光の中で〜あなたの隣に立つ日まで〜
第4話 見えてしまったら、また
さらに数日後。
職員用エレベーターの前で、美月は足を止めた。
扉が開く。
中には、先に一人乗っている人がいた。
藤崎理久だった。
一瞬、目が合った。
美月は、何も見なかったことにして乗り込んだ。
エレベーターの端に立ち、階数表示を見る。
沈黙。
扉が閉まる。
狭い箱の中に、二人だけ。
美月は階数表示だけを見た。
見ていない。
後ろにいる人など知らない。
そう決めていた。
少しして、背後から声がした。
「……無視?」
軽い声だった。
責めているわけではない。
でも、完全に気づいている声。
美月は表情を変えずに答えた。
「無視ではないです」
「じゃあ、見えてないふり?」
「勤務中なので」
「便利だね、それ」
美月は無言で階数表示を見続ける。
「食堂でも、目を逸らしたよね」
「見てないです」
「否定早いな」
「見てないです」
後ろで、藤崎理久が少し笑う気配がした。
「二回言うと、だいたい見てるよね」
美月は、すました顔で返した。
「では、三回言っておきます。見てないです」
一瞬、空気が止まった。
そのあと、後ろで小さく笑う声がした。
「……強いな」
その言い方は、馬鹿にしているわけではなかった。
むしろ、面白がっている。
美月は、それが余計に腹立たしかった。
次の階まで、沈黙が数秒続く。
美月は、もう話は終わったと思っていた。
その時だった。
背後から、一歩近づく気配がした。
反射的に振り向く。
すると、藤崎理久の指先が、頬のすぐ横で止まっていた。
触れてはいない。
けれど、完全にからかわれた距離だった。
「……何してるんですか」
美月は低い声で言った。
藤崎理久は悪びれない。
「見えてないって言うから」
「だからって、何ですか」
「本当に見えてないのか確認しようかと」
「触る気でした?」
「触ったら怒るでしょ」
「分かっているなら、やめてください」
「だから止めた」
腹立つ。
本当に腹立つ。
触れていない分、余計に腹立つ。
美月は一歩、きっちり距離を取った。
「藤崎先生ですよね」
「はい」
「外科の」
「はい」
「……駅ビルの」
「はい」
全部、あっさり認める。
美月は少しだけ目を細めた。
「なぜ、その時名乗らなかったんですか」
「名乗る必要がなかったので」
「そうですけど」
「綾瀬さんも名乗らなかった」
その言葉に、美月は止まった。
名前。
知られている。
美月は反射的に胸元を見る。
ネームプレート。
その瞬間、藤崎理久の視線が、ほんの一瞬だけそこをかすめた。
見た。
今、見た。
美月はすぐに言った。
「今、見ましたよね」
藤崎理久は、九階のボタンが光るのを見ながら平然と答えた。
「見えてしまっただけ」
ずるい。
さっきの自分の「見てない」を逆手に取っている。
かなりずるい。
エレベーターが九階に着く。
扉が開く。
藤崎理久は降りる前に、少しだけこちらを見た。
そして、控えめに笑った。
「じゃあ、また。見えてしまったら」
そう言って、降りていく。
扉が閉まる。
美月は一人、エレベーターに残された。
しばらく、その場から動けなかった。
なんつー男。
ほんとに、なんつー男。
最悪。
名前、見られた。
それなのに。
触れられたわけでもないのに、頬のすぐ横に止まった指先の距離だけが、妙に残っている。
腹立たしいほど自然に、彼の笑った顔が頭に残っていた。
美月は階数表示を見上げながら、小さく息を吐いた。
見えてしまったら、また。
そんな言い方をされたら。
次に見えてしまった時、どうしたらいいのか分からない。
本当に、なんつー男。
職員用エレベーターの前で、美月は足を止めた。
扉が開く。
中には、先に一人乗っている人がいた。
藤崎理久だった。
一瞬、目が合った。
美月は、何も見なかったことにして乗り込んだ。
エレベーターの端に立ち、階数表示を見る。
沈黙。
扉が閉まる。
狭い箱の中に、二人だけ。
美月は階数表示だけを見た。
見ていない。
後ろにいる人など知らない。
そう決めていた。
少しして、背後から声がした。
「……無視?」
軽い声だった。
責めているわけではない。
でも、完全に気づいている声。
美月は表情を変えずに答えた。
「無視ではないです」
「じゃあ、見えてないふり?」
「勤務中なので」
「便利だね、それ」
美月は無言で階数表示を見続ける。
「食堂でも、目を逸らしたよね」
「見てないです」
「否定早いな」
「見てないです」
後ろで、藤崎理久が少し笑う気配がした。
「二回言うと、だいたい見てるよね」
美月は、すました顔で返した。
「では、三回言っておきます。見てないです」
一瞬、空気が止まった。
そのあと、後ろで小さく笑う声がした。
「……強いな」
その言い方は、馬鹿にしているわけではなかった。
むしろ、面白がっている。
美月は、それが余計に腹立たしかった。
次の階まで、沈黙が数秒続く。
美月は、もう話は終わったと思っていた。
その時だった。
背後から、一歩近づく気配がした。
反射的に振り向く。
すると、藤崎理久の指先が、頬のすぐ横で止まっていた。
触れてはいない。
けれど、完全にからかわれた距離だった。
「……何してるんですか」
美月は低い声で言った。
藤崎理久は悪びれない。
「見えてないって言うから」
「だからって、何ですか」
「本当に見えてないのか確認しようかと」
「触る気でした?」
「触ったら怒るでしょ」
「分かっているなら、やめてください」
「だから止めた」
腹立つ。
本当に腹立つ。
触れていない分、余計に腹立つ。
美月は一歩、きっちり距離を取った。
「藤崎先生ですよね」
「はい」
「外科の」
「はい」
「……駅ビルの」
「はい」
全部、あっさり認める。
美月は少しだけ目を細めた。
「なぜ、その時名乗らなかったんですか」
「名乗る必要がなかったので」
「そうですけど」
「綾瀬さんも名乗らなかった」
その言葉に、美月は止まった。
名前。
知られている。
美月は反射的に胸元を見る。
ネームプレート。
その瞬間、藤崎理久の視線が、ほんの一瞬だけそこをかすめた。
見た。
今、見た。
美月はすぐに言った。
「今、見ましたよね」
藤崎理久は、九階のボタンが光るのを見ながら平然と答えた。
「見えてしまっただけ」
ずるい。
さっきの自分の「見てない」を逆手に取っている。
かなりずるい。
エレベーターが九階に着く。
扉が開く。
藤崎理久は降りる前に、少しだけこちらを見た。
そして、控えめに笑った。
「じゃあ、また。見えてしまったら」
そう言って、降りていく。
扉が閉まる。
美月は一人、エレベーターに残された。
しばらく、その場から動けなかった。
なんつー男。
ほんとに、なんつー男。
最悪。
名前、見られた。
それなのに。
触れられたわけでもないのに、頬のすぐ横に止まった指先の距離だけが、妙に残っている。
腹立たしいほど自然に、彼の笑った顔が頭に残っていた。
美月は階数表示を見上げながら、小さく息を吐いた。
見えてしまったら、また。
そんな言い方をされたら。
次に見えてしまった時、どうしたらいいのか分からない。
本当に、なんつー男。