奇跡を起こすソーダ水

Chapter5 美貌と躍動

 2026年12月10日。東京ドームでのライブツアーまで3日に迫っている。凪にとって絶対に達成させなくてはならないライブ。幸人にとっては妹の夢が全て詰まったライブ。本来なら前だけを見て頑張ればいい。しかし、夢を壊そうとする連中が有象無象に蔓延っている。

 8時30分。事務所を燃やされてしまったホワイトアスターは、札幌ホールで行われるミニコンサートに向けてレッスンをしていた。クリスタルミューズとは犬猿の仲と言われているが、同じ夢を追うアイドル同士だ。
 タン……タン……タン……
 社長がいなくなってなし崩し的にリーダー兼総監督になった海瀬円香は、出どころのわからない不安を抱えながらレッスンに打ち込む。この不安は誰に相談すればいいのか?警察に駆け込んでも動いてくれるのだろうか?
「さああと1時間で受付が始まるから!最終チェックいくわよ!」
「うん!」
 それでもメンバーは不安な顔一つ見せない。私たちは夢を追っているアイドル。こんなところでつまずいていたら、クリスタルミューズに笑われてしまう!
 タン……タン……タン……!
「決まった!」
 私たちホワイトアスターは、不安なんて忘れるくらい歌ってやるんだから!

 13時。札幌ホールでは——
 ワー……!ワー……!
「円香ちゃ〜ん!」
「光莉〜!」
 コンサート開始前からファンは大盛り上がり。会場にスポットライトが当たる。
 ♪~♪~
「さあ皆さん!本日はお集まりいただき、ありがとうございアイス!ホワイトアスター海瀬円香です!」
 ワー……!
 円香を含む7名のホワイトアスターがステージに立つ。湧き上がる大歓声、輝くペンライト。そんな観客席の中に、護衛のために氷川凪がフードを被って紛れている。どうしても父親の言っていたことが頭から離れなかった。『せいぜい目を離さないことをおすすめするよ……』。とてもハッタリとは思えないあの言葉は、彼女の心を不安にさせるには十分だった。
 ♪~♪~
 1曲目に流れているのは、Aurora Kissの名曲である『北風にKissして』のカバー曲。この曲は凪も毎日聴いている曲の一つだが、いざAurora Kissの名曲を聴いていると涙が出てしまう。すると——
「ママ……」
 クリスタルミューズもカバー曲を出してもよかったかもしれないが、彼女はそれを希望しなかった。Aurora Kissとクリスタルミューズは全く別もののアイドル。CHIHIROの透き通るような歌声は自分には出せない。出せないからこそ、彼女は笑顔と陽気な歌声を武器にした。
 ウォー……!
 つい聴き入ってしまったが、感動している場合ではない。ママのことを考えるのは、色々と落ち着いてからにしよう。

 同刻。受付では厳重な荷物チェックが行われていた。
「こんにちは!ではカバンの中身お願いします」
「はい……」
 コソコソ……
「ありがとうございました。ではあちらへお進みください」
 基本的にバッグの中身は目視で確認されるのだが、封筒や小包に入っているものなど、いわゆる個人情報に関することまでは確認されない。コンサートに訪れる人物の多くは男性、もしくは家族やカップルが多いのだが、その中に一人、単独で訪れた女性がいた。
「カバンの中身お願いします」
 黒髪のロングにピンクのインナーを入れている長身の女性。黒い不織布マスクをしている。バッグの中身は化粧ポーチや財布などが入っているが、その中にネックレスを収納するようなケースが入っている。財布と同様に中まで確認はしないため、女性は荷物チェックOKということで会場に通された。
「フフフ……」

