炭酸水メーカーで炭酸水にし、そして瓶に入れて栓をする。
 ゴク……
「おぉ……!今回は強烈ね……最高」
 こだわりのあるソーダ水。だが、彼が作るソーダ水にはそれぞれ秘密がある。前章でも少し触れていたが、人によって飲ませる種類を変えている。そのため、外出するときも懐に隠し持っているのだ。炭酸そのものに興味を持ち始めたのは小学生の頃。シュワシュワと弾けて喉にくる刺激が感動的だった。
「うん!これならお客様のハートを掴むこと間違いなしね!」
 彼の炭酸に対する愛情は底知れない。ソーダ水=氷川幸人のような感じだ。ラーメンなのに麺が入っていないことと同じくらい、人生の一部になっている。そんな彼だが、炭酸を愛している人間はもう一人存在する。

 2026年12月7日。クリスタルミューズのレッスン会場では、来週に開催される東京ドームのライブに向けて振り付けの練習をしていた。
 タン……タン……タン……!
「よしできたわね……!もう一度通してみよう!」
「うん!」
 タン……タン……タン……!
 クリスタルミューズの事務所は東京に構えているが、もう一つ出張所のような形で室蘭市にも構えている。作詞作曲を手がけ、振り付けを考えているのは全て凪だ。凪考案の振り付けは上体を捻る動きが多く、飛び跳ねる回数も多くて体力がかなり求められる。
「ふぅ……!」
「できた!いい汗かいたぁ〜!」
「皆しっかり水分補給してね!あと汗もちゃんと拭くのよ!」
「うん!」
 室内は暑いが、外に出れば極寒。ライブに向けて体調管理をすることも仕事の一つ。
 プシャッ……ゴク……ゴク……
「ぷわぁ〜!」
「凪はやっぱり炭酸水なんだね?コーラとかは飲まないの?」
「コーラも飲むけど、私はやっぱ自分で作った炭酸水が好きかな……」
「そういえばこの前炭酸水メーカー買ったとか言ってたわね?」
 彼女とよく話をするのは、副リーダーのポジションにいる朝倉 美緒(アサクラ ミオ)(24)。美緒は釧路出身だ。
「あぁ!そういえばこれ見た!?今度は函館の方で殺人事件だって……」
「マジで!?」
「またあれらしいよ……ブラッディソーダとか……」
「怖いわね……」
 警察は必死で捜査しているというが、凶器がわからない上、血液の炭酸現象が難航を極めていた。確認されているだけで14人が殺害されている。唯一の手がかりは、殺害現場では美しい女性が目撃されているという。
「でも女が人殺しの犯人だったら怖いわね……同じ女としてちょっと……」
「……まあ私たちには関係ないわ……それに私の仕事は、あなたたちをトップアイドルまで導くことよ。だから気にしない!」
「そうよね……!うん!凪は一度も間違ったこと言わなかったもんね!」
「そうよ!私たち7人でクリスタルミューズよ。よし!ワンモアタイムいこう!」
「うん!」
 凪がいなければクリスタルミューズは存在しない。彼女が持つ統率力、カリスマ性、そしてメンバーへの思いやり。だが彼女には抱えている秘密がある。メンバーとファンには死んでも明かすことができない秘密とは。

 その日の夜。
 ガシャ……シュー……
 凪が住んでいるマンション。専用のカギでしか開かない隠し扉には、小型の冷凍庫が置かれている。
 ヒュゥゥ……
「フフフ……」
 彼女が持っているのは氷のアート。いや違う……氷のナイフだ。それもただの氷のナイフではなく、異様なほど冷気が出ており、彼女自身も戦闘用グローブをして慎重に扱っている。これは何だ?
