HELLO! マイ・ロスト・シーズン
最大級の感謝を貴方に
本作『HELLO! マイ・ロスト・シーズン』を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
作者の紫陽花です。
今、全5章の本編を書き終え、主人公の冴島凛が次の季節へと力強く歩み出した姿を思い返しながら、作者である私自身の胸にも、冷たい夜風が吹き抜けた後のような、静かで温かい余韻が広がっています。
今回は、この物語の核心である「元カレを(別れたあとも)好きであり続けること」というテーマについて、世間で交わされる様々な議論や、私自身の恋愛観・人生観を交えながら、少し真剣に、そして深く掘り下げてお話ししてみたいと思います。
1. 「元カレが好き」は、なぜタブー視されるのか?
世の中の恋愛指南書やSNSの恋愛相談、あるいは友人同士の会話において、「元カレが今でも好き」という本音は、往々にして否定的に捉えられがちです。
「終わった男に執着するのは時間の無駄」
「思い出を美化しているだけ。次に行けばもっといい人がいるよ」
「復縁できないなら、早く忘れるのが自分のため」
このような、いわゆる「正論」が世間には溢れています。本作に登場した凛の親友・花が放った「もう、亮太くんのことはやめなよ。凛が傷つくだけだよ」という言葉も、まさにこの正論の代表格です。花は凛を心から大切に思っているからこそ、これ以上彼女が傷つかないように、その「現実」を突きつけました。
しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。
なぜ私たちは、誰かをこれほどまでに一途に想い続けることを、「良くないこと」「惨めなこと」として隠さなければならないのでしょうか?
凛が花にすら本音を言えなかったのは、「元カレを引きずっている執着まみれの女」だと笑われ、軽蔑されるのが怖かったからです。恋愛において「執着」や「未練」は、あたかも自立していない人間の弱さであるかのように扱われます。ですが、私個人としては、そうした「割り切れない心」の中にこそ、人間の最も純粋で、最も尊い煌めきが隠されているのではないかと思うのです。
2. 恋愛における「男と女のフォルダ保存」という言説への違和感
よく言われる恋愛の格言(あるいは俗説)に、次のようなものがあります。
「男性の恋愛は『名前をつけて保存』、女性の恋愛は『上書き保存』である」
男性は過去の恋人をそれぞれ別のフォルダに分けて大切に保管し、女性は新しい恋人ができれば過去の記憶を完全に塗り替えて忘れてしまう、という意味で使われる言葉です。
しかし、本当にそうでしょうか?
私は、この言葉はあまりにも人間という複雑な存在を単純化しすぎていると感じます。
本作の凛は、まぎれもなく「上書き保存」などできない女性でした。新しく出会う誰かに亮太の面影を探し、彼からもらった安物のリングを捨てられず、クローゼットの奥の紙袋に「二年前の秋」をそっと閉じ込めて暮らしていました。
一方で、男性である元カレの亮太は、未練を残すどころか完璧に「過去のこと」として処理し、凛に対して友情としてのフラットな優しさしか向けていませんでした。亮太の心は、凛から見れば完全に「上書き(あるいは削除)」されていたのです。
つまり、未練や愛着の深さに性別は関係ありません。
誰かを好きになるということは、自分の人生の一部を、その人と共有するということです。別れたからといって、その共有した時間が一瞬で消え去るわけではありません。むしろ、別れた後に残された「ぽっかりと空いた心の空白」に、どれだけ相手の存在が染み渡っていたのかを思い知ることになります。
「元カレが好き」というのは、脳内が過去のデータに支配されている状態ではありません。「その人と共に過ごした時間、そしてその時の自分自身が、今でも愛おしくてたまらない」という、極めてパーソナルな自己肯定の裏返しでもあるのです。
3. 「無駄な時間」など、この世に一つもない
「元カレを思い続けるのは時間の無駄」という言葉に対して、私は明確にノーを突きつけたいと思います。
確かに、生産性や効率という観点から見れば、復縁の可能性がゼロに近い相手を思い続けることは「無駄」に見えるかもしれません。その時間を使って新しい出会いを探したり、趣味や仕事に没頭したりする方が、人生をクリエイティブに生きているように思えるでしょう。