 コンサート開始から1時間後。会場ではさらに大歓声が上がり続ける。凪の予想通り、不安を忘れるような素晴らしい歌だった。
「さあ次は……白夜のラブレター!皆さん盛り上がってますかぁ〜!?」
「オーー!!」
 ♪~♪~
 音楽が流れると同時に踊り出したのだが、一人だけ立ったまま完全に静止しているメンバーがいた。ホワイトアスターの最年少、藤宮 玲奈(フジミヤ レイナ)(19)だ。
「……?」
「玲奈……?あっ!すみませんちょっと止めてください!」
 円香のかけ声で音楽が止まる。だが玲奈に声をかけても反応がない。不思議に思った円香が肩を軽く叩く。
 トントン……
「玲奈?」
 ポトン……ポトポト……
 肩を叩いた直後、玲奈の身体はブロックのように肉片ごと崩れ落ちた。
「キャー……!?玲奈……!?」
 先ほどまで大歓声に包まれていたステージが一気に悲鳴へと変わった。ファンの数名はショックにより嘔吐し、逃げ惑う人と対応に追われる人が慌ただしくなる。当然その惨状を凪も見ていた。
「クゥ……!?(何も気配がなかった……一体どこから襲撃したっていうの!?)」
 肉体がサイコロのような肉片となって崩れ落ちるというのは、ナイフや刀で切ったくらいでは到底ならない。それに肩を叩くまで崩れ落ちなかった……明らかに超一流のプロの仕業だ。彼女はフードでは顔を隠しきれないと踏み、覆面を被って氷のナイフを装備した。
 ピリピリ……
 彼女は必死で辺りを見渡すが、怪しい影は見つからない。だが、彼女の視線はホワイトアスターの方ばかりを向いてしまっていた……
「いぎゃぁー……!」
 ポトポト……
 次に声がした方向は非常口。慌てて視線を移した先に映っていたのは、同様に人体を切断された警備員だった。
「ちょっとどうなってんのよ……!?……!?」
 だが彼女の目はあるものを捉えていた。非常口になぜか宙に浮いているような赤い液体。これは血なのか?その真下には警備員の死体……まさか!?
「これ……ワイヤー!?皆……!非常口に行かないで!止まって……!」
 だがパニックになっている状態では耳に届くはずもなく、何も知らない人たちは次々とワイヤーを通過していって身体が切れていく……
「ヌゥ……!」
 バンバン……!ガシャーン……!
 彼女は非常口の真上にある大型の展示用バックパネルを撃ち落とし、非常口を塞いだ。
「皆さん落ち着いてください!受付の方から逃げてください!」
 覆面こそしているが、どこか聞き覚えのある声に観客たちが気づいたのか、慌てながらだが順番に逃げていく。まずは被害を食い止めなければ……何でこんなときにお兄ちゃんがいないのよ……!?
 コソコソ……
「……!?」
 ほんの少しの気配を見逃さない。彼女の目に映ったのはファンとは言い難いような女……見た目が明らかに派手すぎる。まさか受付はこんな奴を通したっていうの?
「フフフ……」
 女はポケットから何かを取り出そうとした。ナイフを投げたら間に合わないと踏み、銃を構えた。しかし——
 ガシッ……
「……!?」
 突然後ろから銃を掴まれた。
 ガシャ……
 一瞬にして銃を解体される。彼女を妨害した主は不織布マスクをした女。
「面白い……」
 凪は氷のナイフを装備してそのまま接近戦に。
 ピンッ……
 女の手にはワイヤーが装備されているが、懐を見るに他の武器は持っていなさそうだ。確かに攻撃に一切予備動作は見られなかったが、氷のナイフを前にしてはさすがに分が悪すぎた。
 シュン……!
 凪は高速で女の首を切る。シュワシュワと音を立てながら女は仰向けに倒れ込んだ。
「助けて……!」
 彼女が見ていた女もワイヤーを装備している。幸いまだ誰も切断されていなかった。
「待ちなさい!」
「……!?あなた、その声……?」
「逃げて……!」
 覆面をしていても地声は変えられない。
「わかりました……」
 玲奈の亡骸は後できちんと回収する……だが今は問題の女だ。
「そのナイフ……フリーズエレメント……」
「……まさか知っているなんてね……あなた、何者?」
 『フリーズエレメント』は凪にしか作れない氷のナイフ。特殊な毒である『クリオトキシン』と水を混ぜ、そのままナイフの型にはめて凍らせることでできる。
「私の名前はクロエ……アラクネのボスにして最強の女……」
「アラクネ……やっぱりね!」
 『アラクネ』とは元々ギリシャの特殊部隊だったのだが、クロエが隊長を引き継いでから私物化し、そのまま暗殺者組織へと変えた。アラクネはワイヤーを専門に扱うプロの殺し屋が集められている。玲奈を殺したのはアラクネの仕業に違いない。
「玲奈ちゃんは夢を追っていただけだった……あなたは私が倒す……!」
 ヒュゥゥ……
 フリーズエレメントとワイヤーのぶつかり合い。凪は覆面を脱いで素顔を露わにする。
「氷川凪……美人なのが腹立つわねぇ!」
 ビュゥン……!
 ワイヤーが蜘蛛の糸のように射出される。まさか袖に仕込んでいるのか?