 ガシャ……
 ナイフを冷凍庫に戻すと、そのままテーブルに広げられた設計図に何やらメモをする。まさか、ブラッディソーダ殺人事件に何か関わっているのだろうか?彼女は扉のカギを締めると、スピーカーの音楽をかけてソファに座り、芋焼酎をソーダ水で割る。
 ゴク……ゴク……
 スピーカーから流れる音楽は1990年代を魅了した大人気アイドル、『Aurora Kiss』の曲。所属していたメンバーは3人とクリスタルミューズよりは少ないが、当時のファンはリーダー、『CHIHIRO』の曲で歌って踊りまくった。しかし、そのCHIHIROは現在行方不明になっているという。彼女はAurora Kissのファンなのだろうか?だがそれだけでは片づけられない話かもしれない。なぜなら、台所に飾られている写真は、2人の子どもと一緒に写るCHIHIROの姿なのだ。一人はおそらく凪自身が幼い頃のように見えるが、問題はもう一人の子ども。女の子に見えるような坊主頭の男の子?果たして誰なのだろうか。
 ゴクゴク……!
 何も考えたくないのか、彼女は残っていた酒を飲み干すと、入浴を済ませてベッドに寝転んだ。
「私はクリスタルミューズの氷川凪なんだ……」
 彼女はなぜかその台詞を言わなければ心を落ち着かせられない。氷のナイフがバレたら、クリスタルミューズは破滅の未来しか待っていない。それでも決めた……私が皆を導くんだと。

 その頃。BAR零度では仕事終わりのサラリーマンたちが数名来店していた。そんな中——
 カランカラン……
「いらっしゃい……」
「暖けぇ……!」
「外寒かったでしょ?でも大丈夫ですよ、暖まるものお作りします……」
「は……はぁ……?(何か不思議な女性だな……)」
 寒さで手が震えている30代くらいの男性。だが厚手のジャケットを着ていて冬用の手袋をしていた。寒さでここまで震えるのは少し引っかかる。
「何だっけ……?ジョンだっけ……何とかのやつ、ジョニーだったか……」
「ジョニー・ウォーカーかしら?」
「それだっけな……それの炭酸で」
「喜んで……」
 カランカラン……トクトク……シュワシュワ……
「どうぞ……炭酸強いからゆっくり飲みな?」
「ありがとう……」
 ゴク……
「うわすげぇ……!?めっちゃ炭酸強いな……」
 彼の提供するソーダ水は、一気飲みするとむせるくらい炭酸が強い。果たしてこの1杯は何を導こうというのか?
「何か……すごい、身体が温まったような……?」
「これは僕のアレンジよ。とても寒そうだったもの……」
 このソーダ水には少量のカプサイシンの成分が入っている。味に影響しない量に調整し、飲んだ瞬間に身体の芯から徐々に温まっていく。
「お兄さん……今日は何を忘れたいの?」
「わ……忘れたい?何を忘れたい……」
「お兄さん……社員証を首にかけたままよ?」
「ええ……ヤベッ……!?」
池上 渉(イケガミ ワタル)君……」
 彼は零度のマスターである傍ら、法では解決できない、もしくは裁けない物事を解決する仕事をしている。本人は『社会活動』と語っているが、場合によっては人の命を奪うことも厭わない。
「渉君、あなたの心は黒く染まりかけているわ……」
「何なんだいきなり……」
「ここは零度よ。心の温度が0°Cより下がってしまうと、立ち上がるまで時間がかかってしまうの。僕にできることは、あなたの心を0°Cに戻してあげること……そこからはあなた自身の選択よ」
 放っておけないわね……この渉君っていう人、首元に何やら線状痕が見える。まさか命を絶とうとしたの?それに首にかけたままの社員証、まるで人生に絶望したような表情……僕なら奇跡を起こせるかもしれない。
「……」
「ごちそうさま……お会計頼むよ」
「待ちなさい!」
「な……何だよ……」
 トン……
「これは僕の奢りよ……一気に飲みなさい?」
 彼が差し出したのは微炭酸の何か。ウイスキーか?
「一気に……うう……!」
 ゴクゴクゴク……!
