光の中で〜あなたの隣に立つ日まで〜

第11話 ピアス質

理久は何でもない顔をしていた。

「うん。食後のコーヒー、外の方が気持ちいいかなと思って」

「もう用意してもらったんですか」

「うん」

「……聞いてません」

「今言った」

「そういう問題じゃありません」

理久は少し笑った。

「嫌なら帰ろう」

また。

ちゃんと逃げ道を出す。

でも、美月は分かっていた。

嫌ではない。

悔しいだけだ。

夜景。
食後のコーヒー。
バルコニー席。
会計も済まされている。

帰る理由がない。

美月は小さく息を吐いた。

もう、楽しむしかないか。

そう腹をくくった。

* * *

バルコニー席に出ると、夜風が気持ちよかった。

高層階から見える街の灯り。

小さなテーブルに、温かいコーヒーが二つ。

膝掛けまで用意されている。

美月は思わず言った。

「どこまで王子キャラなんですか」

理久はコーヒーを持ちながら笑う。

「王子キャラ?」

「病棟でそう呼ばれているの、知っていますよね」

「知ってるけど、本人に言う?」

「言います。今日のこれは、かなり王子です」

「褒めてる?」

「警戒しています」

「そっちか」

理久は声を出さずに笑った。

美月は膝掛けを見下ろす。

「こういうの、慣れてますよね」

「何に?」

「女性をこういう場所に連れてくることに」

「それ、聞きたい?」

「聞きたくありません」

「じゃあ言わない」

「でも、聞かなくても分かる気がします」

「どう見えてる?」

「女に慣れている、感じのいい医者です」

理久は少しだけ黙った。

それから、小さく笑う。

「手厳しいな」

「事実です」

「じゃあ、綾瀬さんは?」

「私?」

「俺に慣れてきた?」

美月は即答した。

「慣れていません」

理久は少し笑った。

「即答」

「必要な即答です」

「それだけ警戒されてるなら、まだ安全か」

美月はコーヒーを両手で持つ。

夜風は冷たいのに、カップの熱が指先に残る。

この時間が、思っていたより悪くない。

そう感じてしまう自分が、少し怖い。

「……藤崎先生」

「何?」

「こういう場所に連れてくるなら、事前に言ってください」

「緊張すると思って」

「しました」

「でも、来てくれた」

「お礼ですから」

「それ、今日何回目?」

「必要な回数です」

理久が笑った。

美月は視線を外し、夜景を見る。

光が多い。

ビルの窓。
道路を流れる車のライト。
遠くで滲む街の灯り。

静かなはずなのに、どこか落ち着かない。

隣に理久がいるからだ。

美月が夜景へ視線を戻した時、理久がふいに言った。

「そういえば、綾瀬さん」

「何ですか」

「ピアス、片方うちにある」

美月は固まった。

「……はい?」

「この前の雨の日。洗面台の横に落ちてた。ケースに入れてある」

美月は、じっと理久を見た。

「なぜ、それを今言うんですか」

「連絡しようかと思ったけど」

「けど?」

「業務外連絡は必要最低限で、って言われたから」

美月は言葉を失った。

まさか、そこを利用されるとは。

「それは、もっと早く言うべきことでは?」

「必要最低限の判断が難しくて」

「難しくありません」

「そう?」

「落とし物の連絡は必要です」

「じゃあ、次からそうする」

「次がある前提で言わないでください」

理久は悪びれずに笑った。

「返してください」

「今ここにはない」

「では、郵送してください」

「ピアスを?」

「はい」

「壊れたら困るでしょ」

「では、病院で」

「職場に私物を持っていくの、どうなの?」

美月は言葉に詰まった。

正論っぽいことを言われるのが、一番腹立つ。

理久は、少しだけ楽しそうに言った。

「取りに来る?」

美月は目を細めた。

「人質ですか」

「ピアス質?」

「笑えません」

「笑ってないよ」

笑っている。

目が笑っている。

美月は、さらに警戒した。

「藤崎先生」

「うん」

「それ、わざとですか」

「何が?」

「次に会う理由を作っていますよね」

理久は否定しなかった。

ただ、静かにコーヒーを飲んだ。

それが答えだった。

美月は額に手を当てたくなった。

本当に、なんつー男。

「……取りに行きます」

「いつ?」

「今ではありません」

「じゃあ、次の休み?」

「予定を確認します」

「LINEで送って」

「業務外連絡は必要最低限で」

「ピアス返却は業務?」

「事故処理です」

理久がくすっと笑った。

「じゃあ、事故処理の日程調整ね」

「笑わないでください」

「無理」

美月は最後に、どうにか反撃しようとした。

「藤崎先生」

「ん?」

「人質を取る男は、王子キャラではありません」

理久は少し考えてから、笑った。

「じゃあ、何キャラ?」

美月はコーヒーを飲みながら、ぼそっと言った。

「策士の悪役寄りです」

理久は嬉しそうにする。

「それ、けっこう好き」

美月は思った。

褒めていない。

本当に褒めていない。

でもこの人は、たぶん分かっていて喜んでいる。

理久が、最後に一言落とす。

「じゃあ、悪役らしく、次の約束は取り立てるね」

美月は即座に返した。

「取り立てないでください」

「善処する」

「しないやつですね」

「よく分かってきたね」

美月は夜景を見ながら、小さく息を吐いた。

もう完全に、理久のペースだった。

でも、ピアスは返してもらわないと困る。

そうして、次に彼の家へ行く理由ができてしまった。

美月はコーヒーをもう一口飲んだ。

悔しいけれど、まだ温かくておいしかった。

そして、もっと悔しいことに。

この夜を、少し楽しいと思ってしまっていた。
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