 カー……
「カラスが……!?」
 ワイヤーを通過したカラスが真っ二つに切り裂かれる。やはり通っただけでも簡単に切れてしまう。だがフリーズエレメントは切れ味だけが武器じゃない。クリオトキシンは人体に触れただけで毒が回る。もちろん解毒剤はない。
 ビュゥン……!
「フッ!」
 だが、フリーズエレメントには盲点があった……
 パリン……!
「……!?」
 クリオトキシンの成分によってチェーンソー並みの切れ味を持つが、元は水でできたもの。人体を簡単に切断するワイヤーには通用しなかった。つまりガードは無意味!
 ヒュゥゥ……
 残るフリーズエレメントは1本。このまま撤退を考えるべきか?しかし——
 ダン……!
 このまま逃げるのは玲奈の亡骸を放置することになってしまう!そんなことはできない。彼女はフリーズエレメントを一旦しまって素手に切り替える!
 ビュゥン……!
「シュッ……!」
 ワイヤーが凪の頬を掠るが、この程度で止まるほど甘くない。彼女は毎日欠かさず、アイドルとしてのパフォーマンスを崩さないために鍛錬を重ねている。華奢に見えて脚の筋肉は強靭だ。
 ドスッ……!
「ううぅ……!」
 そして超人的な戦闘術は、暗殺者である兄に教え込まれている。彼女も零度の使い手。追い詰めたと思いきや、いつの間にか追い詰められているのだ。
 ドスッ……!ドスッ……!
「……!?」
 凪のパンチは確実にクロエを捉えているはずだが、まるで風船でも殴ったかのように手応えがない。
「フゥ……!(手応えがない……まさか私の攻撃を吸収しているの……?)」
 ドスッ……!
「その程度?てかさ、あんた本当にアイドル?その割に強くね?」
「それは愚問ね?アイドルだから強いのよ……!」
 凪は再びフリーズエレメントを構える。そのままクロエの心臓を目がけて突進!
「バカ……そんな攻撃当たらないわ……!」
 クロエから見れば一直線すぎる攻撃。ワイヤーを射出すれば間違いなく当たる。
 ビュゥン……!
 だが、これは凪のフェイントだった。
「かかったわね……!」
 凪が取り出したのはマイク。クロエの後方には大型のスピーカーが置かれていることに気づいた凪は、マイクを射出されたワイヤーを掠らせるように——
 ギュウィーン……!
「グゥ……!?」
 スピーカーから大音量が鳴り響き、クロエは思わず頭を押さえる。怯んだ隙にそのまま突き刺す。これで凪の完全勝利かと思われた。しかし——
「あんたこそ引っかかったわね……」
 1本に見えたワイヤーが、複数の鋼線に分かれて放射状に広がった。
「……!?マズい……!」
 想定外の攻撃に思わずフリーズエレメントでガードするが、そのまま砕け、その破片が凪の太腿に——
 グサッ……!シュワシュワ……
「アグゥ……!?」
 太腿から流れる血が炭酸のように弾け出す。即効性の強いクリオトキシンが彼女の身体を蝕む……
 クラクラ……
「ウゥ……ゥ……」
 毒が回って意識が朦朧とする。
 コツ……コツ……
「まさか自分の必殺兵器が牙を剥くなんてね?まあいいわ……アイドルでもあんたは脅威の存在……」
 抵抗できない彼女に、クロエはゆっくりと手を顔に向ける。このままではワイヤーが突き刺さってしまう……
「死ね……」
「ウゥ……」
 彼女は死を覚悟して目を閉じた。だが——
 バーン……!
「フッ……!」
「……!?」
 突然鳴り響いた銃声。必死で目を開けて見えたのは——
「凪ちゃん!」
「お……お兄ちゃん……」
「何だか騒がしいと思ったら、まさかこんなことになっているなんてね?」
「そっか?氷川幸人の妹がトップアイドルって話は本当だったようね?それとママも……」
「フフフ……あなたね、女の子は黙った方が可愛いわよ?」
 ゆっくりと凪に近づく幸人。すると——
「これ飲んで……」
「……これは?」
 彼が渡したのは一つのソーダ瓶。
「フリーズエレメントの解毒剤……僕が特別に作ったわ。苦労したんだからね?」
 クリオトキシンの解毒剤は通常存在しない。だが、全世界でそれを作れるのは幸人ただ一人だ。
「恩着せがましい……でも感謝するわ……」
 ゴク……ゴク……
「ふぅ~……解毒剤なのに強炭酸……?」
「僕のこだわりよ。昔から知っているくせに?」
「フン……まあソーダわね……!」
 解毒剤を飲んで数秒すると、徐々にだが意識がハッキリするようになった。
「さあ場所を変えましょうか?あなたみたいな女の子に、こんなステージは似合わないわ……」
「フン……!まさか炭酸の微笑とサシで勝負できるなんて、私ったら本当にツイてるわね!」
「僕の可愛い妹をイジメた奴……もう絶対に許さないんだし!」
 幸人とクロエはゆっくり会場の外へ向かって歩き出す。
「凪ちゃん……今のうちに!」
「うん……ありがとう!」
 凪の目的を察した彼は会場を後にし、会場から数m離れた屋外で向かい合う。
「炭酸の微笑……綺麗な男ってやっぱり、鼻につくのよねぇ!」
 ビュゥン……!