「……!何か……眠く……」
 パタン……
 酒を飲み干した男はテーブルに伏せるように眠った。やはり他のお客さんから視線が集まってしまう。しかし——
「また僕のお節介が出てしまったわ……」
 その台詞を聞いて大半の人は『ほぉ~』と頷く。どうやら奇跡を起こすための一環として、良いタイミングで酔わせて眠らせる。眠れば自然と疲れが取れる。少し休まないとダメね……

 翌日、2026年12月8日。池上渉は零度の地下、幸人の自宅で目を覚ました。
「うぅ……」
「目が覚めたかしら?」
「あれ確か……あんた零度の?……!ヤベッ!?俺仕事行かないと!」
 仕事用のバッグを持って出ようとする男。しかし——
 ベタッ……
 壁と壁の間にサランラップが貼られている。それに気づかない男は案の定、自分の顔面にサランラップが貼りつく。
「うわっ……!?おい何だこれぇ?サランラップ……?おいあんた!?」
「……」
「うぅ……!」
「どうしたの?早く行きなさいよ?」
「……クッ……!?」
 バタンッ……!
「フフフ……おバカさん……」
 急いでいる人間ほど周りが見えなくなる。注意していても気づけないが、彼は男のスーツに小型の盗聴器を仕込んでいた。彼にはわかっている。男が勤めている『株式会社ムロボン』、最近社長のドラ息子が入社したというが、会社では好き放題やりまくっているという。一方、池上渉はまだ若そうだ。社員証には係長と書かれている。
「さてと、僕は楽しいランチでもして……お買いもの行こうかしら?」
 そう言うと愛用の白コートとマフラーを着用し、Vivianの腕時計をつける。仕事がない日などは、彼の生き方は本当に自由だ。自由な時間があるなら、妹に会いに行っていいかもしれないが……
 スッ……
 彼が耳につけたのはBluetoothのイヤホン。だが今回は音楽を聴くためではない。池上渉のスーツに入れておいた盗聴器、少しでも何かあれば駆けつけることができるようにするのだ。

 数時間後、時刻は11時40分頃。
「はいこちら……牛丼特盛りです。ご注文以上で?」
「大丈夫です」
「ごゆっくりどうぞ」
 幸人は吉野家の牛丼が好物。紅しょうがと一緒に食べるのがたまらなく好きだ。
「これこれ……!」
 ガツガツ……
 牛肉とご飯を一緒にかき込む。高級肉に豪華な海鮮料理なども食べてみたが、やはり身近にあっていつもと変わらない美味しさが好きだ。元気が湧いてくる。
 ガツガツ……ザザ……
 牛丼を夢中でかき込んでいた頃、イヤホンからノイズが走った後、物騒な会話が聴こえてきた。
『この前……電話……たは誰だ!?』
「……?動き出したかな?」
 遠くから声を拾っているのか、ハッキリとは聴こえないが『この前電話取ったのは誰だ!?』と言っているようだ。
 ガツガツ……ゴクン……
「ありがとうございます!」
「これで」
「ちょうどいただきました。ありがとうございました!」
「ごちそうさま……」
 お会計を済ませて店を出ると、自然と彼の足はムロボンへと向かっていた。吉野家からムロボンまでの距離は徒歩10分だが、歩幅が大きくて彼の歩く速度が早かったのか、10分もしないうちにムロボンの傍まで辿り着いた。だが彼の知らないところで、ムロボンではとんでもないことが起きていた。

 30分前、11時10分。株式会社ムロボン。
 カタカタ……
 池上渉は新卒からムロボンに勤め、今や係長を任されている。だが渉の歯車が狂い始めたのは、2026年10月に社長のドラ息子、諸星 凱(モロホシ ガイ)が入社した頃だった。渉が勤め始めた頃に社長をしていたのは現社長ではなく、前社長の岩永 寛(イワナガ ヒロシ)。現社長に変わってから社内の空気が変わってしまったものだった。