ですが、心は機械ではありません。「はい、今日から忘れます」とスイッチを切り替えられるほど単純ではないのです。
凛が過ごした、あの悶々とした二年間。スマホの画面を見つめて一喜一憂し、クローゼットの奥を覗いてはため息をつき、友達に嘘をついて胸を痛めていた時間。それは客観的に見れば「立ち止まっていた時間」かもしれません。
しかしその間、凛の心は亮太との思い出を通じて、「誰かをこれほどまでに愛せる自分」と対話し続けていたのです。
誰かを激しく、切なく愛した経験は、たとえその恋が悲劇的な結末を迎えたとしても、その人の感性を豊かにし、他人の痛みに寄り添うための「優しさの土壌」を育てます。凛の傍で彼女を支え続けた花の優しさも、もしかしたら花自身が過去に同じような痛みを経験したからこそ、生まれたものなのかもしれません。
無駄な時間のように思える暗闇の中でしか、見えない光があります。私たちは立ち止まっている時、決して退化しているわけではありません。心の奥底で、次の季節を迎えるための「根」を必死に伸ばしているのです。
4. 凛の「二度目の告白」が持つ、真の意味
物語の最終章で、凛は亮太に呼び出し、二度目の告白をしてフラれました。
一見すると、これは残酷で悲しい「バッドエンド」に見えるかもしれません。しかし、私はこの結末こそが、凛にとっての「最高のハッピーエンドへの扉」だったと確信しています。
なぜなら、凛が亮太に伝えた「今でも大好きだよ」という言葉は、亮太とヨリを戻すための要求(リクエスト)ではなく、自分自身の過去に対する「卒業宣言(セレモニー)」だったからです。
もし凛が、亮太に自分の気持ちを伝えないまま、花の言う通りに無理やり次の恋を探しに行っていたとしたら、彼女の心にはずっと「もしあの時、もう一度伝えていたら……」という小さなトゲが残り続けたでしょう。そのトゲは、新しい恋人と出会ったときにも、ふとした瞬間にチクチクと痛み、彼女の足を引っ張ったはずです。
亮太に真っ直ぐに向き合い、そして誠実にフラれたことで、凛は「亮太が私を愛していない」という現実を、頭ではなく心で完全に受け入れることができました。
フラれた瞬間に凛が感じた「引き裂かれるような痛みと、不思議なほどの解放感」。
この「解放感」こそが、彼女を縛り付けていた透明な鎖が解けた証拠です。彼女はついに、亮太との思い出を「悲しい未練」から「愛おしい過去」へと昇華させることができたのです。
5. 新しい季節に、ハロー
この物語のタイトルは、『HELLO! マイ・ロスト・シーズン』です。
失われた季節(ロスト・シーズン)に、ただ後ろ髪を引かれるのではなく、自らの足でその境界線をまたぎ、「さようなら(バイバイ)」を告げると同時に、これから始まる新しい自分の人生に「こんにちは(ハロー)」と微笑みかける。
元カレを好きになったことがあってもいい。
今まさに、別れた恋人のことが忘れられずに、夜中に一人で泣いている人がいてもいい。
その気持ちを、無理に消し去ろうとする必要はありません。
気が済むまで、その季節の寒さに震えていればいいのです。
いつか、あなたの中の「凛」が、覚悟を決めて立ち上がるその日まで。
そして、傷ついたあなたの手を、何も言わずに握りしめてくれる「花」のような温もりが、すべての人の傍にありますように。
この物語が、過去の季節に立ち止まっている誰かの背中を、優しく、柔らかく押す風になれることを願って。
またいつか、新しい季節の物語でお会いしましょう。
冴島凛、五島亮太、そして花へ。
素晴らしい青春のひとコマを一緒に生きてくれて、本当にありがとう。
著者より、愛を込めて。
作者の紫陽花です。
今、全5章の本編を書き終え、主人公の冴島凛が次の季節へと力強く歩み出した姿を思い返しながら、作者である私自身の胸にも、冷たい夜風が吹き抜けた後のような、静かで温かい余韻が広がっています。
今回は、この物語の核心である「元カレを(別れたあとも)好きであり続けること」というテーマについて、世間で交わされる様々な議論や、私自身の恋愛観・人生観を交えながら、少し真剣に、そして深く掘り下げてお話ししてみたいと思います。
1. 「元カレが好き」は、なぜタブー視されるのか?
