光の中で〜あなたの隣に立つ日まで〜

第3話 王子外科医は、あの人だった

数日後。

美月は院内食堂で、同僚と昼食をとっていた。

日勤の合間の短い休憩だった。

トレーの上には、あまり味を覚えていない定食が載っている。

午前中は入退院が重なり、検査出しも多かった。
午後には処置が二件、退院指導が一件、夕方までに終わらせたい記録もある。

頭の中では、すでに午後の業務が順番待ちをしていた。

それでも、食堂のざわめきの中にいると、少しだけ病棟から離れた気がする。

向かいに座る同僚たちは、いつものように病棟の話や医師の話をしていた。

「昨日の準夜、ほんと大変だったんだから」
「分かる。急変って、なぜか重なるよね」
「そういえば、外科の先生、誰か戻ってきたんだっけ?」

その時、隣の同僚が急に小声になった。

「あ、藤崎先生だ」

「外科の?」

「そうそう。戻ってきたばかりの」

「かっこいいよね」

「分かる。なんか余裕あるよね」

「絶対モテるって分かってるよね、あれ」

美月は、つられて何気なく視線を向けた。

そして、固まった。

……あの人だ。

駅ビルで急病人に対応した時の男性。

一般人だと思って、通路を空けるように頼んだ。
AED対応も、周囲の人への声かけも、当然のように一緒にやってくれた。

途中から妙に手際がいいとは思った。

でも、まさか。

医者。

しかも、同じ病院の外科医。

藤崎先生。

美月は一瞬で視線を戻した。

無理。

気まずい。

あの人に、自分は普通に指示を出した。

そちら側を空けてください、とか。
救急隊が入れるように通路を空けてください、とか。
AEDを装着しましょう、とか。

相手が外科医だと知っていたら、もう少し言い方を考えたかもしれない。

いや、考えないかもしれない。

あの場では、必要なことを言っただけだ。

それでも、気まずいものは気まずい。

知らない。

私は知らない。

あんな人は知らない。

美月は何事もなかったように、味噌汁を飲もうとした。

その時、食堂を出ようとしていた藤崎理久が、ふとこちらに気づいた。

立ち止まりはしなかった。

声もかけなかった。

ただ一瞬、目が合った。

そして、彼が少しだけ笑った。

「あ」と気づいたみたいな、控えめな笑み。

周囲に見せるためではなく、美月にだけ届くくらいの。

美月は即座に目を逸らした。

気づかれた。

絶対、気づかれた。

無理。

知らない。

私は知らない。

しかし、隣の同僚が微妙に気づいた。

「……今、藤崎先生こっち見なかった?」

「え、見てないよ」

美月は早口で返した。

「いや、なんか笑ってなかった?」

「知らない知らない。あんな人は知らない」

「否定早くない?」

「知らない」

「二回言った」

「知らない」

「三回目」

同僚が怪しむ目で美月を見る。

美月は、定食の小鉢に視線を落とした。

最悪だ。

顔に出ている。

その日は、結局それ以上何も起きなかった。

藤崎理久は追ってこなかった。
声もかけてこなかった。

それが、逆に気になった。

気にしていない。

気にしていないけれど。

あの控えめな笑みだけが、午後の記録中も、なぜか頭の隅に残っていた。
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