「係長……大変です!」
「どうした?」
「先ほどからキャンセルの連絡が鳴り止まないんです……!もうおたくとは取引しない!とか何とか……」
「何……!?何がどうなってんだよ……!?そういえば、担当したのって誰だ?」
「多分……凱さんだと思います……」
「……!?やっぱりか……」
 諸星凱は26歳。ずっと親のすねをかじり続けていたのだが、働くことを提案され、小遣いを減らされたくないからと『次期社長』の立場でムロボンに入社。だが仕事は相当いい加減で、会社の金を使い込んではギャンブル三昧、女性社員をホテルへ連れ込むなど、まるで絵に描いたようなダメ人間だ。奴のせいで取引は何件も中止になり、主要取引先まで離れていき、最終的に社員たちの給料が払えなくなるほど追い込まれている。それだけでなく——
「係長!係長にお電話が……」
「電話……ああ……」
 渉が頭を悩ませているもの。それは、諸星凱が闇金から金を借りる際、自分の名前を勝手に使ったことだった。
「すみません……!お金は何とかしますから……!」
 諸星は渉の個人情報を入手し、本人になりすまして闇金から金を借りた。理由はもちろん、闇金への返済責任が自分にいかないようにするためだった。奴は借りた金で今、風俗店に出入りしているという。
「クソ……!どうしよう……(会社に来るってマジかよ……!?そうなったらもう……終わりだ……!)」
 冗談を言っているようには聞こえない脅しに怯えているが、最終的に闇金が社内まで押しかけてくることはなかった。

 11時50分頃。
「ここがムロボンね……」
 さすがは大手企業。何十年もの信頼があったからこそ大きくなれた会社の風格が外からでもわかる。そんな会社が破綻してはいけない。すると——
 コツ……コツ……
「一体何かね?私を呼び出すなんて……」
「お越しいただきありがとうございました。ですが今、この会社がとんでもないことになっています……」
「何となくわかっていたが……それより電話したのは男性だったよな?あんたは誰かに頼まれてここにいるのか?」
「いえいえ、電話したのは僕ですよ」
「はあっ……!?」
 彼が呼び出したのはムロボンの前社長である岩永寛。彼は昨日の夜、渉を眠らせた直後には既に根回しをしていた。彼の周りには情報屋やハッカーなど、知りたい情報があればすぐに教えてくれる仲間がいる。そのため、諸星凱が闇金から金を借りていること、ムロボンに起きている状況なども全て知っていた。それで岩永を呼び出したという経緯だった。
 ズカ……ズカ……!
「何だあいつら?会社に向かっているような気がするが……」
 突如現れたのは首元や顔にタトゥーが入った男たち。岩永は戸惑っているが、彼は冷静に口を開いた。
「ねえあなたたち、この会社に何か用かしら?」
「ああ……?何だ嬢ちゃん?この会社の社員か?」
「いえ、僕は通りすがりです……何か物騒だなと思いまして」
「用がないならいいか?うちはあそこの社員に金貸してんだ!」
「ねえそれって、間違ってんじゃない?お金借りたの、池上渉君じゃないと思うわよ?」
「何……お前何を根拠に言ってんだ!?」
 闇金からしたら、これから取り立てに行くために彼は邪魔な存在。だがそのうちの一人が——
「なあ……ならこいつにも稼いでもらうもアリじゃねえか?綺麗な面してるしなぁ……」
「ふん……それは賛成だな。ってことで、悪いが相手になってもらおうかなぁ!」
 岩永は口を開けたまま見守るしかない。だが幸人の正体を知らない闇金たちは攫っちまおうと立ち向かう。しかし——
 シュッ……ドガッ……!