世の中の恋愛指南書やSNSの恋愛相談、あるいは友人同士の会話において、「元カレが今でも好き」という本音は、往々にして否定的に捉えられがちです。
「終わった男に執着するのは時間の無駄」
「思い出を美化しているだけ。次に行けばもっといい人がいるよ」
「復縁できないなら、早く忘れるのが自分のため」
このような、いわゆる「正論」が世間には溢れています。本作に登場した凛の親友・花が放った「もう、亮太くんのことはやめなよ。凛が傷つくだけだよ」という言葉も、まさにこの正論の代表格です。花は凛を心から大切に思っているからこそ、これ以上彼女が傷つかないように、その「現実」を突きつけました。
しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。
なぜ私たちは、誰かをこれほどまでに一途に想い続けることを、「良くないこと」「惨めなこと」として隠さなければならないのでしょうか?
凛が花にすら本音を言えなかったのは、「元カレを引きずっている執着まみれの女」だと笑われ、軽蔑されるのが怖かったからです。恋愛において「執着」や「未練」は、あたかも自立していない人間の弱さであるかのように扱われます。ですが、私個人としては、そうした「割り切れない心」の中にこそ、人間の最も純粋で、最も尊い煌めきが隠されているのではないかと思うのです。
2. 恋愛における「男と女のフォルダ保存」という言説への違和感
よく言われる恋愛の格言(あるいは俗説)に、次のようなものがあります。
「男性の恋愛は『名前をつけて保存』、女性の恋愛は『上書き保存』である」
男性は過去の恋人をそれぞれ別のフォルダに分けて大切に保管し、女性は新しい恋人ができれば過去の記憶を完全に塗り替えて忘れてしまう、という意味で使われる言葉です。
しかし、本当にそうでしょうか?
私は、この言葉はあまりにも人間という複雑な存在を単純化しすぎていると感じます。
本作の凛は、まぎれもなく「上書き保存」などできない女性でした。新しく出会う誰かに亮太の面影を探し、彼からもらった安物のリングを捨てられず、クローゼットの奥の紙袋に「二年前の秋」をそっと閉じ込めて暮らしていました。
一方で、男性である元カレの亮太は、未練を残すどころか完璧に「過去のこと」として処理し、凛に対して友情としてのフラットな優しさしか向けていませんでした。亮太の心は、凛から見れば完全に「上書き(あるいは削除)」されていたのです。
つまり、未練や愛着の深さに性別は関係ありません。
誰かを好きになるということは、自分の人生の一部を、その人と共有するということです。別れたからといって、その共有した時間が一瞬で消え去るわけではありません。むしろ、別れた後に残された「ぽっかりと空いた心の空白」に、どれだけ相手の存在が染み渡っていたのかを思い知ることになります。
「元カレが好き」というのは、脳内が過去のデータに支配されている状態ではありません。「その人と共に過ごした時間、そしてその時の自分自身が、今でも愛おしくてたまらない」という、極めてパーソナルな自己肯定の裏返しでもあるのです。
3. 「無駄な時間」など、この世に一つもない
「元カレを思い続けるのは時間の無駄」という言葉に対して、私は明確にノーを突きつけたいと思います。
確かに、生産性や効率という観点から見れば、復縁の可能性がゼロに近い相手を思い続けることは「無駄」に見えるかもしれません。その時間を使って新しい出会いを探したり、趣味や仕事に没頭したりする方が、人生をクリエイティブに生きているように思えるでしょう。