 同日の18時。東京都港区。クリスタルミューズの東京ドームライブツアー開催を記念した期間限定ショップでは、12月13日のライブを目前に控え、多くのファンが公式グッズを買い求めていた。店内にはメンバーのポスターやアクリルスタンド、ペンライトなどが所狭しと並んでいる。そんな華やかな店内を、ガラス越しに哀しげに見つめる姿があった。
「……」
 真冬の夜だというのに、裸足で立っている汚れた女性。ボロボロのコートで何とか寒さを凌いでいるようだが、身体をブルブルと震わせている。
「あぁ……」
 女性もアイドルファンなのか?店から出た男性に思わず声をかけてしまう。
「あ……あの……それって、クリスタルミューズ……ですか?」
「はい?(何だこの人?すげぇボロボロだな……しかも裸足って正気じゃねぇだろ……)」
「クリスタルミューズ……」
「急に声かけないでくれよ!気持ち悪い……」
「ごめんなさい……!ごめんなさい……」
 ボロボロの女性がアイドルグッズなど買えるはずもなく、他の人からもらうこともできない。
「凪……はぁ……」
 彼女がポケットから取り出したのはロケットペンダントと、Aurora Kissのペンダント。ロケットペンダントには何が入っているのか?
「凪……幸人……!助けて……会いたい……」
 ペンダントを眺める彼女の背後に怪しい2人の影が迫る。
「あれ……けっこうな金になるんじゃねぇか?」
「違いねぇ……獲っちまおうぜ!」
 コソ……コソ……
「凪……キャッ……!?」
「もらった!ってどれどれ〜?これけっこう高そうなやつじゃねぇか?あんたみたいなホームレスが持っていても仕方ねぇだろ?俺たちがもらっておくぜ!」
「やめて……返して……!」
「やあ〜なこった!ずらかるぜ!」
 冷え切った裸足では追うこともできず、ただ力なく『返して』と訴えるしかできなかった。あれはどこにも売っていないペンダントでもあるが、何にも代えられない宝物。諦めかけたそのとき——
「ぐわぁ〜……!?」
 バタン……!
「……!?」
 突然走り去った男の一人が、事故に遭ったように吹き飛ばされた。瞬きを繰り返しながら見た先に映っていたのは、黒いジャケットを着込んだ大柄なイケメン男性。彼女から見て190cm近くあるように見えた。
「そのペンダントはあの人のものだろ?返してやれよ」
「何だテメェは!?」
「そんなことはどうでもいい……人のものは取らない。ママから教わらなかったのか?」
 体格と雰囲気から怖そうなオーラを醸し出しているが、彼女から見たその男性は何か優しさを秘めているようだった。
「大人しく返すなら見逃してやる……返さないなら、こっちもこっちで考えなきゃなんねえな?」
「フン……どこのどいつか知らねぇけどなぁ!邪魔するなら死にやがれ!」
 シャキン……!
 ペンダントを持った男が折りたたみナイフをジャケットの男性に向ける。
「危ない……!」
 だが彼女の心配は完全な杞憂だった。ジャケットの男性は一瞬で無力化するほど強かった。
 ドスッ……!バタン……!
「どうする?返すか?それとももっとやるか……?」
「返します……返します……!」
 男はペンダントを置いてそのまま走り去った。それ以上に気になるのはジャケットの男性だ。
「はいこれ……」
「あ……ありがとう……」
「Aurora Kiss……ファンなんですね?実は俺の母も大ファンだったんですよ」
「……!?そそ……そうです……!?私も昔からファンです……!」
「それよりこんな寒いところで何していたんですか?」
「そ……それは……」
 数年まともに人と会話していない彼女は言葉に詰まる。
「そういえばお名前は?俺は鏡幸人です」
 ジャケットの男性の名前は鏡 幸人(カガミ ユキヒト)(28)。港区の喫茶店、『余白』を営むオーナーだ。
「幸人……幸人なの……!?」
「……?そうですが……?」
「幸人……!ああ……ああ……!」
 彼女は名前を聞いた瞬間に鏡を強く抱き締めた!まさか?
「会いたかったわ……幸人……!」
「……!?(一体どうしたってんだ……?)」
 鏡はしばらく彼女に何も言うことはなかった。だが、彼女にとって鏡幸人との出会いは、運命を変える一つの糸になっていくのだった。
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