 たった一蹴りで3人が吹き飛んでしまう威力。そもそも闇金にはここでダウンされてしまっては困る。でなきゃメインディッシュが成り立たない。
 ドスッ……!バタンッ……
「ぐあ……!」
「ちくしょう……テメエ何者だ!?」
「えっ……すげぇ……」
 闇金を軽く痛めつけると、彼はスマートフォンを取り出してどこかへと電話をかける。
「渉君の携帯かな?僕あれ、零度のマスターよ。ちょっと外まで来てもらっていいかしら?」
 彼が呼び出したのは池上渉だ。理由は——
「ムググ……グゥ……!」
「お待たせ幸ちゃん!連れてきたわよ!」
「ありがとう!助かるわ!」
「……!?お前、諸星の息子!?何があったんだ!?」
 一人の女性がガムテープで口を塞がれた諸星凱を連れてきていた。女性の名前は花園 麻衣香(ハナゾノ マイカ)(37)。凄腕の情報屋だが腕も立つ。凱のガムテープが外れると——
「おいテメエ!こんなことしてタダで済むと思うなよ!社会的に消してやるからな……!」
 ギャンギャンと喚く凱だが、しばらくして渉が来ると——
「……!?君、諸星君!?」
 当然だが開いた口が塞がらない。しばらくすると痛みが取れた闇金が立ち上がる。
 スッ……
 彼はそのまま凱を指差した。
「こいつです!池上渉君の個人情報使って借金したの!完全に責任から逃れようとしていますよー!」
「なな……何……!?」
「ちちち……違う……!俺は金なんか借りてねえ!」
「ああ……確かにお前、あのときの電話の声だったな……池上の声聞いたときに変だと思っていたが、まさかお前か……?」
 闇金は幸人の言葉を信じていた。なぜなら、あの中性的な外見からは想像もつかない戦闘力を見せつけられ、天と地の差を肌で感じたら信じざるを得ない。
 ガシッ……!
「一緒に来てもらおうか……!これからは楽し〜い仕事、紹介してやるからよ!」
「やめろ!やめてくれ……!池上!俺を助けろ……!」
「うるせえ暴れるんじゃねえ!」
 ドス……!
「う……」
 バン……ブーン……
 結局凱は闇金の連中に連れて行かれた。これで渉が金を借りた話が嘘だったと明らかにできるだろう。凱の父親である元嘉(ゲンカ)も、社長の座を追われるだろう。すると——
「岩永……社長……」
「……」
 ドサッ……
「すまなかった……!会社がこんなことになっているなんて……思ってもいなかった!全て私の責任だ……!」
「顔を上げてください……!悪いのは社長じゃありません……!」
「取引が中止されてしまった会社には私から直談判する!何とか取り戻すから……そのためにも君たちの力が必要だ!」
 岩永は定年を機に社長の座を退いていた。諸星元嘉なら次期社長を任せて問題ないと考えていた。岩永は何も悪くない。問題なのは、息子の悪行を知っていながら放置した父親の元嘉だ。
「社長……!うぅ……ありがとうございます……!」
「どう渉君?あなたの心は0°Cに戻ったかしら?」
「……?」
「少なくとも、あなたにはこの先奇跡が起きる可能性が生まれたはずよ……そのための0°C、あなたの人生の再スタートよ……」
 すると彼はソーダ瓶を2本出した。
「これは渉君と岩永社長さんに、僕からのプレゼント。カモミールとレモングラス入りのソーダ水よ……」
 2人は差し出されたソーダ瓶を手に取る。
「うわっ……キンキンだ……」
「まずはリラックスした方がいいわ……その後頑張っても遅くないから。あっ……僕はそろそろお店の準備しなきゃいけないわ!渉君も、ちゃんと温かくしながら頑張ってね!それじゃ……」
 コツ……コツ……
「……なあ!名前、何て言うんだ?」
「僕?僕の名前は、氷川幸人よ」
「幸人……?あんた男なのか?」
「なあにもう?あんま言わないでよ恥ずかしいから……!」
「あ……ああ……」
「フフフ……まあいいわ……じゃあね!」
 これでまた一つ、奇跡を起こす可能性が開けた。奇跡とは誰かによって起こされるものではない。あくまで幸人は起こさせる手助けをすること。最後は自分の手で達成する。
 コツ……コツ……
「僕にできることは、少しでも奇跡を起こすきっかけを作ることよ……」
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