ですが、心は機械ではありません。「はい、今日から忘れます」とスイッチを切り替えられるほど単純ではないのです。
凛が過ごした、あの悶々とした二年間。スマホの画面を見つめて一喜一憂し、クローゼットの奥を覗いてはため息をつき、友達に嘘をついて胸を痛めていた時間。それは客観的に見れば「立ち止まっていた時間」かもしれません。
しかしその間、凛の心は亮太との思い出を通じて、「誰かをこれほどまでに愛せる自分」と対話し続けていたのです。
誰かを激しく、切なく愛した経験は、たとえその恋が悲劇的な結末を迎えたとしても、その人の感性を豊かにし、他人の痛みに寄り添うための「優しさの土壌」を育てます。凛の傍で彼女を支え続けた花の優しさも、もしかしたら花自身が過去に同じような痛みを経験したからこそ、生まれたものなのかもしれません。
無駄な時間のように思える暗闇の中でしか、見えない光があります。私たちは立ち止まっている時、決して退化しているわけではありません。心の奥底で、次の季節を迎えるための「根」を必死に伸ばしているのです。
4. 凛の「二度目の告白」が持つ、真の意味
物語の最終章で、凛は亮太に呼び出し、二度目の告白をしてフラれました。
一見すると、これは残酷で悲しい「バッドエンド」に見えるかもしれません。しかし、私はこの結末こそが、凛にとっての「最高のハッピーエンドへの扉」だったと確信しています。
なぜなら、凛が亮太に伝えた「今でも大好きだよ」という言葉は、亮太とヨリを戻すための要求(リクエスト)ではなく、自分自身の過去に対する「卒業宣言(セレモニー)」だったからです。
もし凛が、亮太に自分の気持ちを伝えないまま、花の言う通りに無理やり次の恋を探しに行っていたとしたら、彼女の心にはずっと「もしあの時、もう一度伝えていたら……」という小さなトゲが残り続けたでしょう。そのトゲは、新しい恋人と出会ったときにも、ふとした瞬間にチクチクと痛み、彼女の足を引っ張ったはずです。
亮太に真っ直ぐに向き合い、そして誠実にフラれたことで、凛は「亮太が私を愛していない」という現実を、頭ではなく心で完全に受け入れることができました。
フラれた瞬間に凛が感じた「引き裂かれるような痛みと、不思議なほどの解放感」。
この「解放感」こそが、彼女を縛り付けていた透明な鎖が解けた証拠です。彼女はついに、亮太との思い出を「悲しい未練」から「愛おしい過去」へと昇華させることができたのです。
5. 新しい季節に、ハロー
この物語のタイトルは、『HELLO! マイ・ロスト・シーズン』です。
失われた季節(ロスト・シーズン)に、ただ後ろ髪を引かれるのではなく、自らの足でその境界線をまたぎ、「さようなら(バイバイ)」を告げると同時に、これから始まる新しい自分の人生に「こんにちは(ハロー)」と微笑みかける。
元カレを好きになったことがあってもいい。
今まさに、別れた恋人のことが忘れられずに、夜中に一人で泣いている人がいてもいい。
その気持ちを、無理に消し去ろうとする必要はありません。
気が済むまで、その季節の寒さに震えていればいいのです。
いつか、あなたの中の「凛」が、覚悟を決めて立ち上がるその日まで。
そして、傷ついたあなたの手を、何も言わずに握りしめてくれる「花」のような温もりが、すべての人の傍にありますように。
この物語が、過去の季節に立ち止まっている誰かの背中を、優しく、柔らかく押す風になれることを願って。
またいつか、新しい季節の物語でお会いしましょう。
冴島凛、五島亮太、そして花へ。
素晴らしい青春のひとコマを一緒に生きてくれて、本当にありがとう。
著者より、愛を込めて。


